18.エピローグ~それぞれの想い、それぞれの道~(2)
石畳の道の両脇や家々の軒に飾られた造花飾り。物売りの掛け声、人々のざわめき。
いつになく王都が華やかに彩られているのは、『春の大祭』が始まったからである。
聖王国で行われる祭祀の中でも特に重要なこの祭りは、本格的な春の訪れに先立って、罪人を処刑し、あるいは生け贄を屠ってその血と魂を神に捧げ、1年の豊穣を祈るものである。
また、物事の始まりを寿ぐものとして、婚姻や昇格、重要な決定の告知などもこの祭りに合わせて行われることが多かった。
たとえば、側室が王妃に昇格するのもその1つ。
ゴーン、ゴーン、と響く銅鑼の音が、道に溢れた人々を左右に分ける。
続いて、笛や鼓が古式の曲を奏で、その後を国王と新たな王妃の輿が続く。
「おめでとうございます!」
「国王様万歳!」 「王妃様万歳!」
人々の声に応えて、ファーレンが腕の中の赤子を、ほんの少しだけ掲げてみせる。
「「「王女様、おすこやかに!」」」
「「「エイレン様、万歳!」」」
人々の歓声に驚いたように、小さな王女は泣き出し、ファーレンが慌ててあやす。
国王は片手を民衆に向けて振りつつ、片手で新王妃の肩を抱き寄せ、いたわっている。
―――その光景は、微笑ましく幸福に満ちており、聖王国の安定した未来を示しているかのようであった―――
※※※※※
『追放された王女と彷徨える禍神は
出会い、愛しあい、
湧泉のほとりに新たな国を築いた。
山には木の実があふれ、野では蜂が蜜を運び、畑は耕され、子は子を成し、国は神に守られてよく栄えた……』
枯れた草が風に揺れる。
「ここが聖王国の始まりの地だ」
神様の懐かしさと哀しさを同時に帯びた声音に、アリーファは辺りを見回した。
寒々とした野が広がるばかりで、人が生活していた証など一切残っていない。
「どの辺りで……暮らしてたの?」
「ちょうどこの足元に泉が湧いていた」
「どんな家を建てた?」
「家など必要なかった……まだ、俺とリィレンと子供たち、同じく追われ従いてきた少数の民だけだった。野で寝起きし、採取し、生活していた」
子供たちのうち、最も神力を受け継がず、最も身体の弱い子を核として、小さな結界を張ったのが始まりだった、とハンスさんは説明した。
「あの子が、リィドを国王にしようと考えていたわけではないんだ」
もともとが荒れた土地での暮らしはやはり貧しく、弱い者や役に立たない者は蔑ろにされがちだった。
「ただ、リィドが下を向かずに、そして少しでも長く生きていけるようにと、それだけを考えて決めたことだった」
やがて、子が子を成し、国が大きくなり、結界を拡げなければならなくなった時から、神力をより多く持つ娘と国王との婚姻が始まる。
さらに時が下ると、婚姻は外国との関係維持のために使われるようになり、結界の維持のために側室制度ができた。
やがて、受け継がれる神力が薄れていくと、それを新たに補う必要が生じ、『神と国王の仲立ちをする』役目が側室に負わされたのである。
「どうしようもないことだと諦め、皆がそれを受け入れた……俺もだ」
まぁ嫌いじゃなかったしな、とひとこと余分な懺悔に、神様の足を思い切り踏みつけるアリーファ。
イタタタタっ、と最早、通例となったウソっぽい涙を浮かべる、神様である。
「痛い痛い痛い! 主に心が……っ」
「もっと痛めそして反省しろ!」
「反省する! 反省する! これからはお前ひとすじだから!」 やっと足を踏みつけるのをやめ、ふん、とそっぽを向く婚約者の手を取り、その柔らかな耳に唇を近づける。
「ありがとう。これからの千年を、共に生きると決めてくれて」
真摯な囁きに、耳を押さえて顔を赤くする娘が、心底愛しい。
「だ、だって、私が死んだらほかの女と、とか絶対ヤだし!
ハンスさんのおかげで、実家も安泰だし!」
「二言目でそれか」
実は改めてアリーファの実家に挨拶に行った時に、彼女の父から出された条件が『店を継ぐこと』だったのだ。
ハンスさんのツッコミに更に顔を赤くしつつ、だってOKしてくれて嬉しかったし、とモゴモゴ言い訳をするアリーファである。
「それに、師匠とエイレンが帰ってきたら、また皆で暮らしたいもの」
「ああそうだな。また、ジビエパーティーでもするか」
「お庭でね。王妃様も国王様も呼んでね」
笑う彼女の頭を撫で、そのまま引き寄せて口づける。
日が暮れて月が昇り、足元にちょろちょろと水が湧き始めた。
年に1度、『春の大祭』の夜にだけ、古い泉が蘇る。
2人は手を取り合い、水が足を濡らすのを眺めていた。
「本来なら、半身浸かるべきなんだが……」 少し困ったようにハンスさんが言う。
千年の間に埋もれて、周囲と変わらぬ高さとなっているここでは、無理がある。
「まぁ、もう少し水位が上がれば、いけるかな。冥界神も認めるだろう」
神族にのみ与えられる長い寿命、残りの半分を人に分け与える儀式。
それは、黄泉へ通じるともいわれる特別な湧泉でのみ、行うことができるものだ。
そこで捧げた祈りを冥界神が聞き入れた時、長い寿命は人へと渡る。
「ねぇ」 アリーファが湧き水に目を遣ったまま、呟いた。
「私で、ごめんね。女王様でもエイレンでもなくて」
「それは……俺、とっくの昔に振られてるし」
ばしっ、と蹴飛ばされた水が、神様の頬にかかる。
「そこは『お前がいちばん』って言うところ!」
「なんだそんな返事を狙ってたのか」
「そうじゃないけど……」
泣きそうになっている婚約者に、慌てるハンスさん。
「いや、これからはお前がいちばんだから!」
「…………これからは。」 ぼそり、と言うのがけっこう、怖い。
「ねぇ……千年生きるって、どんな感じ」
「不安か?」 取っていた手を放し、小柄な身体をしっかりと抱き寄せた。
うん、と頷くうなじが細かく震えているのを見つめつつ、ゆっくりと口を開く。
「やめてもいい、と言ってやりたいが、言わんぞ。……やめてほしく、ない」
「……うん」
またしても小さく頷くうなじに唇を寄せて、幼い子に言い聞かせるように、話す。
「いろいろ、忙しいぞ。人は移ろい変わるからな、目が離せないんだ。見守っているうちに、千年過ぎた。短くはないが、そう長くもないさ。嘘じゃない」
「……うん」
しがみついてくる背中を、優しくなでてやるうち、泉が満ち、月を映し出した。
儀式が、始まる。




