12.お嬢様は虫に喰われる(2)
「ぅわっ……!」
輿の周囲にいた神官たちが、小さく悲鳴を上げて飛び散る破片を避ける。
(巫女様が乱心された!)
彼らの胸をよぎった動揺は、次の『一の巫女』の行動で確信に変わった。
「このような衣装も、邪魔ね」
神力を集めた指先が触れると、白絹を重ねた衣装が、ざくり、と裂けた。
はらはらと、花弁のように美しい白が、地に落ちる。
巫女の身に残されたのは練絹の下着のみ。
短い裾からは引き締まったふとももが覗いている。
露になった、形の良い胸の膨らみやしなやかな身体の線から、神官たちは慌てて目を反らした。
「よせ、エイレン」
その下着をさらに脱ごうとしたところで、オウドが止めに入った。
マントを脱ぎ、細いがかっちりとした肩に着せかける。
「あら兄さん。脱いだ方がエロくないとおっしゃったでしょう?」
「確かに言ったが、それはダメだ」真面目な忠告である。
「若い神官のことも考えてやれ」
「いい加減慣れろと言っておあげ」
憮然とした口調だが、脱ごうとする手は止まっている。
しかしオウドは、さらにエイレンを抱きしめた。傍目からは、巫女の暴挙を止めているようにしか見えないはずだ。
「神官長様にお知らせ下さい」戸惑っている若い神官に告げる。
『一の巫女』様ご乱心、責務の続行は不可である、と」
「オウド兄さん」咎める口調。
「バカなことをおっしゃると、一生嫌いになるわよ」
「おまえでなくてもいいんだ。それにここまで急がずとも、まだ時間はある」
「甘くみられたものね」イライラとエイレンが言う。
「まさかオウド兄さんまでが、わたくしが悲劇的な自己犠牲精神に酔っていると思われるだなんて」
「そんなことは思っていない」
「なら行くわ。放しなさい」
「ダメだ。放さない」放したくなど、ない。
こうして抱きしめてやりたいと、ずっと思ってきたのだ。
それを明かそうなどとは今この瞬間でさえ考えてはいないが。
「お前はどう見てもおかしい。そのような状態で神に捧げるわけにはいかぬ」
「神様なら『あっれーどうしたのそのカッコ!ヤる気満々!?』などと喜ぶだけだと思うけれど」
「……本当に変わったな」心底、感心するオウド。
まさかこの状況で『一の巫女』が冗談を言うとは。
確かに素で顔を合わせる時にはふざけた軽口の応酬も多かったが、基本は彼女は責務に対して真摯だった。
今はむしろ『責務』などどうでもいい、と思ってるようにさえ見える。
なのに、なぜ以前のように逃げようとはしないのだろう。
それがオウドには不思議だった。
今も、用意されていた全てを壊しながら、なぜ彼女はここに留まっているのだろう。
『責務』以上の何が、ここに留めさせているというのだろう。
正体の分からないそれに妙な嫉妬と怒りを覚えつつ、オウドはため息をついた。
(悲劇に酔うような女だったら良かったのに)
それならば、きっと、こんな言葉も彼女を引き止めるには有効だろうに。
「行かないでくれ」耳に口を寄せ、囁く。
「一刻でも長く、おまえといたい」
「………………」
長年の付き合いだ。
エイレンの怒りが高まっているのが、よくわかる。
おそらくは『この期に及んで下らないことを』とでも思い、期待を裏切られたことに腹を立てている、といったところだろう。
(もっと怒るといい)
先の『春の大祭』の夜のように。
(怒りに任せて、逃げれば良い)
今度こそ、誰の手も届かぬ場所へ、逃げてしまえば良いのだ。
それがたとえ国を滅ぼすことになっても、それで良かったのだときっと思えるだろう。
ただ、彼女の怒りを高める。
そのためだけに、オウドは胸の奥にしまいこんでいた想いを口にした。
「愛している」
次の瞬間、エイレンの強烈な肘が、キレイにオウドの鳩尾に決まる。
薄れゆく意識の中で、彼は満足して笑った。
冷たい夜の片隅を、今にも消えそうな月がかすかに、かすかに照らす。
神殿の裏口に、武装した神官を引き連れて現れた神官長が目にしたのは。
徹底的に破壊された輿と、地面に散って鈍い光沢を放つ白絹の衣装と、その上で気を失っている『一の巫女』の護衛だった。




