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4.お嬢様は帰還する(2)

「身体と魂が離れているので『エイレン』と呼べる個体はどこにもいないんですよ」


王都中心部から離れ、次第に細くなっていく川に沿って歩きつつ、リクウが説明した。


「魂はその身体に宿っている間は『彼女の』といえますが、離れればもう、何者でもない。逆に、魂の宿らぬ身体はまた、ただの器でしかありませんので」


淡々としたその物言いに、キルケは唖然とする。


「あんたよくそんなことを平気な顔で」


「それは職業柄で」


「それじゃ少しは心配してるんだな」


「心配?」リクウは立ち止まり、まじまじと吟遊詩人を見た。


「そんなもの、して何になるんですか」


感情の読めない、曖昧な薄ら笑いが浮かぶ精霊魔術師(まじないし)の顔を、キルケもまた、信じがたい思いで見る。


(エイレン、お前ほんとにこんな男でいいのか!?)


いやダメだろ。いくらあからさまにコイツに対してだけ態度を変えていても、ダメだ。

本人は良くても周りが「やめとけ」と言う。それはもう、確実に。


(今さらだがルーカスにしときゃ良かったのになぁ)


あいつなら恐らくは、周りに「やめとけ」と言われる程に身を削って心配する。

挙げ句に自力でなんとかしようと変な方向に突っ走り「それが何になるんだ」と周囲からツッコまれるに違いない。

それでもたぶん、暴走気味だろう。

周囲が止めなければ、彼女を巻き込んで自滅するほど……


(どっちにしても、男のシュミが悪いってことだな)


内心でそんな結論に至りながらも、精霊魔術師(まじないし)に尋ねる。


「で、どうして工場予定地へきてたんだ?」


リクウは両手に抱えている大きな茶色の塊を少し持ち上げてキルケに見せた。


「土鬼のサナギです。都内で仕事がある時には寄って、駆除するようにしているんですよ」


「頼まれているのか?」


「いいえ」リクウは首を振り、ごく自然な微笑みを口元に浮かべた。


「あの子が今いちばん気にしていることですから」




精霊魔術師(まじないし)の館に着くと、リクウは透輝石を適当に灯した。


炉端で、調理でもするような気軽さで土鬼のサナギを封印にかかっている。


「動かない分しっかり封印できるんです……いつかは自然に帰してやりたいものですが、僕はその技を知らないのでボチボチ研究中です」


のんびりとした説明に若干苛立ちを感じつつ、キルケは尋ねた。


「エイレンは?」


「一応は、そこです」


目線だけで示された寝台を覗き込むキルケ。

しばらくして両手で顔を覆い、呻いた。


「何なんだ……これは」


透輝石の青白い明かりに照らされた骸のような身体。動かない表情に、重く横たわるだけの手足は、血の気が失せて透き通るように白い。


「見たままのモノですよ」


精霊魔術師(まじないし)はサナギの封印を終え、若干重みと温もりを増した玉をさらに箱に入れてもう一度封印を施す。


「鬼たちはもともと、精霊が変質したものと言われているんです。もとの姿に帰してやれるなら、そちらの方が我々にとっても彼らにとっても幸せでしょうね」


再び鬼の話に戻るリクウの方が人外のようだ、とキルケは思った。


「魂が出て行ったというなら、なぜ戻るように手を尽くさない?あれだけこの娘に信頼されてたあんたが!」


「彼女がそう望んでいる以上、戻す手段など無いからですよ」


どんなものもそこにヒビを入れることは難しいのだと知らされる、平坦な声が返される。


「もしも目的を果たした後に希望のない未来が待っているなら、魂にとって肉体は牢獄でしかない……無理に戻すことなどできないでしょう?」


希望のない未来。そんなはずはない、とキルケは内心で抵抗する。


帝国からの支援、それに皇帝からの信頼と友情を得て、聖王国は新たな一歩を踏み出すはずではないのか。

そのために、技師が集められ、自分たちが派遣された。

それを先導していた彼女が、希望を持っていないなど。


有り得ないではないか。ならなぜ、自分たちが聖王国にいるのだ。


声には出されなかったキルケの疑問に、精霊魔術師(まじないし)は穏やかに答える。


「最適解を出すのも、それに従うのも得意な子ですから」


「知らんぞそんなエイレンは!」


キルケの知っているのはそんな娘ではない。帝国の誰も、そんな娘は知らない、と言うだろう。


「そうですね」リクウは微笑む。


「帝国に行って、あの子の魂は本来の力を取り戻した」


そして彼女は、傲慢で身勝手で、それでいて優しく―――誰もが目を惹かれずにおられないほどに美しく、なった。


「いっそ帰ってこなければ良かったのに」


「そう思うなら、なんとかしろよ!」


「といわれても」


「こんな状態がバレてみろ!私が帝国で何人の不興を買うと思うんだ!?」


「そんなの知ったこっちゃありませんよ」


「あんたは知らなくても!私は知ってるんだ!」キルケはビシッと、長身の上に載るとぼけた顔を指さした。


「全部、あんたのせいなんだぞ!」


「え……」


しばし沈黙が降りる。

あまりの気まずさに、吟遊詩人は洗いざらい思うところをぶちまけていた。


「エイレンはな、俺が贈った指輪を帝国でずっと持っていたんだ」


今は自分の指にはまっている指輪を抜いて、リクウに投げる。


「覚えていますよ。婚約指輪でしたよね」


どこまでものらりくらりとかわすつもりらしいが、そうはさせるか。


「そんなの関係あるか!その石だ!」


そのくすんだ透明の石は、彼女が触れると青白い光を放つ。


精霊魔術師(まじないし)の館にきて、キルケは分かったのだ。彼女がその指輪を妙に大切にしていた理由が。


彼女が帰りたかった場所が。


「エイレンはずっと、あんたの元に帰りたがってたんだ!」


「はぁ……」


戸惑うようにリクウが呟く。


「なのにあんたが!そんなどーしよーもない態度だから!」


「え、つまりは僕のせいだと」


「さっきからそう言ってるだろ!」


短気なところのある彼女が、焦れたあげくにプッツンきてもおかしくない、と推測するキルケである。


しかしリクウはうーん、と考え込んだ。


「……ワケあって詳細は申し上げられないのですが、違うと思いますよ」


国の未来を守るために自らの身を器として差し出す。


それが、エイレンが従おうとしている最適解なのだ。

かつて疫病で亡くなった者をその持ち物まで全て燃やし尽くしたのと同じ厳しさを、自身に向けたのである。


しかしそれは、聖王国の民ですらほとんど知らぬこと。

帝国の民にはとうてい、言えぬ。


キルケがかみつく。


「違わない!」


「違いますって」


「絶対に違わないっ!」「絶対に違うと思いますけど」


「この意気地なしのすっとこどっこいが!」押し問答の末に、キルケはキレた。


「どうしても違うというなら、アレにキスの1つもしてみろや!」


「…………は?」


話の流れがイマイチ読めず、固まるリクウに吟遊詩人は解説する。


「帝国の古恋歌ではなぁ、呪詛を解くのは『恋人からのキス』って決まってるんだ!」


あまりに使い回され手垢がついた感があって、キルケとしては好みでないネタだが、実際にそうなのだ。


「なるほど」意外にも真面目な表情で頷く精霊魔術師(まじないし)


「確かに古来からの呪術的要素が強いまじないほど、その傾向はあるかもしれませんね」


そのまま考え込むのにしびれを切らしたキルケが確認する。


「で、やるのやんないの」


「だから今、古式の精霊魔術(まじない)をさらっているのですが……正直、どれを適用すべきか、どう応用させるべきかがピンとこないというか」


代表的なものは精霊の加護と治癒術いくつかなんですが、これが……と長引きそうな解説を、キルケは片手で遮った。


「いやそんな、ややこしい話じゃなくてな」


「ではどういう話なんですか」


怪訝そうな顔をする精霊魔術師(まじないし)に、吟遊詩人は大真面目に言ったのだった。


「つまりは『愛の力』というやつだ」


「はぁ……そうなんですか」


部屋を浸す夕闇が少し濃くなり、リクウは残りの透輝石に軽く手を当てつつ、順に明かりを灯していく。

やや丁寧に唱えられたまじないの分、その灯はより眩い光を放ち、横たわる(むくろ)のような身体を青白く照らす。


「愛、ねぇ……」


「可能性があるなら何でも試してみるべきだろ。この娘を失いたくないだろう?」


キルケの鋭い眼差しから、リクウはごく自然に目を逸らした。


「僕は彼女の希望をなるべく叶えてやりたいと思っているだけですよ」


「ふーん。そうかそうか。なら、私が代わりに試してもかまわないよな」口調だけはなんとか冗談ぽくするキルケだが、怒りは隠しきれない。


「このカラダの上から下まで余すところなく口づけて、ついでに胸揉んでやってもいいんだな?」


「…………!」


平坦だったリクウの表情に、初めて動揺が走ったのを見てとって、キルケはやっとニヤリとした。


「おっと、何も答えなくていいぞ」


言って、リュートを背負い戸を開ける。


「後はあんたが考えな」


「……もう暗いですから、泊まっていかれては」


儀礼的に引き止める精霊魔術師(まじないし)に軽く手を振り、キルケは館を後にした。


「おおっ寒っ!」


わずかな残照で彩られた夜空を、さあっと渡る風が秋も終わりだと告げている。

その冷たさに首をすくめつつ足を早めるが、王都神殿に着く頃には夜中になっているだろう。


「セン姐さんのとこにでも、泊まらせてもらうかなぁ」


ぽつりと呟く頭上では、天極星(ポールス)が弱々しい光を放ち始めていた。

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