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7.お嬢様は兄上様に会う(3)

セッカの精霊魔術師(まじないし)の館は、村のほぼ中央にある。

そこでリクウは、毎年恒例の客を迎えていた。


「早いですね。うちの娘たちが知らせましたか」


「ああ」手短に答えるのは、短い銀の髪に濃紺の瞳、エイレンによく似た顔立ちの男だ。

神殿の酒造責任者は固い表情で頭を下げた。

「不本意ではあるが、今年も頼む」


依頼されているのは、ブドウの樹の1本1本に、次もよく実るようにまじないをかける作業である。


「了解しました。すぐに行きましょう」


気軽に立ち上がるリクウに、ヴィントネレはいぶかしげに問うた。


「村は?かまわないのか?」


「もう診てきましたから」


例年なら到着するなりすぐに、3~4軒は廻ることになるのが常だが、今年は1軒だけだったのだ。


「そうか」ヴィントネレはすぐにうなずく。

「雪が降らなければ、セッカに精霊魔術師(まじないし)は不要だからな」


「そうですね」


リクウは苦笑する。

精霊魔術師(まじないし)に対する敵意は、いかにも神官らしいものだ。

人は己に利する者に擦り寄りがちなものだが、初めて顔を合わせてから10年経つのにヴィントネレの態度は変わらない。

ここまでくるとむしろ、清々しい程である。


「報酬は例年通りで構わないか?」


「ええ、助かります」


ひと冬の間の馬の貸与、飼い葉、それに上級ワインひと樽。

いずれも雪深く、薬が不足する地では、必須と言っても良いものだ。


「よし。馬はもう用意してある。乗れ。ワインは後で届けさせよう」


「助かります」


リクウは軽く頭を下げ、ヴィントネレについて外へ出る。


館の目印にもなる大きな楡の木。

そこに、貸与される馬が繋がれているのも例年通りだ。


だが今回は、少し変化があった。


馬の背に、乗り心地の良さそうな鞍が付けられている。


「どうした?早く乗れ」


不機嫌に急かされ、礼を言う間もなく馬に乗る。


「行くぞ。小川を越えたら、速歩(はやあし)だ」


一方的に告げて馬の腹に合図を送るヴィントネレに、やはり礼を言う間の無いまま、リクウも後に続いた。



しばらくお互い無言の常歩(なみあし)が続く。


「ヴィントネレ様。鞍を」有難うございます、とリクウが言う前に、ヴィントネレの生真面目な声が被さった。


精霊魔術師(まじないし)殿はご存知かな」


「何をでしょうか」


「君の弟子の1人は、私の妹なのだが」


「……ああ、そうなりますね」


曖昧にうなずけば、やや悲痛な響きを帯びた生真面目な声が問う。


「どこまでされた?もう喰われたか?」


「お言葉ですが……ご自分の妹君に対して、もう少し、言いようというものが」


さすが兄妹よく分かっている、と感心しつつ、のらりくらりとかわそうとするが、相手はそれを許さない。


「訊かれたことに答えろ」


「……喰われてませんよ」嘘ではない。


「よし」ヴィントネレはうなずき、噛み含めるように言った。

「いいか、猛攻されても、乗るなよ。耐えろ」


「ですからご自分の妹君に対して、もう少し、言いようというものが」


「ではあの子が、君に対して何も仕掛けてこぬと思うかね」


「…………」


「答えられぬか。まぁ、そうだろうな」無言を勝手に肯定と受け取った様子で、ヴィントネレはさくさくと話を進める。

「これはもちろん、あの子のためだし、君のためでもある……前の男は処刑された。あの子は、地位と立場を捨てた」


「…………」

それは、初めて遭った時のことだろうか、とリクウは考える。

『春の大祭』の夜、彼女は「逃げてきた」と言い、彼もまた、それ以上のことは尋ねなかったのだ。


「あの子は、恋をしていたわけではなかった。泳がせている、と言っていたし……それが本当だった、と思う」ヴィントネレは訥々(とつとつ)と語る。

「しかし処刑は、やりすぎだったのだろうな。おかげであの子を捧げ物にしようとした連中は泡を吹くことになってしまった」


小川に差し掛かったが、馬は常歩(なみあし)のままである。


「ヴィントネレ様は処刑を止めようとなさったのですね」


リクウの確認に、自嘲するような声が返される。

「国の片隅で酒を造っているだけの者に、そのような力は無かったがな」


「それはエイレンがそうする、と分かっていたからですか?」

「いや、処刑が行われれば、きっとあの子が傷つくだろうと思ったからだ……ああ見えて本当は、情の深い、優しい子なんだ」


「そうですね」

うなずいたリクウをジロリと睨み、ヴィントネレは決然とした口調で言ったのだった。


「私は何もできないが、それでも、あの子を傷つける者を、未来永劫、絶対に許さない。たとえ、神でもだ」




※※※※※




その怒号と悲鳴が聞こえたのは、アリーファが「退屈ぅぅぅ」と呻きつつ寝台の上をゴロゴロしていた時だった。


「ああああっ」「やめろ!」「ダメだ!」「やめるんだっ!」

それまで静かだった醸造所に複数の声が響く。


エイレンの蜜色の瞳がきらりと光った。

「良かったわね、面白そうなことがあって」


「それを『面白そう』っていうあなたの感性が謎だよエイレン」


アリーファが動きを止めた時にはすでに、エイレンは戸口でブツブツと精霊魔術(まじない)による解錠を試みていた。


「これは……無理ね」


「え、そんなに難しいの」


「どうも外側から掛けられた鍵は外側からしか開けられない、ということのようよ」


「ナニソレ使えない」


精霊魔術(まじない)はもともとが、そのようなものでしょうに」エイレンは考える間も置かず、結論づける。


「窓から出ましょう」


「ここ2階」


「飛び降りても、死にはしないわよ」


「やだ」


「なら、わたくしが先に降りてサポートするわ」


エイレンは微笑み、鎧戸を開けた。

窓枠や(とい)をつたい、薄暗くなってきた戸外へとするすると降りていく。


すとん、と地面に降り立つと、腕を広げて上に呼びかけた。


「大丈夫よ。わたくしが受け止めて差し上げるから、安心して落ちていらっしゃい」


「それ何の冗談」


「あらよく冗談だとお分かりね」


(こんな状況で笑えるなんて、やっぱりこの女オカシイ)


アリーファはやや憮然としてそう思う。外からは人の悲鳴と怒号がまだ聞こえる。

鎧戸を開けた分、それらはより切実に響いていた。


「ほら、早くなさいな」エイレンが腕を広げたまま、再び呼びかける。

「絶対に落とさないわ」


「いやだ『とか申し上げてやっぱり落とす』とかありそう」


「あら、それ面白いわね」


クスクスと笑い、エイレンは神魔法の詠唱を始めた。


周囲に、風が渦巻く。

神魔法で呼ばれた風は人を切り裂くほどに強く、狂暴だ。


その上に、今度は慎重に精霊魔術(まじない)を被せていく。

強い神魔法の力に打ち消されてしまうそれを、諦めることなく、何度も何度も繰り返す。


やがて。神魔法の風は、不可視の薄絹のような精霊魔術(まじない)の結界で覆われ―――


「どうぞ」エイレンは再びニッコリとアリーファを促した。

「今ならクッションがあるから大丈夫。早くしてちょうだい。すぐに消えてしまうわよ?」


アリーファは恐る恐る下を見た。

エイレンが目に見えないクッションを窓の下に置いてくれたのだ、とは分かる。

よく冗談を言い嘘もつき、他人をからかって遊ぶのが趣味というトンデモナイ女だが、こういう時のエイレンは、信用できるのだ。


だけど、恐い。

飛び降りるという、その行為自体が。


(ええい!やってやる!)


アリーファはギュッと目を閉じると、窓の外へと身を踊らせた。

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