8.お嬢様は精霊魔術師の弟子になる(2)
「それでね、わたくし感動したのよ……わたくしにも人間らしい心の動きがあったんだ、って」
戸口に立ったままエイレンが話し続けるのに、リクウは戸惑いながら返事をした。
「……それは良かったですね」
死んだことにされて案外とショックを受けた、その体験が素晴らしかったのだと言われても。
仕事から戻ると彼女の姿が見えず、どこに行ったのかと心配していたら、帰って来るなりこの調子だ。
「これまでわたくし、己の気持ちなどは考慮せずすべきことを優先させてきたのだけれど、なんだかその……気持ちが伴うってすごいわね
世界に色がついたというか、いちいち新鮮に見えるというか、と独りごちながら頬をおさえる仕草が可愛らしい。
そういえば今までの彼女は、笑っていても瞳の奥が底冷えしているような印象があった。素直に感情を出すとずいぶん幼く見えるものだ。
「そういうものかもしれませんね」
「わたくし、理想を追う人生はもうやめにしようと思ったの」
「……世界最強を目指す?」
「そうそれもね、考え直したのよ。腕によりをかけて皇帝をたらし込んだ方が早そうなんだもの」
使うならオンナの武器よね、とニンマリするエイレン。
「一体何を目指しているんですか君は」
「ざっくり言うと、国家転覆ね。この国って政治系貴族が腐ってるでしょう?いいかげんお掃除した方が民のためというものよ」
貴族令嬢の理想は国家規模なようである。
「僕は庶民ですからわかりかねますが」
「あら、あなたにもできることはあるわよ」
「……もしあっても関わりたくないですね、正直」
護身のために剣は持っていても、できればふるいたくない。平和でつまらない日常が、リクウにとっては1番なのだ。
エイレンは戸口を離れ、炉端へ移動する。ふわりとリクウの隣に腰を下ろした。
「大丈夫よ、わたくしに精霊魔術を教えて下されば良いだけだもの」
「え……何年かかると思ってるんですか」
精霊魔術は、10年学んでどうにか1人前。これほど習得に時間がかからなければ、廃れることもなかったろうに。
「だって時間ならたくさんあるわ。せっかくこんな親切な精霊魔術師さんが隣にいる、このチャンスを逃してどうするの」
100%自己都合の理由を並べ、エイレンは目をうるませてリクウを見た。
「だからお願い。わたくし頑張るわ」
「騙されませんよ」
その表情は気の毒な守備隊長を掻き口説いていた時と同じだ。ひっかかってなるものか。
しかしエイレンはさらりとかわす。
「あら何のこと?わたくし本当に頑張るつもりよ。だって己が決めたことだもの」
リクウはため息をつき、もう一度順序だてて説明した。
「僕が断る理由は3つです。第1に習得に時間がかかりすぎる。第2に僕も忙しいので教える時間はあまりとれない。第3に、君には適性がない。以上です」
「なら大丈夫よ。時間はある、わたくしは自習が得意。3番はやってみないうちから諦めるなんて有り得ないわ」
「しかし……」
なおも言いつのろうとするリクウの口が、突然やわらかなもので塞がれた。
(なんでいきなりキスなんだ?!)
詳しく聞いてもロクな理由じゃなさそうだが、こちらから離すのも女性の気持ちを傷付けそうで悪い。
逡巡しているうちに、花の香りを残してエイレンの唇が離れる。そのままじっとリクウの目を見つめ、彼女はにっこりと呪詛の言葉を吐いた。
「それ以上四の五のおっしゃるなら、今からここで、犯すわよ」
家出貴族令嬢は、こうしてめでたく精霊魔術師に弟子入りしたのだった。




