18.エピローグ~それぞれの想い、それぞれの道~(1)
草原を思わせる緑のじゅうたんを、透輝石の青白い灯が照らす。
すきま風が入らぬように鎧戸が締め切られたその部屋は、暖かさと明るさに満ちていた。
赤子のいる部屋とはそういうものだ。
リクウは精霊の祝福と守護を与える文言を唱えつつ、揺りかごに寝かされた赤子の頭にキスを贈る。
「あなたも」
ファーレンに柔らかな笑顔を向けられ、アリーファは慌てて首を横に振った。
「私は修行中なので……!」
「エイレンにキスしてあげて。『精霊の巫女』様からなら、きっと何も言わなくても最高の祝福だわ」
「……はぁ……」
もぞもぞと居心地悪げに下を向きつつ、赤子の額にキスを贈るアリーファ。
先の鬼たちの暴動以来、アリーファはしばしば『精霊の巫女』と呼ばれるようになった。
―――神と共に鬼たちを鎮め、近々神と婚姻を結び結界の核として国を守ってくれる聖なる乙女。
あの日、眠りから目覚めた人々の記憶にはそのような情報が刻まれており、アリーファは 「へ!?」 と驚愕しつつも、彼らの思い込みが余りにも強いため、訂正の余地が無かったのである。
もちろん犯人は彼女の恋人の神様だ。
神様は真の巫女姫の願いに従い、国中に忘却の技をかけた。
「だって、どうせ記憶を改竄するんだから、ちょうど良いじゃないか」
ついでついで、と、全く悪びれるところのない神様に、アリーファが蹴りを入れたことは、言うまでもない―――
しかし、もしかしたら、実の姉であるファーレンは真実を思い出しているのではないか。
なぜなら、彼女のたっての希望で、生まれたばかりの姫につけられた名は『エイレン』なのだから。
アリーファは一縷の希望を込めて、乳の香りがする小さな頭から顔を上げる。
「失礼ですが、お名前の由来をお聞きしても?」
「どうして?」 穏やかに微笑み、少し傾げられた卵形の顔は、身勝手に消えてしまったあの女に似ている。
「懐かしい友人が、同じ名前だったものですから」
「そう!」 嬉しそうにうなずく、ファーレン。
「わたくしも、この名が浮かんできた時ね、とても大切なような、気がしたのよ」
特に理由はないのに、絶対にこの名にしようと思ったのよ、と無邪気に言われ、アリーファは思わず目頭を押さえる。
「あら、どうかして?」
よく聞けば、この王妃は声もどこか、あの女に似ているのだ。
「なんでもありません」 精霊魔術師の弟子は涙を少しにじませたまま、もう一度、赤子のほの甘い香のする額にキスを贈った。
「悲しいことがあっても、生き抜ける強さを持つように」
人間の言葉で、アリーファは王女をことほいだ。
※※※※※
「おや、今は休憩中のようですね」
川面に響く吟遊詩人のリュートと歌声にリクウが足を速め、アリーファもそれに倣う。
あの日からしばらく時が経ち、工場予定地には順調に火山灰でできた白い壁が立ち並んでいる。
歌声はその白い壁に半ば吸いとられ半ば跳ね返され、不思議な響きを帯びていた。
『いのち失えば全て終わり
後は冥く遠き道をたどりて黄泉へゆくのみ……
それでもかと友は問い、
かまわぬと彼は返す
生き永らえたとしても
愛しきかのひとの心に残らねば
このいのちになんの意味があろう
おろかものとののしる友に
やすく暮らせと彼は笑う……』
しんみりと聞き入る人足や技師たちは、歌が終わり、叙情的なアルペジオが余韻を残しつつ消えていった後、狂ったように手を叩いた。
ハルサやリヴェリスも、頬を濡らしつつ拍手している。
「うぉぉぉぉ! ひどい女だぜ!」 「バカだにいちゃん、バカだぁぁぁっ!」
口々に涙ながらに叫ばれる感想を、呆れた顔で聞くアリーファ。
「……なんか最近、この曲ばかりじゃない?」
「暗い歌なんだけどなぁ……1回やってみたら、妙に人気が出てな」
でもこの後は明るいのでフォローしてやらなくちゃな、と、リュートの調弦を始める吟遊詩人に、アリーファは慌てて話しかけた。
「あのね、これからしばらくなんだけど」
「どうした?」
「師匠は旅に出るので、私が精霊魔術師を代行するね」
「え?」 まじまじと、アリーファとリクウを見比べるキルケ。
「お嬢ちゃんが? 大丈夫かい?」
「まかせて!」 胸を張って叩いてみせても、頼りなげな娘である。
「灯をつけるのと、船板をしめるのとは自信ある! あと治癒も……あれ? けっこうできてるよね?」
そうですね、とリクウが笑った。
「安心して後を任せられますよ」
「がんばります!」 アリーファが大きくうなずいて、拳を握りしめる。
「だから師匠も、絶対エイレン探してきてね!」
「エイレンって?」 キルケが口を挟んだ。
「王女のことか?」
今、王都では、誕生したばかりの王女様の話題で持ちきりなのだ。
違うよ、と首を横に振りつつ、アリーファは考え込む。
「うーん……私たちの古い友人、かな……」
「そうか」 キルケはニヤリとして
リュートをかまえた。
「ならこの歌だな」
リュートを掻き鳴らし、歌声を乗せる。
『青き花咲く野の乙女よ……』
亡くなった友が好きだった歌は、いつの間にか吟遊詩人にとっても大切な歌になっていた。
この歌を好きだったヤツはまだいたな、とちらりと思う。
……誰だったか、どうにも思い出せないが、それを考えるとき、ひどく懐かしい。
爽やかな歌に送られて、リクウはそっと、その場を離れた。




