5.お嬢様は困っている(2)
えへへへ、とアリーファはだらしなく笑ってみた。
これから人生で初の『友人と恋バナ』に挑戦するのだ。
そう考えれば、ベッドがあるのになぜか2人とも床に寝転がっているというのも、シチュエーションになかなか相応しい選択に思える。
(師匠とどうなってるのかとか、すごく聞きたい!)
『10日ぶりに意識が戻る』という一大イベントを、偶然とはいえアリーファが入らない状態で迎えたのである。
少しは進展したり、してるだろう。
(そもそもエイレンの魂が戻ったのだって、もしかすると『やっぱりアナタが好きなのっ』的な理由があるのかも!?)
邪推して良いというなら、いくらでもできる。
このタイミングで進展するのでなければ、いつ進展するというのだ。
(あああ、つつきまわしてみたいっ)
しかし、分かっていることが1つ。
直球で尋ねても、澄ました顔でナナメ上に打ち返されるだけである。
そこでアリーファはもう一度えへへへ、と笑い、切り出した。
人に聞くならまず自分から、だ。
「あのね、私、ハンスさんのことが好きなの」
「ええ知っているわ」
さっさと寝ましょう、という言葉通りに蜜色の瞳はとじられたまま、エイレンの口だけが素っ気なく動いた。
「この前、家に来てくれたんだよハンスさん」
「良かったわね」
「ハンスさんと結婚したいなぁ……」
ついウッカリ方向性を変えてしまい、しまった、と思うアリーファ。これでは相手から話を引き出しにくい。
エイレンなら尚更、「私も師匠と結婚したいわ」とか言わない、絶対に。
しかしアリーファの思惑に反し、エイレンはぱっちりと目を開いて半身を起こした。
「あなた、もしかして、まだ聞いていないのかしら」
「なにを」
「……聞いていないのね」ひとり納得しているエイレンである。
それから、つと話題を変えた。
「この度の鉱山開発と工場建設、それに麻の生産……一次段階の最終では二千人の雇用を目指しているの。扶養義務者を優先して雇い、住宅も支給する」
「聖王国の貧民4万人に対しては全く足りないけれど、やがて帝国との交流で輸出が伸びれば、この国から貧民を無くすことも夢じゃない」
結局は恋バナ無理か、と溜め息まじりにアリーファが続きを唱えれば「よく覚えているわね」と、くすり、と笑って誉められた。
覚えていて当然。
エイレンが聖王国に帰ってから腐るほど聞いた内容だ。
しかし今回は続きがあった。
「もし技術をもっと進ませることができたら、やがては神の加護が必要でない国になるかもしれないわ。何十年後か、何百年後か分からないけれど」
いつもは夢中になって語っている未来なのに、なぜかエイレンは平坦で感情の読めない表情になっている。
「今ではないのよ、アリーファ」静かな声。
「今はまだ、この国には神の加護が必要なの」
そして口をつぐむ。
その白い顔に一瞬、迷いが走った気がした。
「あなたが、それはただの義務で、浮気とは違う、と理解してくれれば良いのだけれど」
ズバリとひと言で人の心を傷付けることもできるこの友人にしては、長い前置きだ。
愛されてるなぁ私、とちょっとニヤけそうになるアリーファである。
最初に聞いた時は確かにショックだった。でも、あの時に聞いておけて良かった。
悩んで嫉妬して悩んで、やっぱり信じる、と決められた。
だから今、自分がどれだけ大切に思われているかも、分かるのだ。
「そのことなら」できるだけ明るく、言ってみる。
「どんな形であれ、ぜ・っ・た・い・に!認められません!」
エイレンの表情がまた、揺れた。
「知っていたの?」
「うん、でも大丈夫だよ。まだ、ハンスさんも私も諦めてないから!」
「でも、これ以上結界が解けていくようならば、必要なことなのよ。諦める諦めないの話ではないの」
「ううん、絶対に諦めない!エイレンも、諦めなくていいと思う」
唐突に出てきた言葉に聖王国の巫女は少し目を見張り、それからまた平坦な表情に戻った。
「わたくしはいいのよ」
「本当に?」
「ええ」
「本当に本当に本当?」
「しつこいわね」
憮然とした顔に、にんまぁっと笑ってみせる。
「師匠のことが好きなくせに」
凝り固まって耳が赤くなったり、しないかな。
しかし、ワクワクして反応を待ち受けるアリーファに返された笑みは、大変に美しく、そして凶悪なものだった。
「あら。好きというなら、あなたの方がよほど好きよ、アリーファ」
「はぅわっ!?わ、わ、わ、わたしっ……!?」
蜜色の瞳で親しげに覗き込まれ、赤面して狼狽えるアリーファである。
(赤くなってヘドモドするのは、エイレンの方だったはず、なのに!)
そんなアリーファを優しく見つめ、「じゃあそろそろ寝ましょうか」と囁くエイレン。
「ひ、ひぇぇぇっ。その『寝る』ってもしかして」
オトナな意味で?
とお伺いを立ててきた大切な知り合いに、「ばかね」と声を上げて笑ってみせる。
「明日早いからに、決まっているでしょう?」
夜更け。
ふと目を醒ましたエイレンは、隣で床に転がって眠っているアリーファを見て、ふっと目を和ませた。
そっと抱え上げ、意外な重みにふらつきそうになりながらも、ベッドに戻す。
(やはり筋力が落ちているわね)
舌打ちをしたい気分である。
今回の件に関して言えば、何1つ思い通りには行っていない。
アリーファの精霊魔術に乗じて魂を人形に移した時、神力のみで支配された思考は「これで全てがうまくいく」と予測していた。
一時も早く、結界の核に絶大な神の力を注がねばならない。
それを神が躊躇するのは『エイレン』に感情移入しすぎ、かつ、公私混同、というものだ。
(今後はもうこの国に『エイレン』は必要ない)
必要なのは器であり、眠りつつ生き続ける身体はその役目に最適であったはず。
なのに神様は動かなかった。
複数の想いが、魂を身体に引き戻した。
最終的に残ったのは、動かず眠り続けて弱った身体と、解ける寸前の結界。それに。
「エイレン」不意に、アリーファが喋った。
起こしたのかしら、と見れば、その目はしっかりと閉じられ、寝息も規則正しい。
随分とはっきりとした寝言である。
「私も、エイレンのこと、好きなんだけど……でも……ハンスさんが……うんっ……やっぱり……キスもダメ……」
面白い。クスッと笑って、その頬に唇をつけてやる。
「うぅ……だ、ダメって、言ったのにぃ……」
鳶色の髪を撫でながら、耳元に口を付けて囁いてみる。
「アリーファ、好きよ、愛しているわ」
「……ぅぅぅ……」その眉間に寄るシワを伸ばしてやっていた指先は、次の寝言でふと止まった。
「だって……エイ……ししょーが……」
あの人に関していえば、とエイレンは顔をしかめる。
魂にももし、なんらかの意思や感情があるのなら。
引き戻された時から、それは、狂おしいまでに脈打っている。
あの人が欲しい。
触れても触れても、まだ足りない。
傷付いても、傷付けても奪い去りたい。
お互いのことしか目に入らぬほどに、溺れきってしまいたい。
(あの人にもそう思ってほしいわ)
けれど、好意や愛と呼ぶには余りにも凶悪な欲望には、憎しみさえ、感じる。
エイレンは1つ深呼吸をして、頭を横に振った。
何も感じず、何も考えず、ただの器でいられた時の方がラクであるはずなのに。
欲望や憎しみがいかに心を傷付けようと、それらを2度と手放す気には、なれそうもない―――




