6.お嬢様は遠足に行く(3)
木立の間からのぞく欠けた月のわずかな光が、岸辺に投げ出された両足の、滑らかな肌を浮かび上がらせる。
どれだけの時間、川に浸けていたのだろうか。氷のように冷たくなったその足は、リクウの手からも体温を奪う。
「少しは温まりましたか」
「まだ。とても寒いの」
軽やかな口調だが、寒いのは本当だろう。
「そもそもなぜ、こんなことを」
少しでも血流が上がるようにと彼女の足を両手ではさんで撫でつつ、咎めるように問えば「単なる思い付き」と最前と同じ口調で、返事がなされた。
「夏に、南の地で、満月の夜にね」歌うように想い出が語られる。
「友だちとこうして、ローゼル酒を飲んだのよ」
「ローゼル」
「とてもきれいな赤いお酒。惣菜の屋台のおかみさんがオマケでたくさん下さったの。わたくしが気に入ったものだから、もっとある、と彼が誘ってくれて」
懐かしそうな様子からすると、よほど楽しかったのだろう。
「男の方だったんですね」
益体も無いことを、と口にした途端に猛烈に反省したものの、言葉はもう戻せない。
「妬ける?」
「ええ、小者ですみませんね」
ふて腐れて足を擦る手に力を入れるリクウを、クスクスと笑いつつ眺めるエイレン。
「でも、あの人にはこのようなことはさせなかったのよ」
「普通はさせませんよ」
まだ赤く染まっているつまさきに、はぁっ、と息をかけて、両手で包み込む。
「でもあなたなら、してくださると思っていたわ」
「なぜですか」
「わたくしに夢中だから」さらりと言われた台詞に思わず止まる。
「そうでしょう?」
確認する声が少し震えているのが、愛しいと思った。
手の中にあった華奢なつまさきに口づける。
「わかっているなら、訊かなくても良いでしょう」
滑らかな皮膚で覆われた足の甲、丸い踝、白い踵へと唇を這わせていけば、かすかな身じろぎが伝わってくる。
「だって聞きたいのですもの」
「言いませんよ」濡れたズボンの裾を軽く噛み、固いふくらはぎに、布越しに歯をあてていく。
膝の皿に到達したした時、小さな声が彼女の口から漏れた。
「言いません」
さらに上っていくに連れ、抑えても抑えきれないといったような、甘やかな吐息が次第に大きくなっていく。
太腿の付け根で離れようとすると、しなやかな手が柔らかく頭を押さえた。
「もっと」
頭を振って、その手を離す。
「これ以上はダメですよ」
「ダメ」
わずかな月の明かりを鈍く反射する手が、もう1度リクウの頭を捕らえた。
「もっと」
力の全く籠もらないその手を、再び引き離すことは、できそうにない。
「やめて下さい」
細く固い膝に顔を埋め、彼は呻いた。
「いずれ手放さなければならないのに」
「あら、リクウ様。それは勘違いよ」エイレンは彼の黒い髪を優しく撫で、身をかがめてキスをする。ふわりと花の香りが漂った。
「わたくしがあなたのものなのではなくて、あなたがわたくしのものなのよ?手放すことなど、できるわけもないでしょう?」
「本当にひどい人ですね君は」
「そうよ」クスクスとエイレンはまた笑い、彼の頭にキスの雨を降らせる。
「覚悟してくださいな。たとえ側室になったとしても、その程度で捨てはしないわ」
リクウは起き上がって彼女の細い身体を抱きしめた。
「いつか、攫って逃げなければならないかと思っていた」
「嘘おっしゃい」彼女の手がリクウの背に回り、耳元に口がつけらる。
意外とずるい人ね、と囁かれ、彼は苦笑した。
「わたくしもあなたも、そのようなことができる人間ではないでしょう?」
「君が望むなら、できるつもりですが」
「本当にずるい人ね」エイレンは声を上げて笑った。
「でもわたくしのために、ずるくなってくださったお礼に、なんでもして差し上げるわ?」
「なんでも、ですか」
「あら困っておられるの?」
首をひねってリクウの首筋をちろりと舐め、彼女は囁く。
「あなたが望むなら、できるつもりでしてよ?」
しばらく無言で考え込んでいた男は、やがてため息と共に、こう言ったのだった。
「では靴をはいて、戻りましょうか」
「本当にずるい人ね」
「戻るまで、手をつないでいても、いいですか」
「戻ってもつないでいて下さるなら、許して差し上げるわ」
そう言いながら手を差し出した彼女の蜜色の瞳は、いたずらっぽく微笑んでいて、どこまでが冗談か見分けがつかない―――
そして翌朝。
なんとも形容しがたい雰囲気の中で、モソモソとクェルガと呼ばれる固い保存食を噛みしめるアリーファ。
いや雰囲気、はむしろ清々しい。
捉えどころの無い穏やかな空気を漂わせている師匠、澄ましてクェルガを飲み込み、形の良い唇に水を含んでいるエイレン。
いつも通り、である。
あまりにも。
ただ、その光景にアリーファだけが、形容しがたい心情になっているのである。
(イイ感じに手つなぎなんかして眠ってたクセに―――!)
そう、朝いちばんに目を覚ましたアリーファは、見たのだ。
そして、素直じゃない2人の進展を祝福しつつ、その姿を肴に水を飲んでニヤついてみたりもした。
もちろん、朝食前に友をつつくのも、お約束というもの―――だがしかし。
澄ました顔で「あら、あなたとハンスさんほどではなくてよ」と打ち返され、付け加えられた「全然」から漂う黒いオーラに怖じ気づいてそれ以上何も訊けなくなり、今に至る―――
(私、ハンスさんと手つないで寝たことなんて無いのにぃぃぃ!)
内心で悶絶していても、口には出せない。
ただ、切ない思いをクェルガにぶつけるのみである。
「わたくし今日は別行動をとらせていただくわ」そんなアリーファの心情を無視して、宣言するエイレン。
「醸造所の方に挨拶しておきたいの」
「神殿の関係ですか」
穏やかにリクウが問う。
不満なんだな師匠、と思うアリーファであったが、エイレンは涼やかにうなずいた。
「ええ。降雪がない影響も気になりますし、それに」茶目っ気にあふれる笑顔。
「ここまで来たらやはり、特級ワインをいただきたいでしょう?」
「私も!」アリーファはクェルガを呑み込み、声を上げた。
「私も行きたい!……師匠は?」
「僕は村の方へ行きます。様子が気になるので」
「ならお土産を期待していて下さいな」
「満月の夜に川辺で飲みますか?」
師匠の珍しい冗談に、アリーファは目を丸くしてツッコミを入れる。
「そんなことしたら風邪引くよ、絶対!」
師匠と友が同時に声を立てて笑ったのが、アリーファにはとっても不本意だった―――
読んでいただきありがとうございます!
前回、前々回と「エタらせそう」「読者様減っていく気しかしない」と弱音を吐きまくっておりましたところ、なんと『がんばれエール第2弾』(と勝手に認定)5:5評価いただいてしまいました!
有難やぁぁぁぁぁ!(五体投地)嬉しすぎますっっ!めちゃくちゃ感謝です!!
ほか、更新無い間ボチボチと読んで下さっている方、見捨てずお付き合い下さっている方……とっても励まされております。本当に本当にありがとうございますm(_ _)m
では!本日も暑そうですので、熱中症にお気を付けて~




