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10.お嬢様は別れを告げる(3)

聖王国の北、セッカの町は、戸惑いに満ちていた。

暦の上でも冬に入り、例年ならば雪がすでに厚く積もりだす頃だ。


しかし、今年、連日のように穏やかな空が広がり、その下には赤く塗られた屋根が、所在なげにぽつぽつと散らばっている。


そんな町の中央付近にある精霊魔術師の家の、目印ともなっている(にれ)の樹の下に、彼らはいた。


精霊魔術師とその2人の弟子。

そして、街の者たちと、彼らの手によって追い立てられた、明らかに異様ななりの女である。


見物人に囲まれる中。

女は、金の髪に蜜色の瞳を持つ精霊魔術師(まじないし)の弟子と対峙している。


緊迫した、といえないこともない光景だが、ここで。


「ふぁーあー」と大きくあくびする鳶色の髪の少女がいた。

「なんか……暇なんですけれども」


エイレンが髪を振り乱し包丁を振り回す女に向かい精霊魔術の文言を囁きかけるのを遠巻きに眺めつつ、アリーファはブツブツと文句を言っているのだ。


ハンスさんは遊びに来てくれない。

そして、セッカの町で起こる困り事といえば、ちょくちょく起こる霊鬼の発生のみだ。


霊鬼は、エイレンにしか浄化できないので、アリーファの仕事はこの後のちょっとした治療の手伝いだけである。


「例年なら雪下ろしや雪かきの手伝い、病気の治療などで忙しいんですが……」リクウが首をかしげる。

「これでは勉強になりませんねぇ」


「別にいいけど」ぷうっと頬を膨らまし眉をひそめるアリーファ。

「少なくとも治癒は勉強になるし……あの子ったらまたあんな!」


目の前では、エイレンが女の持つ包丁の刃を握りしめ、奪おうとしているところだった。


指から流れる鮮血が手のひらを濡らし、白い腕を伝って(ひじ)から(したた)り落ちる。 

家をすっぽりと覆う赤い屋根よりも更に深い紅が、地面に黒い染みを作る。


それを見た女の口から、ケ、ケ、ケ……と笑い声が漏れた。

エイレンもまた、口角をキュッとつり上げている。 


痛みなど感じていないかのように、女の手から刃を抜き去ると、それをグッサリと地面に突き刺す。


その間も、微笑みの形の唇からは精霊魔術(まじない)が漏れている。


やがて女の動きが止まった。

どさっ……重い音を立てて地面に倒れ伏す。


その背から目には見えない蝶が飛び立つ。


「いつ()てもキレイ……」

アリーファが呟いた。

精霊魔術師(まじないし)としての意識に映るのは、無色の(はね)と虹色の鱗粉(りんぷん)だ。


蝶は虹色の光を撒き散らしつつ、しばらくエイレンの周囲を飛んでいたが、やがて、そっとその胸に止まった。


奥深くへと潜り込むように、徐々に姿が消えていく―――


「エイレン!」蝶が完全に()えなくなると、アリーファは急いで駆け寄った。

血に(まみ)れた腕を取り、治癒のまじないを唱える。

ややたどたどしく呟かれる言葉に従って、指と手のひらを縦断していた傷口がうっすらと塞がっていく。


「どうして毎回こう無茶するのっ」


「あら何もなければ、あなたが退屈でしょう?アリーファ」手を閉じたり開いたりして傷の具合を確かめつつ、くすり、と笑うエイレン。

「練習台になって差し上げているのよ?」


「ぐっ……」

痛いところを突かれて押し黙るアリーファである。


そう確かに。

こちらに来てから、エイレンは怪我が絶えない。

霊鬼の憑いた人の多くが、なかなかにして攻撃的であるためだ。

そしてアリーファは治癒の術を習い始めたわけだが……


最初の数回は、またしてもエイレン(練習台)の魂が飛びかけた。

また、傷口を塞ぐつもりが、傷口からたくさんの芽が出て春の花が咲き出したこともあった。 


かろうじて師匠(リクウ)がフォローし、なんとかしてくれつつ、現在に至るのである。


言葉に詰まったアリーファをエイレンは(たの)しげに眺めた。


「わたくしは別にかまわないのよ?」


「ウソだ、それ絶対」


「いいえ?次はどのような面白いことが起こるのかとワクワクいたしますもの」


にっこりと聖女スマイルを浮かべるエイレンに、ムカッとするアリーファである。


(な、なにか逆襲……そうだっ)


「その後の師匠の手厚いケアが楽しみなんでしょ、どーせ」


「あら」エイレンの顔がずいっとアリーファに寄せられる。

「手厚いケアとは、どのようなものかしら?た・と・え・ば?」


「う・う……」表面だけは邪気の欠片もない聖女スマイルを向けられ、アリーファの顔が赤くなった。

「エ、エイレンのバカぁっっ!」


お約束の叫びを上げたところで、リクウが「できましたか?」と近づいた。

エイレンの手をとり、傷跡を指でなぞって確認する。

「今回はなかなか上手ですね……しかし」


「は、はい師匠」


「やや、治癒しすぎです。ほかの人なら力を取られすぎて眠ってしまうところだ」


精霊魔術による治癒は、人の身体に満ちる精霊の力を使う。

治癒はしすぎると『怪我が治って心臓止まる』事態にもなりかねないのだ。


しまった、と思いつつ、コクコクうなずくアリーファを「でも上達しましたよ」ともう1度ほめ、リクウはエイレンの顔を覗き込んだ。


「醸造所の時より、霊鬼の取り込みに時間がかかっていますね」


「あらそうかしら」


「もしかしたら、そろそろ限界が近いのでは?」


「まさか。このわたくしが?」彼のブルーグレーの瞳をまっすぐに見て、エイレンは微笑む。


「心配は要らないわ」


「そうですか」ああ嘘だな、と思いつつリクウはうなずく。


彼女の決意はいつも固い。

もし去るのでなければ、受け容れるしかない。


「もし浄化しきれなくなっても、僕は君を殺したりできませんよ」


「わたくしの周りはツマラナイ男ばかりね」

つん、とそっぽを向くエイレンに、リクウは肩をすくめてみせる。


「申し訳ないですね」


「ではアリーファでいいわ」


「絶・対・お・断・り・!」


「まぁ」


形の良い眉がきゅっと持ち上げられた時。


「失礼します、失礼します」と丁寧に挨拶をしながら人垣を分け、1人の男がエイレンの前に出てきた。


頭頂部で独特な形に折り返された帽子、神殿の紋が黒々と刺繍された白いマント。


笑える古式の服装は、神殿からの使者の証でもある。


「『一の巫女』様」彼はうやうやしく(ひざまず)き、頭を垂れた。


「とっととお下がり。今は違うわ」

静かで冷たい声である。


「いえ『一の巫女』様であられます」ちらりと目を上げ、また頭を下げる使者。

いきなりの高飛車な態度にも、その主張と丁寧さは崩れない。


「帝国側より国王と皇女の縁談破棄が申し出されました。我が国はこれを受ける方針です」


「なんですって」

落ち着いた声で遮る巫女をちらりと見遣った目が、再び地面に落とされる。


「それに伴い、現在の側室様が正妃に昇格、『一の巫女』様の側室入りが決定されました」


「そう」感情の見えない平坦な声でエイレンが答える。

「別にかまわないわ。いつ?」


「正式には来年の春の大祭。しかし、内々にはすぐにでも」


人垣の後ろで待つのは2頭の馬。

確認したエイレンは、無言でそちらに歩いていく。


「ではね」


それが、彼女の別れの言葉だった。

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