11.お嬢様は振り返らない(1)
「私はひとりでも大丈夫だってば」
少女はそう、主張した。
「しかし……」精霊魔術師の普段は平静な口調が、困ったような響きを帯びる。
「万一、何かあっては」
「ハンスさんに来てもらえばいいもんっ」
「神様も忙しいでしょう」
「来てくれなかったらもー婚約者やめる」
アリーファの言に、ゲホッとリクウは咳き込んだ。
「いつの間に婚約……」
「師匠がヘタレ風味にごちゃごちゃ悩んでいる間」
まだ公認じゃないけどねっ。プロポーズもされてないけどねっ。
それでも、もう決めたんだもん、と内心でニヘニヘとする。
さすがにこの雰囲気の中で顔に出して笑ってはいけない、と自戒するアリーファ。
リクウがはて、と首をかしげる。
「ヘタレ風味にゴチャゴチャ……」
「し・て・た・で・しょ!今もっ!」
「いえ、別に……」言葉を濁しつつ、リクウは短く切った木にカンカン、とノミを入れていく。
飛び散った木屑が炉に飛び込み、小さな煙を上げて黒く燃え尽きる。
「器を作っているだけです。後で湯が冷めにくくなるようまじないをかけるので、その時には教えますよ」
「師匠……」アリーファは憐れむような眼差しをリクウに向けた。
「それ、何個め?」
エイレンがあっさりと神殿からの使者と共に王都へ向かってしまった後。
精霊魔術師の『冬の館』に戻ったリクウはひたすら器を作り続けているのだ。
弟子に言われて、ひいふうみい……と数え、ああ、と頷いた。
「少し、作り過ぎましたねぇ……まぁ、需要はありますから。ではまじないを教えましょうか。今は原型を作ったところ。この後、文字を刻み、さらにうるしを吸わせて乾燥させ、磨くのですが……」
「し・しょ・ぉ?」わざとゆっくりした口調で、リクウの説明を遮るアリーファ。
「で?ほっといたら、エイレン明日には国王様の側室になってるんじゃないの?」
ゲホゲホッ、とまたしても咳き込むリクウ。ノミを打つ手が完全に止まっている。
(考えないようにしてたんだね……)
おおむね分かっていたけれど、とアリーファの憐れみ視線がより深まった。
いざという時に仕事に逃げる男。
それがヘタレ師匠の正体、なのである。
「しかし僕にできることなど何も。それに……」
「言い訳はいりません!」ピシャリと言い切ってみる。
「ちゃんとエイレン連れ戻してこないと、これからヘタレって呼ぶからね!」
「……別にかまいませんが」
リクウはキリで引っ掻くようにして、器に精霊魔術の文言を刻みはじめる。
「師匠プライドは?」
「ありません。ヘタレですから」
イライラとして炉端を叩くアリーファは、ふとある可能性に気づいて問いかけた。
「もしかして師匠、フラれたと思ってショック受けてますか?」
「………………」
ノーコメントは肯定と同じだ。
わかってない、と天井を仰ぐアリーファである。
「エイレンはもともとそういう子でしょう?師匠がわかってなくてどうするの?」
「ではアリーファは、追いかけていって何か変わると思いますか?」
問い返されてしばらく考え、首を横に振る。
連れ戻す、なんて本当は、難しいに決まっているのだ。
「きっと『前から分かっていたことが決まっただけで何をジタバタと。見苦しいこと』とか言ってアッサリ嫁に行くと思う」
「でしょう」
「んー……でもね、でも」絶対に、違うとアリーファは思う。
諦めるのと見苦しくてもほしいものを掴もうと必死で手を伸ばすのは。
何が違うのだろう?
一生懸命考えて、なんとか言葉を紡ぎだす。
「でも、絶対に、そうした方がエイレンは嬉しいよ」
キリを持ったリクウの手が、また止まった。
アリーファが呼ぶ。
「ハンスさん!」
「はいはーいっ、と」
前から待機していたかのように、天井付近にポッコリと浮かぶ、ムキマッチョ。
無駄に筋肉を見せびらかすポーズは相変わらずだが。
「……なんか疲れてる?」
「いやもう平気!と言いたいんだがなぁ……」と、アリーファの横にトン、と降り立つハンスさん。
神様でも目の下にクマができるのか、とリクウは密かに感心する。
「あっちを立てればこっちが立たず、というところだな」
「この辺り、かなり放置してるよね、もしかして」
「……もーそれ!ホントごめんよ!としか言いようがないっ!」
「あ、そうなんだ……」誤魔化されるとイラッとくるだろうが、素直に謝られると可哀想になってくる。
なんとなく聖女スマイルを意識してニッコリしてみるアリーファ。
「じゃあ、しばらくこっちもヨロシクね!休養も兼ねて、ここに住んでね!」
「なんでそうなるんだおいっ!」
「え?知らないの?神様なのに?」
アリーファはきょとん、とした後、ことのあらましを説明した。
「……あーあ」神様が頭を抱える
「まぁ、アイツならそうだよなぁっ……でももう少し相談してくれるとか……」
「えーそれは……」師匠もハンスさんもアテにするには少々残念だからじゃない、と思うアリーファである。
言えないけど。
「とりあえずさ、ハンスさんが王都にいたら、絶対に近々エイレンに……お、お、おっ!」
「ん、何だ?『お』?」
「襲われるから、こっちに隠れてて、でしょう」
ハンスさんが不思議そうに尋ねれば、リクウが落ち着いて後を引き取り、アリーファが真っ赤な顔をしてコクコクと頷く。
「え?それ、俺が応じなければよくない?」
「……自信ありますか?」
「……うーん……たぶん……」
腕を組んで首をひねるハンスさん。
本当に大丈夫かな、と不安にさせるオーラ全開である。
そこは自信満々に『まっかせなさい!』と言ってほしいところだが、いかんせん神様は正直だった。
ムカッとしたアリーファはとりあえず、ハンスさんの足を踏む。
「いたっ……主に心がっ!」
「もっと痛めそして反省しろ」
「すまん、絶対に応じない!約束する!」
涙目を向けられて、ようやく恋人の足を解放するアリーファ。
「そんなわけで、師匠がしばらくここ留守にするから、ハンスさん代わりによろしく」
「よろしくお願いします」
精霊魔術師も頭を下げる。
意外なものを見た、というように、ハンスさんの目が見開かれた。
「アンタ……追う気か」
「はい」
「ヘタレなのになぁ……まぁ頑張れよ」しみじみと言い、バシバシとリクウの肩を叩く。
「じゃあ、俺からの餞だ」
神様の言葉が終わると同時に、稲妻のような閃光がリクウを包む。
ゆらり。
その身体が空気に溶けるように消え、あたりはまた静かになった。
アリーファが不安げに問う。
「ハンスさん、今、何したの?」
「んー?」神様はボリボリと頭を掻き、わざとらしくあくびなどしてみせる。
「お師匠さん、王都へ送った。まぁ、無事に着いていれば、バラバラにはなっていないはず……ぐげっ」
アリーファの足は、神様のつまさきを再び、したたかに踏みつけたのだった。




