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10.お嬢様は別れを告げる(1)

この反抗期どもめ。

フラーミニウス宰相は、謹厳な表情を崩さぬままに内心でそう、呟いた。


皇帝の執務室の真ん中に立つのは浅黒い肌の少女。その脇に立つのは、決意を秘めた眼差しの少年と、自分とソックリの顔をした若者。


少女が、暗い紫水晶(アメジスト)の瞳を真っ直ぐに皇帝に向ける。


「お兄様、わたくしのお願い、聞き入れて下さいますでしょう?」


聞き入れるワケがあるか、と宰相は無言で毒づいた。



その願いとは―――



「わたくし聖王国には参りません。婚約破棄してくださいませ」


今朝一番で執務室に乗り込んだ皇女は、兄であるユリウス帝に向かってそう告げたのである。 


皇都に来て以来、この少女は、ひたすら怯えて小さくなり、固い表情でうつむいて過ごしていたはずだ。

前皇帝の血が入っている分、僻地(ノートース)のほかの民とは違い、多少は立場を弁えているのか、と捉えていたが。


(どうやら違ったようだな)


皇帝に対して多少の畏怖の情は残っているらしいものの、今、少女の表情は昨日までとはうってかわって、のびやかだ。


兄にわがままを言う妹、そのものである。


(わがままの内容がとんでもないところが、やはり南風の地(ノートース)の民だ)


そのようなとんでもない願いが聞き入れられるなど、子供だましの物語の中だけである。

しかも、聖王国への旅立ちの日程も決まった、この期に及んで言い出すなど。


暑さか踊りすぎかで頭がやられてきたのだろう、としか思えぬ。


(だから毎年誕生日の度、たとえ女子であっても引き取り宮殿で育てるべし、と進言したというのに!)


当時の『善良なる(ボーヌムス)』マルティス帝は、頑として首を縦に振らなかったのだ。


その結果が、これである。


皇女が嫁ごうと嫁ぐまいと、聖王国との友好などは大した問題ではない。

問題は、国のための手札にならぬ皇女が育つことなのだ。


(そなたなぜ説得しなかった!?)


保護者のように皇女の傍に控える、己が次男に対して目だけで尋ねる。


すると、真面目な顔が一瞬だけ『ざまぁみろ』とでも言いたげに崩れ、すぐに元のお堅い表情に戻った。


同じ顔であるだけに、腹が立つ。


しかし、と静かな息とともに苛立ちを吐き出しつつ、フラーミニウス宰相は考えた。


(反抗期どもが多少騒いだところで、皇帝陛下は動くまい)


線の細い外見や無邪気な表情、前帝の思想を踏襲したかのような人道主義的な政治観に騙されがちだが、この『年若き(ユヴェニシス)』皇帝は幼児のような冷酷さと年齢以上の腹黒さを兼ね備えている。


これまで、さして関心を持たなかった妹のために、他国との締約を違えるはずがない―――


皇帝の口から『否』が放たれるのを待ちつつ、宰相は降ろした手の人差し指で長衣の縫い目をせわしなく叩く。


とととととと……静かに細かく刻まれるリズムが不意に止まったのは、皇帝が口を開いたからだ。


しかし、それは宰相が期待していた返事ではなかった。


「して、なぜだ?」


アナスタシアは傍に立つ少年の腕をぐいっと引っ張った。

手首に巻かれた糸に残った、数個のガラス玉が揺れる。


「わたくしが愛しているのはティルスです。ほかの方には嫁がないわ」


辛うじて謹厳な表情を保ったまま、唖然とするフラーミニウス宰相。


(従者に嫁ぐだと!?)


今度こそ返事は『否』であろうと期待して待てば、皇帝は「ふむ」と考え込む。


「言えばその者が殺される、とは考えなかったのか、アナスタシアよ」


兄から初めて名で呼ばれて、少女は身震いをした。


「お兄様は殺したり、なさらないわ」


「ほう」翡翠の瞳が剣呑に細められる。

「確かに余は殺さぬ。余は、な」


前のように『その意図を忖度(そんたく)して動く』ことは、皇帝の怒りを買って以来無くなったものの、合図があれば腹心たちはすぐに動く。


(またネルヴァとカティリーナあたりを使うか)


フラーミニウス宰相は構想を練る。 


―――間抜けな刺客を使うより、今回の方が彼らは得意なはずだ。

もと貧民の従者ひとり、罪を着せて合法的に追放や死に追い込むことなど、赤子の手をひねるようなものだろう―――


皇帝からの合図があればすぐにも捕らえさせよう、と待ち構えている時、ティルスが動いた。


皇帝に向かって(ひざまず)き頭を垂れる。


「おそれながら申し上げます」しっかりとした声。

「皇帝陛下に私は貸しがございます」


(なんと不敬な!)眉間に深い皺を寄せる宰相に反して、皇帝は満足げにうなずいた。


「その通りだ」


「……おそれながら陛下」ついに宰相は口を挟んだ。

「皇女が平民に降嫁するなどあり得ませんぞ」


「おや宰相は異なことを申す」にやりと『年若き(ユヴェニシス)』帝は笑った。

「我が国は完全実力主義のはずだ。身分など関係ないだろう」 


「しかし……」


「10年下さい!」ティルスが叫んだ。

「10年で将軍になります!そしたら、アナスタシア様と結婚させてください!」


皇女がうなずき、フラーミニウス宰相はまたしても唖然とし、それまで黙っていたルーカスがボソボソとツッコミを入れる。


「アホか」


真っ赤になってうつむいたティルスに、皇帝陛下の笑い声が被さった。


「ふむ。では、10年で将軍になれる男の養子にしてやろう。というわけで、命令だ。フラーミニウス補佐官」


「………………」皇帝の急な振りに、凝り固まるルーカス。

しばらく絶句した後、首を横に振った。

「いや私などは、将軍の器ではございません」


「では今からそうなるよう、努力しろ」


「おそれながら、御免被(ごめんこうむ)ります」


「おや。そなたは『忠義な(フェデリタス)』フラーミニウス家の者ではなかったのか」


言われて、ルーカスは口の中でギリギリと歯ぎしりしたのだった。

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