17.お嬢様は空へ飛び立つ(1)
半分透けた手の先から放たれる、白い閃光が、また走る。
それは何度も、頬を、耳を撃ち、目に刺さり、胸を穿つ。
「無駄だ」 苦々しさを噛みしめつつ、聖王国の神は巫女の一部と名乗るソレに言い放った。
「神族は何があっても、与えられた寿命がくるまでは死なない。傷ひとつ、つかない……知っているだろ?」
「諦めるという選択肢は、わたくしにはありません」
聖らかなまでの笑みを頬に刷き、ソレは再度、神の胸を目掛けて力を放つ。
身体には残らなくても、心に痛みを残そうとするかのように。
おそらくは足止めだろう、とハンスさんは理解した。
もしも眠ってしまっている者たちを置いて室内へと入れば、彼らは半透明の巫女の手から放たれる、力の餌食となるのだろう。
「お前は……お前の主を信じ、救おうとする者たちを人質にとるのか?」
分かっていても、問わずにはいられなかった。
神がこれまで見守り育ててきた誇り高き巫女姫ならば、絶対にしないことだったから。
「……信じ、救おうと?」 くつり、と彼女の喉が鳴る。
「無自覚に利用し、利用し続けようと、の間違いではなく?」
「辛くない、と言っただろ」
声を絞り出すようにして、やっと返す言葉が、狭い階段にこだまする。
「ええ、辛くなどないわ」 彼女は、あくまでも穏やかだった。
「ただ気づいてみたら、疲れていただけ。全てが早く過ぎ去り、終わってしまえば良いと、望むようになっていただけ」
「……済まなかった」
神様がうなだれる。
気づいてやれなかった、いや、気づかないふりをしていたのかもしれない。
「謝る必要などないわ」 穏やかな……これは赦しだろうか。
「わたくし自身ですら気づいていないことですもの。けれどもう……」
それとも、絶望、だろうか。
「終わりの時は、来てしまっているのよ」
否定したくても否定できなかった。
「どうするつもりだ」
喉の奥に貼りつく台詞をなんとか剥がせば、「さあ?」 と静かな返事。
「入ってご覧になれば?」
「いいのか?」
「わが主が嫌だと思われなければ入れるでしょうし、そうでなければ入れないだけのこと」
そうは言うものの、わざわざ招き入れるつもりはないらしい。
静観する女の前で、眠るアリーファを抱えたまま、閂を蹴りあげる。
二度、三度と蹴るうち、それは次第にゆるみ、やがて。
かたり、という音と共に外れた。
わずかに開いた扉を、もう一度蹴りあげ、中に入る。
「あらご機嫌よう」
普段と変わらぬ軽やかさで声を掛けられた方に目を向け、ハンスさんは息を呑んだ。
くるぶしまで伸びた金の髪。
一糸纏わぬ、白い肌。
本来なら神や普通の人からは見えぬはずの、霊鬼の翅さえ、儚く揺れる光の重なりとして目に微かに映る。
「エイレン……なのか?」
問いに直接答えず、彼女は、簡素なベッドの上に倒れて眠る黒い髪の男を目で示した。
「連れていって。もう、必要ないわ」
「必要ない、だと!?」 思わず声を荒げる。
「お前が真に望んでいたのは、この男と添い遂げることではなかったのか?」
「これまで、何を聞いておられたのかしら?」 答えて返す唇の端が、きゅっと吊り上がった。
「わたくしもこの人も、一度もそのようなことは申し上げたことがなくてよ?」
「だが……」 なおも言い募ろうとするハンスさんの口を、「無理なのよ」 と一言で塞ぐ。
「このひとに憑いた霊鬼を、再びわたくしに憑かせたわ……あなたにも、翅が見えるでしょう?」
「だが、そのうち浄化できると言っていたではないか!」
「己の力を過信していたのね」 淡々とした声と口調。
「多くの霊鬼が憑いたわたくしは、もはや、人とは呼べぬ身。そのうち完全に正気を失い、禍を起こす者になることでしょう」
神様は悲痛な面持ちで首を横に振った。
彼がまだエイレンであると信じていたい、その娘が言っているのは、避けられない死。
「守ってやる、今度こそ守ってやるから。心配しなくとも、お前がどんなに狂っても、誰も傷つけさせやしない」
「バカね」 娘の口調が少し、柔らかくなる。
「あなたが守らなければならないのは、わたくしではないでしょう。聖王国の神よ」
「しかし、この場の誰も、お前を失いたいとは思っていない!」
「それでも、わたくしは役割を果たさなければ」
「工場はどうする? お前を信じ、頼ってきた者たちは?」
「もしあれが正しいことなら」 娘の顔に初めて、晴れやかな笑みが浮かんだ。
「きっと、その者たちが続けてくれるわ。わたくしも、彼らを信じているのよ」
話は終わった、とばかりに、かつて巫女であった娘は、手を一閃させる。
途端に、ごうっ、凄まじい爆風が部屋を駆け廻った。
とっさにアリーファと眠っている男を庇うハンスさん。
その目の前で、エイレンの姿は風にほどけるかのように、消えていった。
神の耳の奥に、最後の願いを残して。




