13.お嬢様は血を流す(3)
―――この身に溢れる力は、災厄を呼ぶためのもの。
この両手は破壊の時にこそ、歓喜に震える、おぞましいもの。
そうでなければ、この国をこれほど歪めることはなかった。
禍神の力は人を介さねば、守護の力にはなり得ない。
それゆえに、守ろうとすればするほど歪みは大きくなる。
そして、最も守りたい者を、最も傷つける―――
神の目からは、精霊魔術師がエイレンの傷口に手を当て、何事かを懸命に囁いているように見えた。
止血だろう、と推測するが、詳しいことは分からず、ただ見守るのみ。
その間にも、ゆっくりと盛り上がる血が、精霊魔術師の指を染め、腕を伝ってぽたり、ぽたり、と1滴ずつ、落ちていく。
(止血が上手くいかないのか)
精霊魔術師の力量不足、というよりは、傷があまりにも深すぎるせいだということはわかっていた。
夜明け前の闇の中、セッカの精霊魔術師の館で聴いた呼び声が耳の奥でまだ繰り返されている。
いつも、その声を聞けば何を置いても行ってやっていたのだ。
しかしこの度は、行けなかった。
その目的が分かっていたからこそ、行くことはできず、じっと耐えるしかなかった。
高まる苛立ちとそれでもなお消えない信頼と、幼い頃から兄と慕ってくれていた親愛の念に。
「……行ってもいいよ」自らの不安を拭いさろうとするように言うアリーファの声が、それに重なる。
「大丈夫、信じてるから」
「いやいい」彼女を抱きしめて、首を横に振る。
「お前のためもあるがそれだけじゃない」
「うん」アリーファがうなずく。
「分かってるよ。でも、呼んでるんだから行ってあげて……そして、教えてあげて」
アリーファに頭を撫でられ、神様は困った。
正直、その信頼に応えられる自信は100%とは言い難い、というのもある。
その戸惑いに気づかぬ様子でアリーファは続ける。
「私でしょ、師匠でしょ、ハンスさんに、ヴィーさん!それから、帝国にもいるでしょ。国が、とかじゃなくて、あの子のことを大切に思ってる人が沢山いるんだよ、って」
「……知ってはいると、思うんだが」
「だけど、知っているのと言ってもらうのは、違うから、ね」
うーん、と神様は悩んだ。
アリーファのこういう所が、非常に好きだ、と思う。思うが正直なところ、自信が……
ふっ、と呼ぶ声が途切れたのはその時だった。
「まずい!」咄嗟に、口走っていた。
「エイレンに何かあったぞ。お前も来い、アリーファ」
有無を言わせず転移しようと華奢な手を引っ張れば、もう片手で予想外のパンチ。
「あいったぁ!」
「行かない。私ここの精霊魔術師任されてるし」
「……痛いって。主に心が」
涙目になるハンスさんに、アリーファはきっぱりと言い切ったのだった。
「待ってるから、絶対に連れて帰ってね。信じてるからね」
石の床に、ぽたり、とまた血が落ちて、ぴちゃ、と小さい飛沫をあげた。
(アリーファ、祈ってくれ)神様はそれを眺めつつ、心の中で語りかける。
(信じていてくれ、俺たちが望みを果たせるように)
その時、それまでほとんど動かなかった精霊魔術師の身体が、ガクッとかしいだ。
「大丈夫か!?」
黙っていろと言われたのを忘れて思わず声をかければ、「問題ありませんよ」と穏やかな返事。
「処置は終わりましたから、身体的にはもう大丈夫でしょう」
「よし!」声を上げ、満面の笑みを浮かべる神様。
飛んで精霊魔術師の隣に立ち、その肩をバシバシと叩く。
「やるなあんた、さすが俺が気に食わんヤツなだけあるわ!」
「どうも」
リクウ自身もほっとしているようだ。
息をひとつ吐くと、手についた血をペロリ、と舐めて清め始めた。
「……!?」
その動作に違和感を覚え、精霊魔術師を注視すれば、相変わらずの平坦な眼差しが返される。
血の赤が残る手から離れた口元が、微笑みの形に作られた。
「僕、変でしょうかね?」
「いや……」言葉を濁してまじまじと相手を見る。
「そんなヤツだったかな、とふと思ったんだが……よく分からんな」
「……くくくっ」可笑しそうに、リクウの喉が鳴った。
「僕自身は、あまり変わっていないつもりなのですが……思ったよりは、影響を受けているようですね」
「何をした?」
「取引ですよ」
手についた血を再び丁寧に舐めとりつつ、精霊魔術師は穏やかに説明する。
「霊鬼の力を借りて心臓に空いた穴を塞ぐ代わりに、1匹僕の方にお引っ越しいただいたんです。まぁ、あちら的には随分と手狭になっていたようでして」
「えーと……」ガジカジと頭を掻くハンスさん。
「なんでそれ、OKするんだか……ツッコミ所がありすぎて逆につっこめねぇわっ」
ふふふ、とリクウが笑う。その唇は、まだ乾いていない血で、艶やかなまでに彩られている。
「1番の理由は、手っ取り早く治癒を施したかったから、ですね。そして次の理由は、僕が引き受ければこの娘に憑いた方が抜けるのではないかと思ったのですが……」
言葉を切って何かに触れるように背中を確かめる。
「ご覧の通りです」
「いや俺からは何も見えねえから」
「本当に、つくづく役に立たない神様ですね」平静な表情のまま、キツい一言を放つリクウ。
「エイレンにも僕にも、霊鬼が憑いた状態です」
「…………」神様は声にならない呻きを上げた。
先ほどの説明から大体の予測はついていた結果であるが、実際に言葉にされると重みが違うのだ。
「どうするんだ、これから」
「さぁね」首を曲げてリクウは少し、考え込む。
「これからどうなるのか、僕にもわかりませんからね」
狂ったことすら分からず狂っていくのか、それとも虫がもたらす狂気を抑えつけつつ生きていくことになるのか。
(どちらにしても、命が救われたことに比べれば大したことではない)
そう思ってしまうこと自体が、すでに狂い始めているのかもしれない……が、自身ではどうにも判断できぬ問題である。
なるべく冷静に、と心がけつつ、リクウは結論づける。
「しばらく様子を見てみなければ外に出すのは危険でしょう。側室についても、また然り。万が一にでも国王に危害が及ぶようなことになってはいけません」
「……神官長に伝えておく」
神様がのろのろとうなずいた時。
「その必要はございませぬ、神よ」
重々しい声が響いた。
部屋の戸口に跪き、恭しく頭を垂れる人物。
神官長として長年、神殿系貴族の頂点に立つ、ガルミエレ・ド・イガシームその人であった。
読んでいただきありがとうございます。
この度嬉しいお知らせ、ハイファンタジーを書いておられる白イワシさまからレビューをいただきました!
白イワシさま、ありがとうございます。
このレビューをきっかけに読んでいただける方も増え、誠に感謝感激でございます。
では、外出される方、本日もお気をつけて行ってらっしゃいませ~♪




