15.お嬢様は溺れている(2)
「知ってるんでしょ? 教えて」
鳶色の髪の少女の真っ直ぐな視線を静かに受け止めつつ、ヴィントネレは迷っていた。
セッカのワイン醸造所。
少し前に妹も含めてそこそこ賑やかな食事をしたテーブルには、今『神の新しい女』 アリーファがちょこんと腰をかけて、ホットワインをちょびちょびと口に含んでいる。
神官長の息子である彼にとって、この少女のイメージは良くなかった。
神が彼女1人にこだわる以上、国を覆う大結界を保つことは難しく、事実上、聖王国は滅びを待つのみだ。
それが分かっていながら身を引くこともせず、のうのうと神の寵愛を独占している。
無邪気な顔をしながら、とんでもない女だ……と、思ってきた。
しかし、この度、彼女は決意を秘めた表情でヴィントネレの前に現れたのだ。
「神の結界について、知っていることがあるなら、教えて」 強くこちらを射る、濃い緑の瞳。
「私にできることがあるなら、するから」
「………………」 しばし、逡巡するヴィントネレ。
気にくわない女でも、妹の友人としては歓迎すべきだ。
その判断から、彼女の急な訪問をこうして受け、ホットワインまでいれてやった。
しかし、恐縮した 「ありがとうございます」 の次の台詞がこうも直球だとは思っていなかった。
「なぜ、何か知っていると思う? なぜ、私がそれを教えると思う? そなたは部外者の一般人だ」
この答え自体が『部外者の一般人』には知らされていない秘密がある、と教えているようなものだが、ヴィントネレは気付いていない。
そして残念なことに、アリーファも気付いていなかった。
「だって僻地にドカンされてようと神殿の人だし」 真面目さが時に、いかに人の心を抉るか、の典型例のような回答である。
「教えてくれるとしたら、あなたしかいないと思ったんだもの!」
「………………」 ヴィントネレは、再び黙り込む。
確かに、一般民衆を新たな犠牲としてしまえば、それは国土を守るための近道には違いない。
しかしそれでは、神殿と王宮が、千年に渡り築いてきた権威と国の安定はどうなるのだろうか?
『国を覆う大結界の核には、王たる者しかなり得ない』
『神と王を繋ぐのは、神殿の役割である』
そう思い込ませ、最低限の安定した暮らしを与えることで、飼い慣らしてきた民衆。
彼らは一体、どうするだろうか?
それが、必ずしも真実でないと知ったならば。
一挙に決起することはないかもしれない。
しかし、続く千年、否、十年ほどであっても、これまでのまま、平穏とはいかないであろう。
(私が守りたいものは……?)
自問自答して彼は、愕然とする。
これまで神官長である父や、それに迎合する弟たちを批判してきた己もまた、彼らとさほど変わらない、という事実を悟って。
(エイレンに幸せになってほしい)
気にくわないもう1人の妹ですら、産み月も近いとなると心配だ。
無事に子を産み、健やかに育ててほしいと願う。
それに、父や弟たちが民衆の刃に倒れる日など、想像したくもない。
「ヴィントネレさん……?」
心配そうなアリーファの声にハッと我に帰り、ヴィントネレは苦笑した。
(このままでは、エイレンに叱られそうだな)
幼い頃より国のためになれ、と育てられてきた娘なら、迷いはしないだろう。
国のためなら、惜しげもなく己が身を差し出す娘だ。
親兄弟をも、顔色1つ変えずに捧げようとするだろう。
それが、正しいことかはわからないが。
「私がそなたに教えるのは、妹に恥じぬ者になりたいからだ」 ヴィントネレは、ゆっくりと口を開いた。
「後の判断はそなたがするが良い」
「わかった」
真剣な顔をしてうなずくアリーファに、端的に告げる。
「大結界の核には、王でなくてもなれるのだ」
「……? どういうこと?」
戸惑う緑の瞳に、更に解説しようとした時。
「ちょっとすまん!」 慌てた声が空から降ってきた。
ついで、唐突に空中に現れる姿は、相変わらずの無駄なムキマッチョである。
見苦しい、と顔をしかめるヴィントネレを意にも介さない様子で、神様はアリーファを抱き上げた。
「来てくれ、王都が大変なんだ!」
「ちょっと待って、今……!」
「んなもんどーでもいい!」
ここで初めて、神様の目がちらりとヴィントネレの方に向けられた。
その一瞥で、怒っているな、と理解できる。
「今後もし勝手なことを言ってみろ。僻地にドカンじゃ済まさんぞ」
この神はどこまで状況を理解しているのだろうか、とヴィントネレはまた、苦笑した。
その苦笑に、ちっ、と舌打ちを1つ返すと、神様の姿は少女とともに掻き消える。
見送ったヴィントネレは口をつぐんだまま、残されたホットワインを、あかあかと燃える暖炉に放り込んだ。
白い煙とともに、豊潤な香りが立ち上ぼり、消えていった。
※※※※※
内臓までがぐにゃりと歪むような感覚と共に、空間を渡る。
「ついたの……?」 ギュッとつぶっていた目を開け、アリーファは 「わわわっ……!」 と間抜けな声を上げた。
なんとなればまだ、地面に足がついていなかった……というよりは。
「やだやだやだ! こわい!」
アリーファの感覚からすれば、地面より空の方が近いような位置である……慣れていない。
ギュッと抱きつかれて思わず相好を崩す神様だが、極力、真剣に囁いた。
「すまん、絶対に落とさないから、見てみろ」
「……?」 こわごわと目を開けたアリーファは、次の瞬間、息を飲む。
「なに……これ?」
眼下には、見慣れた王都の街。
しかし、その道は……黒いでろでろとした物体で埋め尽くされていた。




