5.お嬢様は困っている(1)
「明日からしばらく、セッカに行ってきます!」
アリーファが食卓でそう報告すると、ダィガが手に持っていたフォークをポロリと落とした。
チャーン、と澄んだ音を立てて床に落ちるそれを慌てて拾い、愛娘の方を向くダィガ。
「な、なんだ!?随分と急だなぁ!」
「例年でしたら『冬の館』へはもう少し早く行くのですけれど」エイレンが澄まして説明する。
「今年は少し事情がありまして、遅れたのですわ」
セッカは王都の北にある村。
冬は雪に閉ざされて隣町との交流が途絶えてしまう地である。
医師や薬師も来られなくなるので、代わりに精霊魔術師が滞在するのが常だった。
「べ、別に!アリーファは行かなくてもいいだろぉっ!?そ、そんな寒い所っ!病気になったらどうするんだ!」
ダィガが涙目で詰め寄るのに「お父さんウザい」とグッサリ言葉の刃を突き刺すアリーファ。
「行くに決まってるでしょ!私は精霊魔術師の弟子なんだから!」
弟子入りしたきっかけは少々不純であったが、今や精霊魔術を極める気満々なのだ。
うっかりエイレンの魂を人形に移してしまった時には後悔し、もう止めようとも考え、それもまた実は出戻った原因でもあったりするのだが……
被害を受けた本人からすら「あなたごときにわたくしの魂をどうこうできると思って?目的のために少々利用させていただいただけよ」と断言されれば、それ以上諦める理由なんてない。
「あ、あ、アリーファぁぁぁ……お父さんは、お父さんは、寂しいっ」
「私は別に寂しくないよ?」
渾身のアプローチもあっさりとしたひとことに撃沈され、ひとしきり涙に暮れるダィガである。
「あなた。冬の間だけでしょう?」
そんな夫をアイラはにこやかに宥め、アリーファを見る。
「でも温かい服装をしてね?それから雪の中で外出はなるべく避けて、それから温石はちゃんと布を巻いてから使うのよ。それから……」
「分かってる!大体分かってるから!」
細々とした注意に音を上げるアリーファに、心配そうに眉をひそめつつ黙るアイラ。
ふと、エイレンの前の食器がスープ以外空いていないことに気付き、さらに心配そうな表情になる。
「もしかして、お口に合いませんでした?」
「いいえ。ただ、ずっと食べていなかったものですから、スープで充分ですの」
微笑みつつ言うエイレン。相変わらず、他人の前での猫かぶりは完璧である。
「どうしてそれだけ食べないで生きていられるか不思議」
「神の直系だから」
アリーファの疑問への返答にダィガが咽せる。
「か、か、か、神っ!?」
「あらどうかなさって?」
「こないだ来たんですよ!アリーファの、い、い、い……うぉぉぉぉ」
「いいなずけ?いつ婚約なさったの?」
涙の中に消えていった台詞の後半を的確に補い、エイレンはアリーファに尋ねる。
「ううん、まだ」
「だと思ったわ。ダィガさん、大丈夫のよう」
「じゃない!」エイレンのフォローに、明確な否定を被せるアリーファである。
「いつでもOK、って伝えてあるから!」
「はがぁぁぁぁぁぁっ!」
衝撃に再び、のたうちまわるダィガ。もはや夕食どころではなくなっている。
アイラが立ち上がり、その背を撫でた。
「あなた、落ち着いて」
「落ち着いてなぞいられるかっ!」
「あらハンスさんは優良物件でしょう?」
口を挟んだエイレンに、ダィガの恨めしそうな目が向けられる。
「バツイチで浮気者で齢千年なのに……っ」
「あと三千年は生きるわよ」ニッコリと保証する顔は、まさしく聖女様であった。
「婿にとればお宅の跡継ぎ問題、全く心配なくなるわ」
「跡継ぎなんか、ど、どっちでもいいんだぁぁっ」
「あら良かったわねアリーファ」
「あ、今のはウソで」ハッと我に返るダィガ。
アリーファの目が険しくなる。
「ウソ?」
「いや!ウソじゃないウソじゃない!店よりアリーファの方がモチロン大事だともっ」
「ありがとう、お父さんならそう言ってくれると思ってた」
「いやなに」
愛娘の満面の笑みに、今何について話し合っていたかも忘れてデレるダィガである。
そんな父と、父を見守る母に、アリーファは真面目に告げる。
「あのね、私、お父さんのこともお母さんのことも、お店のことも、ちゃんと好きだし大事だよ」
「「アリーファ……」」目を潤ませてハモる両親をなるべく、しっかりと見る。
勇気を出して、口を開く。言わないまま諦めたりキレたりは、もう、しない。
「でも、もう少し待っていてほしいの。やりたいことがあるし、ハンスさんと結婚もするから」
「それだけは勘弁してくれぇぇぇっ」
愛娘の宣言に、再び悲鳴を上げてのたうち回るダィガであった。
そんな波乱の夕食の後。
「ふんふんふんふん♪ふんふんふん♪」
アリーファは鼻歌を歌いながら、ご機嫌で自分のベッドを整えている。
以前はメイドに任せていたことも、すっかり自分でする癖がついて、全く苦にならない。
それどころか、楽しい。
何しろ今日は、友人が一緒に泊まってくれるのだ。
(同じベッドで恋バナしたり、胸の大きさを比べあってキャアキャアとはしゃいだり、枕投げをしてまた恋バナをして……)
貸本で知り、密かに憧れていた『お泊まりイベント』を実行できるチャンスなのである。
これまで、精霊魔術師の館で一緒に寝泊まりしていても、そんな流れには壊滅的なまでにならなかったことなど忘れて、はいないが。
何しろ実家の自室といえば、完全にアリーファのテリトリーだ。
ここで夢を叶えずして、いつ叶えるというのだろうか。
しかし。
「わたくし床でけっこうよ。毛布を1枚くださるかしら」
対するエイレンは、悲しいまでに普段通りであった。
「だめ!一緒のベッドで恋と愛と夢について語り合おうよ!せっかくお揃いのネグリジェにしたんだし!」
「ご好意は有難いけれど、わたくしには少し短いのよね」
複雑な表情で、にょっきり突き出た白い膝頭を眺めるエイレンに、ニヘニヘと笑み崩れるアリーファ。
ふんだんにレースを使った帝国風のぜいたくなデザインを、ネグリジェとはいえ本体に着せることができるとは思っていなかったのだ。
「大丈夫、だいじょうぶ。かわいいよ。きっとダナエさんも『ウルトラ狙えます』って言うよ」
「ダナエがそれ聞いたら怒ると思うけれど」
「そう?」
「ええ。それにあなた、話も何も。ベッドに入ったら秒速で寝てしまうでしょう、いつも」
「うっ……」
痛いところを突かれて押し黙るアリーファである。
異常に寝付きが良い……お泊まり会でこれ以上の弱点があるとすれば、おねしょくらいのものだろう。
「ではね。明日も早いから、もう休みましょう」
早朝から出立していったん精霊魔術師の館へ戻り、その後、北へ向けて旅立つ予定である。
話すより寝る方が良い、と正論を吐き、エイレンはさっさと毛布にくるまって床に横になった。
そんな友人を恨めしげに眺め、やおらうなずくアリーファ。
「じゃあ私も」
整えたベッドから柔らかい布団を取り、それにくるまって友人の隣に寝転がる。
「これで、しばらくおしゃべりできるね!」
「そんなもの、セッカへ向かう途中にでも、いつでもできるでしょうに」
「ううん、違うよ!」
呆れているエイレンに、首を思い切り横に振って断言する。
アリーファの認識では、恋バナができるのは『特別なお泊まり』の時だけなのだ。