9.お嬢様は初仕事に取り組む(2)
石作りの壁には緻密に花が織り込まれたタペストリーがかかり、部屋の奥では最新式の暖炉があかあかと燃え、春先のまだ冷たい空気を払っている。
暖炉の前には有機的なフォルムも高価そうなテーブルセット。暖炉脇には設えられた飾り棚には、珍しい色ガラスのツボが鎮座している。
やや手狭だが政治系貴族テイストなこの居間の左奥。開かずの扉の前で、エイレンはゆったりとロッキングチェアに寝そべり読書していた。
街の目抜き通りの端にある、この住居の1階で高級雑貨店を営んでいる夫婦が彼女の初仕事の依頼主である。
彼らは一人娘が自室に閉じこもり、3ヶ月も顔を合わせていないと嘆いていた。
外から声をかけても怒鳴り声と物をぶつける音が響くだけ、という現状にその母親は憔悴していた。
「私にはあの子の気持ちが分からないんです」
泣き崩れる妻と所在なげに薄笑いを浮かべ立ち尽くす夫。
普通はここ、肩を抱いたりしてなだめるべきなのでは?と思うエイレンだが、彼女の母は人前で泣き崩れるようなことを絶対にしない女だったのでよく分からない。
「最初は神殿に頼めば何とかして下さらないかと思ったのですが……神官様がおっしゃるには、神魔法で扉を吹き飛ばすことならできるがついでに建物も吹き飛んでしまうかも、と」
やる気の無い神官も居たものだ。(確かにそんなに高くないけど)給料泥棒め。
(それにこの夫婦は何しているのかしら?困ればすぐに他力本願っておかしいわよね)
相手が客でなければつっこんでいるところだが。
それまで黙っていた夫が口を開いた。
「それでもう仕方なく精霊魔術師様にでもお願いしようかとコレが……私は反対したのですが」
仕方なく?『にでも』?コレ?『私は反対した』って今ここで必要な情報かしら?
(わたくし多分、この男キライだわ)
これまで感情抜きで利用価値で人を判断するクセがあったエイレンですら嫌悪感を覚える、上から目線と責任逃れの合わせ技であった。
妻もそれは感じたのだろう。
「あなたお店の方にお客様が」
ごく穏やかに夫を追い払い、エイレンの方に向き直る。
「すみません、夫が失礼なことを」
「いいえ、悪気はないんでしょうから」
だからきっと百年経っても治らないわねあの態度。それはさておき、とエイレンは本題を切り出す。
「今回弟子のわたくしが参りましたのは、お嬢さんには精霊魔術より同世代の女性の方が役に立つだろうと師が判断したからですわ」
正確には―――人の心が精霊魔術でどうこうなる訳無いことくらい、分かりそうなものですがねぇ……断るのも心苦しいので君がいてくれて助かりました。まぁ修業の一環と思って気軽に行ってきて下さいよ―――だったのだが。
「わたくしは修業中の身ゆえ精霊魔術は使えません。ただ、お嬢さんの話を聞けるよう努力してみますわ。それでよろしいでしょうか?」
「はい、それはもう」
コクコクと頷く母親。相当、煮詰まっているようだった。
そんなワケでエイレンはこの豪華な居間に泊まり込み、朝晩に卵とスープと肉にパンお代わりし放題の食事と巷で流行している貸本の提供を受けながら、優雅な張り込みライフを満喫しているのだ。
(このダラダラ感……クセになりそう)
伸びをしようとして気配を感じ、居ずまいを正す。
「あの、お弟子さん……どうですか娘は?」
「わたくしが聞き取りましたのは」
エイレンは、やや深刻な表情を装った。
「誰も近寄らないで!話し掛けないで!私の気持ちも分からないクセに!この扉は絶対に開けないわ!……という、お嬢さんの心の叫びです。もうしばらく様子を見なければ」
あながち間違いでもないだろうとは思うのだが。
「そうですか……そんなことを娘は」
涙ぐむ母親から、エイレンはそっと目をそらした。
なんだか詐欺師になった気分だ。




