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10.お嬢様は別れを告げる(2)

その日の夜遅く。

フラーミニウス家の広大な庭園の隅を、1つの灯がゆっくりと移動していた。

この家の家長である宰相が蝋燭の入ったランプを持ち、後に続くのは、その次男。いかにも不承不承(ふしょうぶしょう)といった面持ちである。


この2人が散歩など珍しい―――彼らを知る者なら、そう言うだろう。

2人は顔はソックリなのに、相性が悪かった。


「明日から事務方は当分、聖王国との婚約破棄関連で慌ただしくなる」重々しく宰相が言いつつ、庭園の一角に灯を向ける。

地面を覆う柔らかな黒い土の上を、オレンジ色の弱い光がユラユラと照らした。


秋の花が終わった跡、春に向けて球根が植えられたところだ。


「ほら、見ろ。この辺りはチューリップだな」


「仕事と母上の想い出の関連性が全く理解できませんが」


「情緒の無いヤツめ」


「父上似です」


確かに、とフラーミニウス宰相は思った。


もとが無愛想で頑固な点だけが異様に似ており、だからこそお互いに苛立つ関係なのである。


「……それだから養子など押し付けられるのだぞ」


「その件、父上から断って下さい」


足元の小石を蹴りつつボソボソと言うルーカスに「断れるものか」と顔をしかめてみせるフラーミニウス宰相。


「我が国の秩序は法と皇帝により成り立っている。皇帝からの命令を拒むなど、基本はしてはならぬ」


「これは十分に基本から外れているのでは」


「気にするな。そなたが結婚前に養子をもらおうと、ソッチの()があるなどという噂はこの父が立てさせぬわ」


ルーカスは黙って下を向き、ぎりぎりと歯ぎしりをする。

他の者がいえば冗談であろうが、この父の場合は本気だから始末が悪い。


「兄上の方が適任でしょうに。結婚もされるし」


「あれは商人だ。将軍にはなれぬ」


「私とてなる気はありません」


出世は、それはある程度はしたい。

しかし将軍など冗談ではない。

トップに立つ者の仕事は自らが汚れぬように細心の注意を払いつつ人を使うことである。


向いていない。


「分かっておる」フラーミニウス宰相は重々しくうなずいた。

「お前を将軍などにしたら、情に流されて大ミスをした挙げ句に我が家は取り潰しだからな」


「……さすが父上だ」言葉の端に皮肉を込める、ルーカス。

―――もともと自分と同じような直情径行型であった父は、宰相になる頃には老獪(ろうかい)さを身につけていた。

政治の上でそれは必要なことであったろうが、一種の敗北のように見えるのも事実である。


「私は父上のようにはなりたくない」


「なれるものか」ふん、と鼻で笑う宰相の顔の上で、蝋燭のほのかな明かりがゆらめく。

「逃げても良いぞ。もともと期待しておらぬわ」


「大事なお家が潰れますよ」


「今のお前ごときに潰せるものか。いざとなれば私が、あの小僧を養子にすれば良いのだ。30年後には将軍になっているやもしれん」


「……さすがに皇女殿下を30年待たせるのはいかがなものかと」


「相変わらず愚かだな」ボソボソとした息子のツッコミに、フラーミニウス宰相は呆れた顔を返す。

「気付かなかったのか?我が家と縁ができた時点で、あの小僧は十分に皇女を得る資格があるのだよ」


「ああ、そういえばお偉いお家柄でしたね」


ルーカスが反感を剥き出しにし、一方で、悠然とうなずいてみせるフラーミニウス宰相。


「そうだ。もしあの小僧に借りを返すだけなら、私の養子にした方が良い……なぜ、皇帝陛下がそうなさらないか、わかるか?」


「わかっていても知りません」


息子のぶっきら棒な口調に、宰相は思わず苦笑する。


(あのお方が選んでいるのは、ひねくれ者ばかりだな)


反抗期どうし、気が合うのだろうか。


「皇帝陛下は次の腹心を探しておられるのだ。ジジイどもはやがて死ぬからな」


「父上は我々よりよほど長生きしそうですがね。しぶといですし」


「ありがたい話だ。私も何人もに対してそう思ってきた」穏やかに宰相は告げる。

「しかしそれは幻想に過ぎない。私たちの後に、皇帝陛下をお支えする者が必要だ」


「興味ありませんね」


「あの方と実際に会い、話しても、そう思うか?」


問われてルーカスは息を吸い、また吐く。夜の中に湿った土の香りが濃く漂っていた。


「私はどこに居ても皇帝陛下に忠なる者です。それで勘弁していただきたい」


「頼む」

フラーミニウス宰相が立ち止まり、土に膝をついた。

帝国風の最敬礼だ。

「父上!?」ルーカスの慌てた声が響く。

「お立ち下さい!」


「どこに居ても皇帝陛下に忠なる者……今この帝国に、心よりそう言える者が何人おろう?」差しのべられた息子の手に、宰相はランプを差し出した。


「頼む。お前にしか頼めない。皇帝陛下の腹心となり、あの幼い方を支えてやってくれ」


「……私では役不足です」


「誰でもがそうだ。できるからやるのではない。心があるから動くのだ」


大仰なため息と共に、ルーカスがランプを受け止る。


「父上は相変わらず、心だけは理想主義だったのですね」


「そうだ。今でもな、夢に見る」


先帝の仕事は激しい内戦で荒廃した帝国を建て直すことだった。

どこから先に手をつけるか?

『重要ではない』『メリットが薄い』

まずは切り捨てるように申告した土地にも人は住み、生きることに苦しんでいた。


できる限りのことはしたと己に言い訳する傍らから、もっと良い方法があるのではないかと疑問がわく。

その繰り返しだった。


今でも見る夢は、荒廃していたはずの土地を通りかかれば、そこが普通の町に変わっている―――そのような夢ばかりだ。


子供たちは痩せていない。女たちが夜、ひそかに路地に立つこともない。


ああ良かった、あれで正しかったのだ、と思いながらも、町の中を顔を上げては通れない。


目が覚めてから、町の名を呟く。

その町も今は復興している。

分かっていても、誰にも言うことのなかった罪悪感は消えない―――。


「私は父上のようにはなりたくない」


冷たい風がランプを揺らし、ふっと中の蝋燭を消した。

闇が徹底的に相性の悪い親子を覆う。


「なれるものか」フラーミニウス宰相は立ち上がり、膝を払った。

「ならなくて、良いのだ」


「当たり前です」ふん、と鼻で笑うルーカス。

「ボケておられないようで何より。後10年は現役ですな」


「ではお前が将軍になれば引退することにしよう」


「クソジジイ」


「進歩のないヤツめ」


「父上似です」


慣れた悪口雑言の応酬をしつつ、2人は夜の庭園を歩く。



その遠く南の空では、一つ星(ソルステラ)が柔らかな光を放っていた。

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