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13.お嬢様は血を流す(2)

トゲクサの汁から作られた塗り薬で塞がれた小さな傷口。

黒い薬の下から赤い血が盛り上がり、薬を流して布を染める。


施療院担当の巫女だろうか。

染めのないワンピースを着た少女が、布を取り、再び薬を塗り込め新しい布をあてる。


何回繰り返しても止まらない血に泣きそうになる、その顔にもう1人の弟子が重なり、リクウは思わず神様(ハンスさん)に尋ねていた。


「アリーファは」


「行かない、だとさ」肩を竦めての返事。

「緊急だったんでな。そのまま置いてきた」


「ハンスさん……」

気持ちは分かるが、それはどうなんだろう、と非難を込めるが、神様は軽く「大丈夫だ」と請け合う。


「ヴィントネレに言っといたからな。それに」緊迫した表情の中で、金の目がほんの少しだけ、緩んだ。

「あの子の『信じてるから』は最強だろ?」


「のろけても知りませんよ」

返事しつつ、ただ1人、看病をしている少女の肩に手を置くと、びくっとひきつられた。

すぐ背後で言葉を交わしていたのに気がつかないほど、集中していたのだろうか。

振り向いたその目は、いかにもびっくりした、というように大きく見開かれている。


「よぉ、俺のこと知ってる?」ナンパでもするようなノリの神様。

「知らない?まぁどっちでもいい。ちょっとどいて。『一の巫女』様診させてね」


「あ、あ……」

驚きのあまりか、少女の口から、途切れ途切れに声が漏れる。


「私は精霊魔術師(まじないし)です。ご存じですか?」

確か王都神殿には情報が出回っていたはず、とエイレンの姉の言葉を思い出しつつリクウは尋ねた。


「…………」少女は黙ったままこくり、とうなずく。

その目から盛り上がった涙が、崩れて頬に落ちた途端、堰を切ったように訴えはじめた。

「止まらないんです!血!こんな小さな傷口なのに!」


「安心しなさい」穏やかに平坦に、台詞を紡ぐリクウ。

「僕がやってみましょう。心配は要りませんよ」


根拠が無いわけではない。

神力に満ちた身体ならでは、血を止めるために一般より多くの精霊の力を使っても、生命の維持に影響はないだろう。


だが、問題はまだあった。

神様、看病を続ける巫女。外の護衛。

ここにいる者の中でそれに気づいたのは、恐らく精霊魔術師(まじないし)ただ1人。


たとえ傷が治療できたとしても、先がどうなることだろう……という懸念を、今はその時ではない、と自らに言い聞かせて振り払う。


「集中しますので、席を外していただけますか」


「俺もか」

不満声をあげる神様(ハンスさん)をちらり、と見て、リクウは首を横に振る。


「いいえ。あなたにはお話もありますから。だが……」


「わかった」あっさりと神様は言い、少女に向かって手を振った。

「出な。終わったら、呼んでやるよ」


少女は涙目のまま、どこかほっとしたような顔になる。一礼してパタパタと軽い足音と共に去っていく。


「さて」傷口を覆う布を取り、その上に手を置くリクウ。

長くしなやかな指の下から血がつっ、と伝って落ちていき、また次の一滴がゆっくりと盛り上がる。


「説明は後でします。しばらく黙ってて下さい」


言い置いて、精霊魔術の文言を唇に乗せる。

まずは傷の深さを探っていく。

止まらない血はおそらく、深部が傷ついているが(ゆえ)であろう。


(……心臓……)

ひやり、と胃の底を冷たい手で撫でられるような恐怖に、リクウはいったん口つぐみ、そっと息を吐き出した。

少しでも遅ければ、いくら神力の宿る身であろうと、消えていったに違いない命。

助けなければ、流れる血とともに、どんどんと消えていくであろう、命。


それを前に、ほかのことなど考える余裕はない。


(とにかく塞がなければ)


やみくもに精霊魔術の文言を唱え出すが、すぐに手応えの無さを感じて、止まる。


(神力が邪魔をしているのか……)


神力は致命傷を負ってもなお、身体を維持するのに役立つ一方で、精霊魔術の効きを悪くする。

表面の傷はなんとか塞げても、心臓までは無理なのだろうか。

だが、心臓に穴が空いたままでは、エイレンは死に向かっていくしかない。


それだけは、だめだ。

たとえこの後、彼女が本来の彼女ではなくなったとしても、目の前で死なせることだけは、認められない。


(なにか、方法は)


焦りを抑えつつ考えようとするリクウの瞳に、虹色に輝く蝶の翅が映った。

精霊魔術師にしか()えないその翅は、横たわるエイレンの背に押し潰されるようにして、微かに震えている。


()た瞬間に、マズいとしか感じなかった。

先ほどまで問題だとしか思わなかった、それ。

なぜもっとしっかりとエイレンを止めなかったのであろうと、今この場で治療を施しつつも密かに悔やんでいた、虫たちの存在。


それが今、唯一の救いに見えた。


『一の巫女』の裡深くに入り込んでいるであろう彼らなら。

彼らももとは、精霊であると言うのならば。

害悪しかなさない、そのような精霊は滅多にいないはずだ。もともと彼らは善でも悪でもないのだから。


『吾が声が聞こえるか』翅に意識を集中し、精霊の言葉で語りかける。

『力を貸せ。お前たちとて、(ねぐら)を失いたくはないだろう』


1度では届かない。

エイレンは彼らに何度も何度も呼びかけていた。

―――何度も。彼らに届くまで。


なぜもっと助けてやらなかったのだろう、ちらり、と後悔する。

今こうして言葉を変え、言葉を重ね、彼らに語りかけることができるのなら、エイレンが1人で戦っていた時も同じことができたはずだ。


彼女にしかできないと思い込み、己の役割を決めつけてしまうことで、どれだけのものを抱え込ませてしまったのだろう。


エイレンならその誇り(プライド)にかけて、たとえ限界を超えても目の前の者を見捨てないと分かっていたのに。


『助けよ、その娘を助けてくれ』何度目かの語りかけの時、翅が大きく震えその輝きを増した。

好機だ。さらに熱を込めて、畳みかける。

『力を貸せ』


―――ナンデモ、―――

その声は、リクウの頭に囁くように聴こえてきた。


―――ナンデモ、スル、カ―――


聞き落としてしまいそうな囁きは、いったん聴こえてしまえば強烈に胸を縛る。


(恐れてはならない、善と思ってはならない、悪と思ってはならない)


リクウは息を整え、かつての師の教えを思い出す。

師は直接に鬼と渡り合ったことはなかったが、またその師から教えられたことを、伝えてくれていたのだ。


その知識はじゅうぶんとは言えないが、今はそれにすがるしかない。


『何でもしよう』注意しつつ、声に答える。『妥当な取引であれば』


一瞬空気が震え、霊鬼の満足そうな哄笑がリクウの頭に響いた。


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