9.お嬢様は願っている(3)
白く柔らかい光は、1つ星のものだと思った。
(ここはどこ?)
アナスタシアがうっすらと目を開けると、懐かしい母の顔が見えた。
「お母様!」嬉しくなって呼び掛けると、記憶の中のままの笑顔が返ってくる。
「ご病気は?もういいの?」
「ええ、もうすっかり」にっこりと褐色の手で胸を叩いてみせる母。
「とても楽になったから、あなたは悲しまないでいいのよ、ターシャ」
久々の呼び名に、これまで心臓を覆っていた固いものが、一気に剥がれ落ちる。
「良かった!」
母の胸に飛び込むと、優しい両腕がしっかりと抱きしめてくれた。
(あ、わたし、小さくなってる)
幼さの残る自分の手は5~6歳、といったところだろうか。
夢か、と気付いて少しがっかりする。
でもよく考えれば、星の柔らかな光で満ちた白い空間が、夢以外のどこかであるはずはなかった。
ならば、できるだけ長く、ここに。
「お会いできて嬉しいわ」
「お母様もよ」ゆっくりと髪を撫でてくれる手が、気持ち良い。
豊満な胸に顔を寄せれば、カカオとローゼルの混ざったような、芳ばしく甘酸っぱい香までが、昔のままだ。
「でも、ずっと、あなたのことは見ていましたよ」
「ほんと?どうやって?」
「一つ星にお願いして」いたずらっぽく母が笑う。
「だから、ターシャがずっと頑張っていたことを知っているわ」
思いがけない言葉に、涙が溢れてきた。
皇太后も兄である皇帝も、離宮の侍女たちも、誰もくれなかった言葉。
身体を締め付け、動きを奪うようなドレスを着て過ごす。駆け回らず、大きな声で笑わず、常に優雅に。
どんなに努力して近づこうとしても、彼らの『普通』には届かなかった。
丁寧に優しく接してくれてはいたが、彼らとの間には、常に壁があった。
『僻地の姫では仕方がない』
それは彼らが陰で言っている口癖。
彼らなりに、許容できない壁を許容しようとして出ている台詞には違いない。
けれど、それはアナスタシアの気持ちに少しずつ傷をつけていったのだ。
「ずっとね、傷ついたりしちゃ、いけないと思っていたの」ぐずぐずと泣きながら、訴える。
それはアナスタシア自身の問題で、誰にもどうしようもできないことだから。
「悲しんだりもしちゃ、いけないと思っていたの」
追いつかないのであれば、その分努力しなければならない。
わかってほしい、などは、ただの甘えでしかない。
そうして耐えてきた何かが、胸から溢れてとめどなく流れ落ちる。
「そう。本当によく、頑張ったのね」母が優しく背を撫でてくれる。
「あなたはお母様の誇りよ」
アナスタシアは声を上げて泣き、泣きながら「お母様、大好き」と言った。
ひとしきり流した涙がようやっと止まった時。
「さて、ところで」母がアナスタシアの髪を撫でながら、またいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「出会えただけで良かったと思える人と、会えたようね」
言われて、糸がほどけたままだったはずの腕輪が手首を彩っているのに気づく。
色とりどりのガラス玉が、1つ星の光の中で静かにきらめいていた。
「ええ」うなずいて「でも……」と口ごもる。
「どうしたの?」
「出会えただけでは、いやなの」
「そう?」
小首をかしげる母の顔は、少し嬉しそうだ。
「ずっと一緒にいたいの。それに、それだけじゃ、いやなの」
「そうなの?」
「手をつないで走ったり、一緒に踊ったり、したいの」
「楽しそうね」
母が目を細めて、アナスタシアの頭を撫でる。
「……でも、できないの」
「どうして?」
「お母様だって、ご存知でしょう?聖王国の、お妃になるのよ」
「あら、ターシャはいつからそんに聞き分けの良い子になったのかしら?」くすくすと母が笑った。
「誰が止めても裸足で屋根の上を駆け回るような子だったのに」
「昔の話よ」
アナスタシアは唇を尖らせる。
それには直接応えず、優しい手が額にかかった髪をかきあげ、褐色の額がコツンと寄せられた。
「お母様があなたに言ったこと、覚えてる?」同じ、紫水晶の瞳が間近で微笑む。
「いつもあなたらしく」
「「いつも心を開いていなさい」」
よく似た声が重なった瞬間に、どこからか風が吹き母の姿がかききえた。
「さぁ、あなたは、どうすれば良いでしょう?」
いたずらっぽく笑みを含んだ声が響き、それが、やや高めな少年の声と重なる。
「……様!アナスタシア様」
目を開けば、見慣れた空の色の瞳が泣きそうになりながら、必死に見つめていた。
「……ティルス」
うまく動かない喉で、呼び掛ける。
「アナスタシア様!どこか、苦しいところはないですか?僕が見えますか?」
「ティルス」手を差しのべれば、強く握り返される。
「わたし、ずっと、あなたと手をつないでいたいの。ずっと、あなたの瞳を見て笑っていたい」
「僕も、です……いえ、その……」
口ごもり、首を横に振ろうとするのを、もう一方の手を伸ばして止める。
「……お兄様にお願いするわ」口にした瞬間に、恐ろしさに震えた。
でも、大切なことは、怯えて従うことではない。
「わたしは、聖王国へは行かない」
アナスタシアはきっぱりと言い切り、再び目を閉じた。
「馬車の用意ができたが」力なく下ろされた手を抱きしめるティルスに、ぼそぼそと声が掛けられる。
「はい、大丈夫です」
ティルスは頷き、気を失っている少女の身体をそっと抱え上げたのだった。
読んでいただきありがとうございます!
毎回更新押し押しですが、今回もなんとか週の前半中にup~!
というわけで見直しほぼ0で載せるという暴挙に出ております。アラは後でちょいちょい治しますので、ご容赦をm(_ _)m
もし気づいた点教えていただければ、めちゃくちゃ感謝します!
そして今まで読んで下さっている方、ブクマ評価下さっている方どうもありがとうございます。皆様は神様だと本気で思っておりますm(_ _)m
では~まだまだ暑いですので熱中症にお気をつけて。




