8.お嬢様は精霊魔術師の弟子になる(1)
街の郊外にある精霊魔術師の館からしばらく歩くと川原へ出る。
先の小さな事件から3日ほどエイレンは死んだように眠っていたのだという。しかしその間、捕らえた暴力男の処罰に関して何か動きがあったのかというと
「まだ何も」とリクウは即答した。
姉はともかく父まで一体何をモタモタしているのだろう、と思わないでもないが、不覚にも3日も他人の世話になって寝ていたような己ではそれを言う資格はない。
川原は以前見たときとそれほど変わらず粗末な小屋が立ち並んでおり、しかしそのやや上流の方に、洗濯をしているらしいエルとクーの姿が見えた。
向こうからこちらの姿を見かけて手を振ってくる。手を振り返すと、エルは更にはしゃいでピョンピョンはねてみせた。
「あのね、ノミが少なくなったよ!」
開口1番の彼女のセリフがこれである。掃除や洗濯をよほど徹底したのだろう。
「よかったわね」
「あんたも怪我、すぐ治って良かったねぇ」
心配したんだよ、とクー。おしゃべりをしているとセンがやってきた。
「あら、お姉さま、ご機嫌よう」
「ご機嫌ようじゃないよ、姫さん、ちょっとほら、頭隠しな!」
「?……まだお昼前よ?」
営業時間でもないのになぜ。
「あんたはもうここで商売できないよ」
そういえば姉にそんな約束をした。それをセンが知っているということは
「もしかして誰か来た?」
「なんか王宮からの使い……みたいな人が来て、あんたのこと『本当にいないんですね』ってしつこく聞いていったよ」
エイレンは舌打ちをしたい気分になる。
(姉上ときたら!普段ボーッとしてるくせにわたくしのことだけはこうなのだから)
センが続けた。
「あと、ほらあの単純男……じゃなくて、守備隊長さんも来て。奥さんともうすぐで離婚できるから、って」
「わたくしあの男と結婚するなんてひとことも言っていないわよ」
当然、正妻になりたいとも言っていない。
「うん、他人の家庭は壊しちゃいけないよねぇ……それで面倒だから、あんたもう死んだことにしといたんだよ」
「わかったわ」
貧民は死ねばまとめて焼かれ、共同墓地に埋葬される。しかも急死は珍しくないから、雲隠れするにはぴったりの言い訳だ。
しかし、川原の女達をどうしよう。出て行くのは簡単だが、まだ何の指導もできていない女もいる。
ここの生活改善という目標への道はまだ程遠いというのに、こんなところで退場とか無いだろう。
クーがエイレンの顔を見上げた。
「もしかして姫さん、ショック受けてる?」
「わたくしが?……ああそうかも」
「あ、あたしだって!好きであんたを死んだことにしたんじゃないんだよッ!」
センが慌てるのがおかしくて、エイレンは小さく笑う。
「わかっているわ。むしろお礼を言うべきよね……機転を利かせてくれてありがとう」
以前の己なら用が済んだらさっさと去ることに何の疑問も持たなかったろうが、今では少し名残惜しい。
エイレンは黙ってセンからタライを受け取り、洗濯を始めた。




