5.お嬢様は困っている(3)
冷たい雨が川面を叩きつけ、濁った水が勢い良く流れていく。
波の間から時折見え隠れしているのは、巨大な蛇の白い胴体や尾である。
暴風雨を歓迎するかのように、水鬼たちは身をくねらせ躍っているのだ。
「増えたな」苦々しく神様が呟き、無駄に筋肉のついている腕を一閃させる。
空を走る稲妻を全て集めたよりも強い光が川面を覆い、リクウは思わず目を閉ざした。
次に目を開けた時には、5体の巨大な白蛇、それに無数の黒く丸い幼体がプカプカと濁流に浮き沈みしていた。
チッと舌打ちをして、もう1度手を振るハンスさん。
強烈な光が再度川面を包み、しばらくして消えた時、異形のものたちの姿はどこにも見当たらなかった。
「非難がましい目で見るなよなぁ」
「いえ、そんなつもりは」
神の力は強すぎて、鬼たちを跡形もなく消滅させてしまう。
理想は元の精霊の姿へと還すことなのだが、それを可能にする術は今は残されていないのだ。
封じるか消滅させるか。
「あれもまた、誰かの魂だったことがあるかもしれませんね」
リクウの言に、神様は苦い顔をする。
「これだけの数を封じるのは難しいだろう」
「確かにその通りです」リクウはあっさりとうなずき、工場建設予定地へと歩を進めた。
次は土鬼である。
北の村セッカへ旅立つ前に、工場建設の邪魔になりそうなモノを全て駆除するのだ。
「土鬼の大多数はすでにさなぎになっています……ぼちぼちと採取はしていたので、それほど多くはないでしょうが」
「この雨は旅には難儀だが、こっちの仕事にはかえって助かるな」
土鬼のさなぎが孵化して霊鬼になるにはいくつかの条件があるのだが、その中に悪天候は含まれていないのだ。
霊鬼になれば、それは人に憑くまで祓いようがない。
それも憑いたと気付けば良いが、古い記録では、急に増えた狂気や犯罪について「もしかしたら……」とそれが霊鬼の仕業である可能性をほのめかすに留まっている。
土鬼であるうちに、始末してしまわねば厄介なことになるだろう。
精霊魔術師が口の中で文言を唱え、土中に黒い蔦を這わせる。
やがて、蔦はボコッと土を持ち上げ、絡め取った土鬼を地表へと運び出した。
打ちつける雨に、まだイモムシの姿であるモノがところどころで身をよじっている。
「けっこうな数だな」
「サボりすぎなんじゃないですか神様」
「郊外までなかなか手が回らないんだ」
ハンスさんはもう1度手を軽く振り、地表に無数の雷を落とす。
2度、3度。
雷に打たれた土鬼は声も無く、次々と消滅していった。
「こんなものかな」
トントンと肩を叩くその様が年齢を感じさせるな、と密かに思うリクウであったが、ふと顔を橋の方に向けた。
2人の女性らしい影が、こちらに向かってくるのを認めて、また顔を神様に戻す。
「後は資材と建物に鬼避けのまじない、です」こちらは正式に神殿から依頼された仕事であった。
今や工場建設の事務面を一手に引き受けている感のあるアルフェリウスが、この仕事を、銀3枚とともに申し訳なさそうに持ってきたのである。
アルフェリウスは「すみません、これ以上は銅貨1枚出せないと言われて」と恐縮していたが、そんなものだ。
そもそも王都神殿が精霊魔術師に仕事を依頼すること自体が、これまでならば有り得ない。向こうの担当神官としても断腸の思いであったろう。
「ハンスさんはもう行って下さってけっこうですよ」
「えっ今このタイミングでそれ言うか!?」
信じがたい、という顔をするハンスさん。
近づいてきている2人、背の高い方はエイレン、小柄な方はアリーファであることは明白だ。
弟子たちをさらっと無視しようとする精霊魔術師のメンタルは測り難かった。
「いえ別に彼女らと話があるならご自由になさって下さい」
そちらの方をちらりとも見ず、雨除けの覆いを掛けた資材の山へと歩いていくリクウを見送り、ハンスさんはエイレンとアリーファに向かって手を振った。
「おーい」
「あ、ハンスさん!」小柄な影が嬉しそうに走りかけ、ベショッとこける……前に慌てて移動してアリーファを支える。
「あ、あの、あ、ありがと……」
顔が近いだけでほんのり頬を染めるのが、可愛いすぎる―――ニヤける神様の頭を、バシッとはたくのはエイレンだ。
「討ち漏らしているわよ。モウロクしすぎじゃなくて」
その手に抱えられているのは、茶色い大きめの塊。土鬼のさなぎである。
「おっ、すまんな」
「待って」気軽にそれを取ろうとする神様を片手で制し、エイレンはそれを土の上に置いた。
「試してみたいことがあるの」
さなぎに両手を添え、瞑目する。
その口からやがて、複雑な呪文が漏れ始めた。
古の言葉を連ねた神魔法の詠唱に、囁くような精霊魔術の文言が織り込まれていく。
やがて、柔らかな光が土鬼のさなぎを包み込んだ。
優しい光の中で、さなぎは徐々に透き通っていく。
そのおぞましい姿もまた、少しずつ、煙のようなものへと変化する。
最後の文言を唱え終わった時、その姿は光とともに空気に溶けて、消えていった。
「今のは……浄化、したのか」
驚いて確認するハンスさんに「ええ」と頷いてみせるエイレン。
鬼を本来の精霊の姿に戻す。
神魔法では強すぎ、精霊魔術では弱すぎて叶わなかった技だ。
「この前わたくし、水鬼を討ち損じたでしょう?それで思い付いたのよ」
神の直系といえども、人の身に宿る神力は鬼たちを滅ぼしきるほどに強くはなく、さりとて攻撃のほかに使い途もない。
しかし、別の系統の技を取り入れることで、それは新たな価値を持つのだ。
「だが滅多に使える技じゃあ、ないな」
いったん解き放ってしまえば荒れ狂うしかない禍神の力を、精霊魔術で制御し、悪しきものを変容させる。
並々ならぬ技術と集中力が必要であろう。
これまでは痛ましくても滅ぼすしかないと思い込んでいた、鬼との闘い。
そこに見えた新たな道は、余りにも困難である。
「使える者の方が稀有だな」
「ええ、でも、わたくしと同じく直系の神官たちなら何とかなるかもしれないわ」
「教えるのは時間がかかるぞ」
「そうね」
「魂抜いて眠り呆けているワケには、いかないな?」からかうように念を押すハンスさんの瞳は、刺すように真っ直ぐだった。
「約束してくれ」手を伸ばし、金色の髪を撫でる。
「もう2度とあんなことは、するな」
「そうそう!」ハンスさんの手をエイレンの髪から引き剥がしつつ、アリーファがコクコクと頭を縦に振った。
「本当に、心配したんだからね!」
そんなカップルにエイレンは不機嫌な表情を作ってみせる。
「ですから、何度も申しますけれど、いざとなれば国事が優先でございますから」
「ううん、絶対に許可しません!」
「何とかするから大丈夫だ!」
アリーファが昨晩よりも明るく言い切り、ハンスさんが脳天気に保証する。
「ばかね」心底からそう思うのに、なぜか目頭が熱くなってしまう。
「え、エイレン!?」慌てたアリーファの声。
「どうしたの?どっか痛い?」
「おお、なんか、久しぶりだなぁ」
ニヤけるハンスさんの頭をとりあえずはたきながら、エイレンがした言い訳は―――
「失礼。目にゴミが入ってしまったの」
あまりにも、ベタなものであった。
読んでいただきありがとうございます!
そして前回、こちらで「もう読者様減っていくしか予想できない」的な弱音を吐いたところ、なんと、どどどどん、とブクマをいただいてしまいまして……!
皆さま優しい(感涙)
勝手に「エタらせるな頑張れ」とのエールと解釈させていただいてます(笑)
本当に感謝です!
これまで見捨てずお付き合いいただいている方も、本当に本当にありがとうございますm(_ _)m
良ければまた覗いてやって下さいませ~
週明けの蒸し暑い1日、お疲れ様でした。




