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7.お嬢様は兄上様に会う(2)

―――国を覆い守護している結界が弱まった時、『鬼』と呼ばれる異形の生物が暴れ出す―――


「彼らは急に現れるわけではない」


住居に着くと、ヴィントネレはエイレンとアリーファに手ずからホットワインを配り、彼も1口飲んでから説明を始めた。

暖炉の火が、その整った生真面目な顔をあかあかと照らしている。


「鬼たちはな、普段は神の力に抑えられ、奥深くに潜んでいるものが、力が弱った隙をついて顕現するのだ」


「その通りですわね、兄上」


「この度の動乱は、もちろん結界が弱まっているのがおおもとの原因ではあるが……」いったん言葉を切り、再びホットワインで口を湿らせるヴィントネレに(なら)い、アリーファもカップに口をつける。


アニスの甘い香とワインの華やかな芳香がふわりと鼻腔をくすぐった。


「お前が急な変化を持ち込んだ地域に限り、里神では狩りきれぬほど発生しているようだな、エイレン」


「ええ」兄の鋭い目線を平然と受け、エイレンは微笑む。

「神の支配に慣れ深い場所でまどろんでいたところ、地上が(うるさ)すぎて叩き起こされたのでしょうね、きっと」


「笑いごとではない」ヴィントネレの声が若干とげとげしくなる。

「お前は貧民の救済には熱心だが、行き過ぎればこの国を危険に晒すことがわからぬほど、愚かだったか」


「ええ、それを愚かというなら」エイレンの微笑みはさらに深くなる。

「分かっていても止めようとは思わぬほどに、愚かですわ」


「なんと」ヴィントネレは息を呑む。

「今は私たちしか知らぬが……そのうち、誰かが気づけば、どうする」


「妄言として流してしまえばよろしいのではなくて」くすり、と笑うエイレン。

「またはサクッと口封じしてしまいましょうか」


「笑いごとではない!」ヴィントネレはゴクリとホットワインを飲み下した。

「もしも、民衆の声が大きくなれば……政治系貴族どもが保身のために、お前を(にえ)に差し出せば。神殿とて、(かば)いきれるものではないのだぞ」


「あら素敵」怒りと、それよりも大きな憂いを押し隠した兄の口調に比べ、エイレンのそれはあくまで軽やかだ。

「最後まで(にえ)だとは、わたくしに相応しい終わり方ね」


「冗談はやめなさい」ヴィントネレはあくまで冷静さを保とうとしている。


その手が跡がつくほどにカップを握りしめているのを、アリーファは同情しつつ眺めた。


「お前をそのような形で失いたいと思ったことは、1度もないぞ」


「あら。ではどのような形で失いたいのかしら?」


「違う!」


無疵(むきず)な器として神と王と国への捧げ物になされば、ご満足?ええ、もちろんわたくしもその予定よ?」


「それダメ……っ」反射的に言いかけてアリーファは下を向いた。

「ごめんなさい。私のせいなのに」


「お黙り。それ以上ムダな口を叩くなら、キスするわよ」ピシャリとアリーファを黙らせ、エイレンは再び兄の顔を見て、口調を和らげた。


「そのように悲しまれないで、大好きな兄上様。誰かがその役割をせねばならぬというのなら、わたくしが最適でございますれば」


「…………止められなくて、済まない」


「いいえ、あなた方のためなどではないから、大丈夫よ」


「私にまで嘘を言うな」


ニコヤカな末妹にヴィントネレは苦々しい表情を見せる。


「いいえ?今でも『王も政治系貴族も神殿も死んじまえコンチクショー』と存じておりますもの」


「……口が悪くなったな、エイレン」


「兄上、聞いてくださる?」まだカップを握りしめていた兄の手を両手で包み、緊張を解くように人差し指で軽く叩く。


「わたくしにあの喋り方を教えた方たちはね、国のことなど全く考えていなかったわ。政治のことも、神のことも。

ただ、明日も生きるために、今日1日が無事に済むことを願うのよ。

わたくし、あの方たちにこう思っていただきたいの。

『もっと豊かになりたい』『もっと色々なことを知りたい』『明日は今日よりも良い日であってほしい』……」


「そのために、身を捧げるというのか」


「そうよ。わたくしはもう、己のために何かを望むことを忘れてしまったから、代わりに、あの方たちにそうしていただくの」


「……お前が望んでも良いんだ」ヴィントネレは絞り出すような声を出した。

「『一の巫女』はまた立てれば良い。お前が逃げられない、わけじゃない」


「ダメよ」エイレンは静かに首を横に振る。

「己のための望みは生々しすぎて、痛いと感じてしまうの。痛みに耐えて望みを果たしても果たしても、どこまでも冷たい闇の中にいるようで、そこから抜けられることは無かったのよ」


「そうか……」ヴィントネレは肩を落とした。

幼い頃より『器』であるべく育てられた末妹が、哀れだった。


「だが、エイレン。いつか、お前がお前自身のために何かを望む時には、私は必ず、お前の味方になろう……だから、諦めないでほしい」


「エ、エイレンっ、そ、そうだよ」アリーファが涙ぐみ、グズっと鼻を鳴らす。

「そ、そんなこと思ってたなんて……でも、お兄さんの言うとおりだよ。諦めちゃダメだよ!」


「お黙り。それはあなたの方でしょう?」


「エイレンだって、好きな人いるでしょー!」


どこまでも冷静に諦めを語るエイレンに、アリーファはついに絶叫し。そして。




「どうして師匠のことまで教えてしまったのかしら、この子ったら」


醸造所のなかなか立派な客用寝室。

(にれ)の木の枝を組んで作った素朴なベンチに腰掛け、エイレンは足をブラブラさせている。


「ごめん」その隣でうなだれる、アリーファ。

「あの笑顔が貴族特有の韜晦(とうかい)術と見抜けなかった……」


「あなたのお父様だってなさるでしょうに」


「いやあの人意外と、困ったお客様は真顔で叩き出す人だから……それはともかく、本当にごめん」


ヴィントネレを、エイレンとの一連の会話から、『不器用だけど良いお兄さん』に認定してしまっていた。

そして、「おや、めでたいことだ。相手は……もしや皇帝様かい?」などと誘導されるままに、エイレンの想い人がしがない精霊魔術師(まじないし)の青年であることを漏らしてしまったのである。


「あの黒さ、さすがエイレンの兄上……」

アリーファは、ヴィントネレの表情が変わった一瞬を思い出して身震いした。

そう、あの時、確かに部屋の中を、ブリザードが吹き荒れた。


もっとも、それは本当にほんの一瞬で、すぐに元のにこやかな表情に戻ったのだが。


「すっかり騙されてた……」


「あの人はね、ほかの兄に比べて少々素直すぎるとはいえ、実力はあるのよ」エイレンは己がつま先を見つつ解説する。

「それがなぜ、どこぞの神殿長ではなくワイン造りをしているかというと」


「うん?」


「わたくしへの愛着が深すぎて神様から嫌われたから」


「うそ。まじですか」


「ええ。まじですわ」真面目にうなずくエイレンである。

「たぶんこの部屋、外側から鍵を掛けられたはずよ」


「ええっ」アリーファは慌てて扉に駆け寄り、ガタガタ揺すって呆然と呟いた。

「本当だ開かない……」


「きっと今ごろは師匠を殴りに行っていると思うわ」


「うそ。まじですか」


「ええ恐らくは。まじですわ」


エイレンはおごそかに、そう告げたのだった。

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