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8.お嬢様は虫を喰う(1)

窓を乗り越え、目をギュっと瞑って、ジャンプする。


次の瞬間。


ふわり、と、風のクッションは優しくアリーファを受け止め。


そして。


消えた。


どんっっっ!


なかなか良い音を立ててアリーファは地面に腰をぶつける。


「いったぁ……エイレンひどいっ」


「だからすぐ消えると申し上げたでしょう?」


「わかってたもんね!こういうヒトだってことはっ……」


ぶつくさと文句を言う間も、人々の悲鳴と怒号は止まず聞こえてくる。


「館内ね」


エイレンがさっさと歩き出し、アリーファは「もうっ!」と頬を膨らませつつ後に続いた。


セッカでは井戸は住居内に設えられている。その井戸の()に、人だかりができていた。


井戸の傍には抜き身のナイフを持つ男。


「やめろっ!」ナイフを取り上げようとした別の男が、振り払われて宙を飛び、地面に胸を打ち付ける。

「うっ……」苦しそうに呻き声を上げて転がったまま、起き上がれないようだ。


ナイフを持つ男は目を血走らせ、無言で刃を自身の胸に押し当てる。 

それを止めようと別の男がまた彼に向かい、投げとばされる。


尋常でない力だ。


先程から聞こえていた騒ぎは、これが延々と繰り返されていたのだ。


「自殺なら喉元掻っ切る方が効率的なのに」エイレンが呟けば「やめてくれ」と近くのスタッフが返す。


「井戸が(けが)れる」


「確かに困るわね」


「そうだ」スタッフは重々しく頷いた。

「死ぬのは勝手だが、きちんと墓穴掘ってその上でやってくれんことには迷惑で仕方ない」


「その言い方ないと思う」

アリーファの至極まっとうな意見に答える者はなかった。


「とりあえず、止めましょうか」エイレンが口の中で精霊魔術の文言を呟き、手の中に黒い鞭を出現させた。

「失礼いたしますわ」


人の間を縫って前へ出ると、ナイフを持つ男に向かいパシィッと鞭を走らせる。

軽い音と共に、しなる鞭が今にも胸を突き刺そうとしていた腕に絡んだ。


「……!」

男が無言のまま腕を振り回すと、鞭はますます男の腕に(まと)わりつき、その自由を奪っていく。


「蔦のように機動性はないけれど、この鞭は伸びるのよね」


「まだ蔦にこだわってたんだ」


「同じ精霊魔術(まじない)のはずなのに、どうして出てこないのかしら」


「性格だと思う」 


「確かに勝手に縛ってくれるよりわたくしの手で縛る方が好きだわ」


エイレンはアリーファとのんびり会話しつつ、鞭を強く引いた。

男がバランスを崩した拍子に、カラン、と音を立ててその手からナイフが落ちる。


コン、とエイレンの爪先で蹴飛ばされたナイフが真っ直ぐに宙を飛ぶ。


「うぉぉっ!?」「なにするんだ!」


スタッフたちが非難めいた声を上げて避ける中、ナイフはぐっさりと樫の壁に刺さった。


アリーファが呟く。

「エイレン、もしかして怒ってる……?」


「いいえ?」にっこりとエイレン。

「このナイフが避けられなかったら、王都神殿に奏上して軍事教官を送っていただくところだったのだけれど、さすがにそこまで鈍った方々はおられないようで安堵しておりましてよ?」


「つまり怒ってるんだね」


再びのアリーファの呟きに、フン、と鼻で応じてエイレンは再び精霊魔術の文言を囁くように唱えた。


片手に現れたもう1本の鞭を、同じように男に向けて、ひゅっと放つ。

避ける間もなく、その両脚は動きを封じられた。


どさっ、と大きな身体が倒れる。


「ぐっ……!……うううっ……!」


唸り声を上げて暴れる男にエイレンはツカツカと近づくと、(ひざまず)いてその(あご)をとらえた。


次の瞬間。


「ああっ!」スタッフたちの間から、悲鳴に似たどよめきが上がる。


彼らの目前で、『一の巫女』は身をかがめ、男の唇にキスをしたのだ。


「……ううっ!……う……」

男は呻きながら逃れようと身じろぎを繰り返し、やがて静かになった。


「あら他愛もない」エイレンは気を失った男を優しく蹴ってその背を皆に向けた。

「これがお分かりかしら」


スタッフたちは一様に顔をしかめて首を横に振る。

うちの1人が「それはともかく、あのようなお戯れは避けていただきませんと」とさらに渋面を繰り出した。


「だって首を絞めて陥とすのは意外と難しいのよ?」エイレンは平然と言い放ちつつ、アリーファを見る。

「アリーファ、あなたになら()えて?」


アリーファは真剣に頷いた。

「エイレンは?」


「わたくしはぼんやりとしか。神力が邪魔しているから」


「そうなんだ」


「ええ。人間、己に危険が無いものは見えにくいようにできているのよ。所詮は他人事、とね」


「相変わらずひどい女」


2人のやりとりを聞いていたスタッフの1人が不満げに声を上げた。


「何が見えるというのですか」


「それは今から」エイレンがアリーファの肩をぽん、と叩く。

「この子が説明いたしますわ」


「ひぇっ……私!?」


「当然でしょう。あなたが一番よく()えているのだから。お願いね?」


再びぽん、と肩を叩かれてアリーファは緊張しつつ話し出した。


「えと、精霊魔術では気の流れ……精霊の動き、のようなものを読み取る訓練をするんですが」


「それがどーした」

分からない話が続くことに苛立った1人がヤジを入れ、エイレンから無言のまま、ただ眺められて押し黙る。


「できるようになると、普通は人に見えないものが()えるようになってきます」師匠のように100%明確に、とはいかない。

けれど、アリーファにとってそれは、かなりはっきり分かるものだった。

「あの、それで、そうして()てみると、その方の背中には、蝶の(はね)のようなものが」


「蝶の(はね)だと!?」「そんなもの無いぞ」「妄言ではないのか」

ざわめく人々を視線で抑え、エイレンはアリーファの後を継いだ。


「わたくしにもかすかに()えますが、あなた方には()えずとも無理はない……この方は神官の資格がない人でしょう?」


スタッフの中でも年嵩の、実直そうな男が姿勢を正して答えた。


「はい、雇い入れている下働きですから」


「何人ほど居て?」


「今は休閑期に入りましたから……各人が雇っている者を含めても10名程度かと」


「ではその者たちに今後、注意なさい」


「どういうことですかな?」


エイレンはごく普通のことを話すような声音を使う。

「神力の無い者には霊鬼が憑きやすいからよ」


瞬間、周囲が静まり返った。


「霊鬼……だと?」


「その通りです」穏やかな声が井戸の間の入口から聞こえ、人々の視線がそちらに移る。

「鬼たちにとって神は天敵です。神力を持つ者たちは、逃げられるか襲われるかどちらかでしょうね」


そこには長身の青年が立っていた。

隣には、酒造責任者の神官。


「師匠!」「兄上」アリーファとエイレンの呼び掛けに、リクウは「はい」と応じ、ヴィントネレは仏頂面を作った。


「鍵は」  


「窓から出たわ?」 


「次は鎧戸にも鍵をつけておこう」


「兄上。一生嫌いになるわよ?」


「大丈夫だ。一生閉じ込めて守ってやるから」


「相変わらずですこと」

エイレンが声を立てて笑い、アリーファがコソコソと囁いた。

「今の冗談?」


「いえ本気。けれど、わたくしに破れないものなどないわ」囁き返し、エイレンは師と兄を見て微笑んだ。


「さて、こちらの霊鬼なのだけれど、わたくしに任せていただけないかしら?」

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