8.お嬢様は虫を喰う(3)
「で、本当に大丈夫なの、エイレン」
翌朝。
日の出と共に精霊魔術師はブドウ園での仕事を始めた。
樹の1本1本に虫除けと次の実りを願う精霊魔術をかけるのだ。
師に従ってその技を学んでいる2人の弟子のうち、鳶色の髪の少女は明らかに眠そうだった。
「夜中に急に物凄く悲しくなったり、死んでやるぅっ、て思ったり」言葉を切り、あふ、とあくびをする。
「人を殺して血を浴びたくなったり、しなかった?」
「あらどうだったと思われて、アリーファさん?」エイレンがにこやかに応じた。
「心配して徹夜でわたくしの様子を見てくださったあなたとしては」
「うん。こっちがこんなに眠いのにスースー爆睡してるから蹴飛ばしたくなった」
「本当、よくあれだけムダに頑張れたものよね」
「む、ムダって……」がぁん、とショックと眠気でよろめくアリーファである。
「ひとが決死の覚悟で太ももナイフで刺しつつ起きていたっていうのに」
「…………」
押し黙るエイレン。
そのまま無言でアリーファに意識を集中させる。
「な、なに……?」
「いえ」何でもないわ、と首を横に振り、ふうっとため息をつく。
「あなたにも霊鬼が憑いたのかと思ったのだけれど、違ったようね」
「いやホント私、それくらいしないと起きてられないから」
「存じてはおりますけれども、ね」エイレンはわざと不機嫌に言ってみる。
「このわたくしが、あんな虫ケラ1匹、満足に飼えないと本気で思っておられるの?」
「いやだって、エイレンは確かに色々と規格外だけど、その分無理と無茶を平気でするからさぁ……」
モゴモゴと言い訳をし、あふ、と再びあくびをするアリーファである。
「お弟子さん方」樹の1本に精霊魔術を施し終わったリクウが2人に声を掛けた。
「今の聞いていましたか?」
「ええ」澄ましてエイレンが答え、傍らの別の樹に触れた。
そのまま、スラスラと精霊魔術の文言を唱える。
「……いかがかしら師匠?」
「違いますが、それでもできないことはない、ですね」
「そうでしょう?」
「……まぁ、良いでしょう」リクウはあっさりと頷き、アリーファの方を見た。
「どうですか?できそうですか?」
「すみません師匠」しょんぼりとうなだれるアリーファ。
「次は、ちゃんと聞きます」
「いいですよ」穏やかにリクウが言う。
「寝ずの番で疲れているでしょう。今日は早めに切り上げて昼寝でもすると良い」
「あら、ずいぶんとゆったりね」
「どうせ1日では終わりませんからね。しばらくこちらに滞在しなければ」
「どの程度かかるのかしら?」
「まぁ……1人でするなら、明け方から夕暮れまで働いて10日程度、といったところですね」
「そう。なら、わたくしが手伝えば5日ね」
「私も覚える!」アリーファがあくびを噛み殺し、こぶしを握りしめた。
「急がなきゃ!だって、きっと霊鬼ってここだけじゃないよね?」
「まぁ、そうでしょうね……けれど」リクウがのんびりとした様子で弟子たちの背後を示す。
「ここにもまだ、いるようですよ」
「え?ええっ!?」
アリーファが慌てるよりも先に、エイレンは動いていた。
すっとしゃがむ。
その背後から、大柄な男が音もなく襲ってきた。
すかさず、エイレンが立ち上がる。
ごんっっ。
固そうな音が響き。
「うううっ……!」
男は顎を押さえてうずくまった。
一方でエイレンの方は、相変わらずの澄ました顔で、己が頭をさすっている。
「頭突き……?」
「正解」
短く返事しつつ、まだ頭をさすっているところを見ると。
「もしかして、衝撃でハゲがっ!?」
「とっても面白いわねそれ」真顔で応じ、エイレンは手に黒い鞭を出現させた。
ひゅんっ。
軽い音を立てて鞭を男に巻きつける。
「ううっ……!」
呻き声を上げてもがく男を蹴り上げ、倒れたところで、その頭をぐりぐりと踏み、顔を地面に押しつける。
男はしばらくもがいていたが、やがて諦めたように動かなくなった。
そんな男をおそるおそる、つまさきでツンツンつつくアリーファ。
「なんか、昨日と随分扱いが違うね」
「この人けっこう、ここ長いのよ」エイレンは、さらに念入りに男を踏みつけ、力を込めて蹴り飛ばす。
ごろん、と仰向けになった、土で汚れた顔を見て、アリーファは絶句した。
「…………な、な、なんだか、認めたくないけどっ」
「でしょ?」
コクコクと頷くアリーファ。
気絶したその顔の、半開きになった口は明らかに笑っていた。
閉じられたままの目にも四角い頬にも、満足感が漂っている。
「以前にこの方から、踏んでくれ、とコッソリ頼み込まれたことがあって」
「え……まじですか」
「まじですわ」真顔のまま、エイレンがうなずく。
「その時は、喜ばれても全く楽しくないから断ったのよね」
「…………今は?」
「さあ?」
クスッと笑うエイレンに、アリーファは複雑な表情である。
「では後はよろしく」2人の弟子に、リクウは穏やかに声を掛けた。
「僕は作業を進めます」
「どうぞ。アリーファも行っていいわよ?」
「うん」エイレンに促され、師の後に続いたアリーファがふと、振り返った。
「気を付けてね、エイレン」
「そのような必要がわたくしにあると?」
「ううん。でも、念のために、ね?」
「くだらないわね」
師と友を見送り、エイレンはもう1度、今度は男の背を踏みつける。
折しも吹いてきた風が、長い金の髪をやわらかくそよがせた。
笑みの形に歪んだ唇から、精霊魔術で使う言葉が漏れ出す。
『おいで……わたくしの裡で、好きなだけ貪りなさい……』
甘く、優しく、囁くように。
霊鬼に誘いかけ、魅了する。
『お前を守ってあげましょう。こちらにくれば、お前を憎む者も狩る者もいない。だから、おいで……』
やがて。
不可視の蝶はふわりと男の身体を離れ、神の色を持つ巫女の胸に止まったのだった。
読んでいただきありがとうございます!
更新押し気味だったにも関わらず、ボチボチ読んでくださる方やブクマして下さる方がいて……クルクルと喜んでおります!
これまでお付き合いして下さっている方も、新たに読んでいただいた方も、本当に感謝ですm(_ _)m
台風きてますね。外出などお気をつけて~。




