11.お嬢様は振り返らない(3)
「きゃあっ」「うわぁっ」
ドサッと落ちた処は、まさに男女の行為の最中、であった。
セッカの精霊魔術師の家から、神様に強制的に送られた先が、である。
もちろん神様の嫌がらせだろう。
(さて、どう取り繕ったものか)
とっさに気絶したフリをしつつ、リクウは状況を探る。
落ちる前に一瞬見えたのは、木の床に白いシーツ。粗末だが、掃除は行き届いている。今もシーツからは、清潔なミントの香がほのかに漂っていた。
「どういうことなんだ!」男の不機嫌な怒鳴り声。
「金は払わんぞ!」
どうやら、娼婦の家であるらしい。
女の困惑した声が聞こえる。
「本当にごめんなさいね、旦那様……もちろん、お代金は要らないわ」
「うん?あ、ああ……」
絶対に争いになると思っていたのだろう。
丁寧に謝られ、男は気勢を削がれた形である。
女が男にしなだれかかっている気配。
「許して下さるの?お優しいのね……」
「いや、そのだな」
戸惑う男に、旦那様のようなお優しい方は初めて、と女は囁く。
「今日はお代金はいいわ。その代わり、また明日来て下さいませね?」
「……わかった、また来よう」
嬉しいわ、とはしゃいでみせる女。
ちゃら、と銀貨の鳴る音がする。
「まぁ……そんな、よろしいのに。わたくしは旦那様が来てくだされば、それで」
「いや、いいんだ。とっておけ」
「旦那様……」おそらく女は、男の首に腕を回していることだろう。
「また明日。着飾ってお待ちしておりますわ。旦那様だけよ」
なかなかやり手だな、とリクウは感心した。
男はコトも成さず、リクウを咎めることもなく、金を払っているのだ。
しばらくして、女が男を見送りに立つ。
別れにもう一度、淑やかな調子の繰り言が放たれており、男はそれだけでも満足しているもようである。
女の方はといえば、しばらく戸口に佇んでいたが、やがて戻ってきた時には軽く口笛など吹いていた。
2枚の銀貨を手の上でちゃりちゃりと鳴らし、上機嫌の様子である。
「いつまで寝たフリしてるんだい、精霊魔術師さま」
客に対する時よりトーンの低い声とぞんざいな口調。
リクウはそろりと目を開け、起き上がる。
視界に飛び込んできたのは見覚えのある女だった。
豊かな黒髪と胸、それに褐色の肌。
「センさんだったんですね。分からなかった」
「そうかい」センが嬉しそうに顔を崩した。
「ほら姫さんが言うところの、けいえーどりょく、というやつさ」
「なるほど」
リクウはうなずく。
客の前での上品な口調はエイレンを真似たのだろうか。
かなり練習したのだろう、滑らかな物言いだった。
センは機嫌良く手の中の銀貨を鳴らす。
「今、初めての客を捕まえてはそれとなく、異国のお貴族出身だって宣伝しててね。名前も考えたんだ。セン・ドール・カジン」
「貴族の姫らしい名ですね」
「だろう」センはにっ、と唇を歪めた。
「おかげで料金は銀2枚。ほかの娘たちも宜しくやってるよ。神殿からの仕事も時々来るし、まったく何もかも姫さんのおかげだね」
「いえ、あなた方が頑張ったおかげでしょう」
リクウは曖昧に微笑んだ。
2度目に出会った時、エイレンはここで仕事をしていた。
そのことが、今更ながらにリクウの胸を痛ませる。
―――王宮の中でも川原の小屋の中でも、することは変わらない、とあの娘は言っていた。
高飛車な物言いや態度の陰に隠されている絶望。
それに気付いたのはいつからだったろう。
もしあの娘が何かを望むなら、その全てを叶えてやりたいと思うようになったのは、いつからだったのだろう―――
「はい、ワインでもどうぞ」
ぼんやりとたどる過去を絶ち切るかのように、センがリクウに杯を差し出す。
「それでアンタはどうやってここに落ちてきたんだい、精霊魔術師さま」
黒い瞳が好奇心に満ちてこちらを見る。
「事故、とでもいいましょうか」
「ふうん。ま、イロイロあるやね」それ以上聞く気はないのか、センはリクウが飲み干した杯を受け取ると立ち上がる。
「さて、あたしは次の客でも探しに行こうかな」
「え、まだ稼ぐ気ですか」
「決まってるだろう。稼げる時に稼がなきゃね」
ニヤリと不敵に笑うその顔は、意欲に満ち溢れていた。
※※※※※
娼婦の小屋が並ぶ川原からもう少し下れば、川向かいに均された地面と、真新しい木の建物が現れる。
工場の建設予定地だ。
「ハルサは今、火山灰の方にかかりきりだよ」
ハルサと一緒に帝国から渡ってきた技師、リヴェリスは精霊魔術師を案内しつつ、説明した。
「今こっちは土台を作っているんだ。火山灰は煉瓦にして積んだ方が良いってことになってね。設計図を見るかい?」
「いえ」リクウは首を横に振り「完成したら見せてもらいますよ」と付け加えた。
カンカンカン、と杭を打つ音や人足たちの掛け声が賑やかに響く。
「あれから鬼たちはでてきませんか?」
「ああ。発つ前に大掃除していってくれたろ?お陰で快適だ」まったく聖王国にはヘンなのがいるな、とリヴェリスは笑った。
「そっちの……セッカ、だったかな。どうだった?」
「雪が降らず、霊鬼がそこそこ発生して」
「霊鬼?」
「土鬼が羽化して目に見えなくなり、精神に巣食い、人を狂気に誘う」
「それは……厄介だな」リヴェリスは腕組をした。
「そんな時にこっちに戻っても良いのか?」
「あちらでは、雪が積もらない限り精霊魔術師の仕事はさほど無いのですよ」
「じゃあ、しばらくはこっちか」
「分かりません」ここに来て何をしようというのだろう、とリクウは考える。
アリーファが「そっちの方が喜ぶ」と言ったのにうっかり乗り、神様に強制的にドカンされて王都に戻ってしまった。
だが、聞かされ続けてきた彼女の望みを叶えるならむしろ、神様とアリーファを説得してそれぞれの義務を果たさせた方が良かったのではないだろうか。
………………誰が?
確かにエイレンの望みはその通りだ。
本来生きる力を民が取り戻せるようにするために、身を捧げてもかまわない。
それは大したことではないのだと、彼女は言い続けていたはずだ。
その望みは全て叶えてやりたい。
けれども、それが、どうしても認められない時はどうすれば良いのだろう。
まだまだ修行不足、とリクウは内心で小さくため息を吐いた。
「いつまで居るかはわかりませんが、仕事はいつでも受けますよ」
「よろしく頼む」
リヴェリスは快活にリクウの肩を叩き、人足たちに指示を出すために彼の傍らを離れたのだった。
※※※※※
王都郊外の精霊魔術師の館にリクウが戻った時には、日はすでに落ち、闇があたりを支配していた。
1つ1つ、手探りで透輝石に明かりをつけていく。
青白い灯に照らされて、部屋は少しずつ蘇る。
どっしりとした書き物机、炉、寝台、天井から吊り下げられたハーブ、簡素なチェスト。
見慣れた光景の中で、彼女だけがそこにいない。
そんなことはしょっちゅうあったはずなのに、とリクウは思った。
むしろ、一緒に暮らしていた期間などほんのわずかなはずだ。
(なのになぜ、泣いているのだろう)
答えは分かっている。
ここで待っていてもエイレンが帰ってくることはもう、ないだろう。
彼女のために何かをなせるならば、それで良かった。
けれど、何もなせないままで、去るのを見送らなければならないとしたら。
川原の娼婦たち。
聖王国の発展をかけた、工場。
エイレンが残したものを穏やかに見守りながら、彼女だけがいない生活を送らなければならないとしたら。
(そうなる前に壊れてしまえればいい)
頬に涙を伝わせたまま、リクウはのろのろとたまっていた手紙の整理を始めた。
何も感じず、考えなくても済むように。
読んでいただき、ありがとうございます。
更新二週間近く空いてしまいましてすみません。
その間にもブクマ下さる奇特な方がいらっしゃったりして……もう感謝しかございませんです!
鬱っぽい展開にも関わらず、お付き合い下さってる方本当にありがとうございますm(_ _)m
良い三連休をお過ごし下さいませ~
台風被害に遭われている方、早い復旧をお祈りしております。




