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7.お嬢様は兄上様に会う(1)

セッカの外れにある醸造所。

その入り口で、アリーファは言葉を失っていた。


「け、けっこう広い……」


目の前には、一面のブドウ畑。

ブドウの樹もその周辺に植えられた(にれ)の木立も、冬に入る前ですっかり葉を落としているために、より広大に見えてしまうのだ。


遠くには醸造所と住居らしき赤い屋根が数軒。

建物の周囲で山羊がのんびり草を()んでいるのが点のように見える。


「神殿のワインの生産はここで一手に引き受けられているわ。栽培数を少なくしてブドウの品質を上げている分、量は少ない、というわけ」


説明しつつエイレンはブドウ畑の間の道を進む。

随分と慣れた様子である。


「来たことあるの?」


「ええ。収穫期は人手不足だから、毎年のように」


秋の半ばの1ヶ月ほどは醸造所の繁忙期である。

たわわに実ったブドウを摘み、タライに入れて踏み潰し、樽に入れる―――といった、ワイン作りの作業に追われるのだ。

王都神殿の巫女や神官も、地位問わず手伝いに駆り出される。


エイレンは機嫌よく付け足した。

「あの地獄を通らずにできあがった新物だけをいただけるのは、なかなか無い経験よ」


「地獄なんだ」


「そう。皆、半徹でイライラしつつ無言で働き続ける、という光景が」


アリーファは想像してみた。

確かに、恐い感じがする。

「無言ってケンカしないようにするため?」


クスクス笑いつつ首を横に振り、エイレンは「神殿の祭壇と王宮用のワインは無言で造るという慣わしがあるのよ」と説明した。


「でも、ケンカしないようにするため、も実は本当かもしれないわね」


「それは聞き捨てならないな」急に、生真面目な男性の声がした。やや不機嫌そうでも、ある。

「我々、神に近い血の者が争いなどすると?」


そちらを見れば、くすんだ青紫色に染めた麻のチュニックとズボンを身につけた30歳前後の男が立っていた。

短く刈り込んだ髪は銀、瞳は夜空を切り取った濃紺。

整った伶俐(れいり)な顔立ちはどこかで見たことがある、とアリーファは思う。


その答は、すぐに出た。


「あら、ウチのケンカっ早い神様を異様に人格者にしたがるのは我が神殿の悪い癖でしてよ、兄上」エイレンが親しげに片手を挙げて挨拶したのだ。

「まずはお出迎え感謝しますわ」


「精霊魔術で使いをよこしただろう」


兄上、と呼ばれた男は憮然として手にもっていた白い5弁の花を示した。

甘い芳香が強く漂い、エイレンの表情がぱっと華やぐ。


「あら気づいて下さったのね」


「気づかぬはずがないだろう」深いためいきが吐かれる。

「散ったはずのものが再び花開いたのだぞ?しかも、お前の花だ」


「さすが兄上ですわ」


「このようなくだらぬ術を身に付けるために神殿を捨てたのか」


「さぁ……どうかしら」クスリ、と忍び笑いを漏らし、エイレンは兄にアリーファを紹介した。


「こちらハンスさんの新しいひと」


アリーファが「その言い方なんかヤだ」と抗議するのを無視して、今度は兄を示す。


「こちらは長兄でセッカの酒造責任者ですわ」


「ヴィントネレだ……あなたは確か、アリーファ様、だったかな」


「どんだけ情報渡ってるの!そして『様』ってナニ!」


いきなり名前を言い当てられ、ペコリと下げていた頭を思わず上げるアリーファである。


「ハンス様に洗いざらい吐かせたからな……神殿はあなたを、新しい側室を立てるための障害とみなしているよ、アリーファ様」


「ウソ」思わぬ事実に、もともと大きな緑色の瞳がさらに見開かれた。

「私、そんなつもりじゃ」


「あなたの意思に関係なく、事実はそうだ。だが、気にすることはない」ヴィントネレは先に立って歩き出した。

「神の女では、誰も手は出せまい。たとえそれ故に一国が滅びようともな」


エイレンが黙って兄に続くが、アリーファはその場を動けなかった。

これまで「何が何でも浮気はイヤ!」と「絶対に諦めない!」と言い続けてこられたのは、自分が大切に守られてきたからなのだ、と悟ってしまう。


その分の苦しみはきっと、エイレンやハンスさんが黙って肩代わりしてきてくれたのだ。


「どうしたの?いきましょう」エイレンが歩を止め、振り返って眉をひそめる。

「まさか気にしてらっしゃるのかしら?」


うなずきたいけど、うなずいてはいけない。首を横に振ろうとすると、涙がでてきそうになる。

でも、泣いてはいけない。


「バカね。気にする必要はないと、兄も申していたでしょう」


「だ、だって……!」


「あの人はね、兄たちの中では1番お人好しだから大丈夫」エイレンが微笑んだ。

「ストレートにイヤミを吐くなんて、頭を大して使っていない証拠よ。飲み過ぎで思考力が低下しているのね」


「聞こえているぞ」


歩をゆるめつつ、振り返らずにヴィントネレが釘を刺せば、エイレンはやや声を大きくして応じる。


「ええ、兄上様大好き、と申し上げていたでしょう?」


「……下らない、戯れ言だな」ヴィントネレが立ち止まり、ためいきをついた。

「言い過ぎたのなら詫びるが、他意はない。我々は神の女に対して、苛立ちは覚えても手は出せないのだからな」


「……苛立ち……」


「当然だろう?だが、神が滅びよというならば我々は滅びるしかない。何も無くなった大地の上で神と2人、睦まじく暮らすが良い」


「…………!」


「お気になさらないで」何も言えなくなったアリーファにエイレンはもう1度素早く囁き、話題を変える。


「滅びる滅びると八つ当たりされる前に、することはあってよ兄上」


「ああ、お前は確か、帝国の皇帝を(たら)し込んで……鉱山開発に工場建設だったか?ご苦労なことだ」


「それに亜麻の栽培も拡大したいの」連続で繰り出されるイヤミを、エイレンは涼やかに受け流す。


「小川の岸辺が空いているわね?春になれば王都から貧民10名ほど送りますから、住む家の確保をよろしく。それに、村長にも話を通して下さいな」


「なぜ私が」


「あら、これから休閑期よね?何か支障があって?」


「……いや」


「ではお願いしますね兄上。しっかり働けば、ワインも美味しくてよ?」


ニッコリと仕事を押し付けるエイレンから顔をそらし「この父親ソックリの鬼畜女め」とブツブツぼやくヴィントネレである。


「亜麻はこの辺りでも栽培しているが、果たして作を拡げられるほどの種子が余るかな」


「神殿の貯蔵分を回し、不足分は全国から集めるわ」


「計画済みか」


「当然よ」


ヴィントネレの口元に、皮肉げな笑みが浮かぶ。


「とすると、この辺りで鬼どもの暴れ出す日も近いわけだ」


「えっ……」


それどういうこと、と思わず声を上げるアリーファに対し、エイレンは静かにうなずいた。


「お気づきでしたのね。さすが、兄上ですわ」


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