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4.お嬢様は帰還する(1)

『青き花咲く野の乙女よ……』

少しくすんだ空に、しっとりとした歌声が吸い込まれる。

歌は、向こうに建ったばかりの集合住宅や足元の建築資材に跳ね返り、川面を打って、人々の耳に響く。


工場建設の現場で働く者たちの多くが、配られたパンを急いで飲み込み、吟遊詩人の周りに集まってくる。


普段は適当にその辺をフラフラしているように見えるキルケだが、意外にも職務熱心な面がある。

数日おきに帝国からきた技師たちに不便がないか聞いてまわり、ついでに娯楽も提供していくのだ。


吟遊詩人の歌は、帝国からきた技師たちだけでなく、そういったものに馴染みの無かった聖王国の作業員にとっても楽しみになっている。


『……何処(いづこ)に在りても私の心がそなたと共にいられるように……』


同じ曲を2回繰り返すうちに、周囲に人垣ができる。

その中にハルサやリヴェリスがいるのを確認して、キルケはいったん手を止めた。


「その歌、姫さんがたまに歌っていたな」


曲が変わる隙をついて、貧民街からの作業員が懐かしげに言う。


「そうなんですか?」


貧民街や川原の娼婦たちが敬愛する『姫さん』が、どうやらエイレンのことを指すらしいと気付いた時には、心底「似合わない」と思ったものだが、決して口に出しては言わない。


「子どもたちに歌って聞かせていたよ。これしか知らないから、って」


「へぇ……」


「そういえば姫さん、ここ10日ばかり来てないな」


別の作業員が心配そうに顔を曇らせる。


「病気かな?」「まさか姫さんに限って」


「ですよね」そこはめちゃくちゃ納得、と頷くキルケ。

あの女は殺しても死なない。これだけは、確信できるのだ。


とすれば、一体どうしたのだろう、とキルケは再度首をかしげる。

あれだけ熱を入れていた工場建設だ。急に飽きるとも思えないのだが。


「怪我が思わしくないのかな?」

ハルサが眉間にしわを寄せた。


「怪我?アイツが?」


「ああ」頷き、ハルサは素早く注意した。

「姫さん、と呼んだ方が良い」


はっとして見回せば、作業員たちの目付きが若干、険しくなっている。


「……姫さん、が?」


「そうだ。水鬼とかいう巨大な蛇にやられた」


「なんだそれは」

そういえば、王都に入る前に追いかけてきたルーカスもそんなことを言っていた。

しかし、その姿をキルケ自身はまだ目にしていないのだ。


目撃したはずのハルサも、珍しく難しい顔のままで首を横に振る。


「分からない」


人外といえば、帝国の南の地ノートースにも妖精がいるが、彼らが人に直接的な危害を加えることはない。


せいぜいが、急に水をかけてきたり、酒を盗んだり、家に忍び込んで物の配置を変えたり、といったところ……すなわち他愛のないイタズラなのだ。


「とりあえずあの時は、神様とやらが蛇を滅ぼしてあの子を守った」


聖王国を守護しているというその力は圧倒的だったが、なぜ守護されているはずの国に、他者にあからさまな悪意を向ける存在(もの)があるのだろう?


それが、ハルサには分からない。


「彼が連れて行ったから、神殿に戻っているのかと思ったが」


「いや」キルケもまた首を横に振った。


キルケとアルフェリウス、2人の技師団の世話係は王都の神殿に寝泊まりしている。

しかし、神様の姿もエイレンの姿もみたことが無かった。


ハルサがその顔をもう一段階、暗くする。


「どこにいるんだろうね」


「まぁ、アイツおっと、姫さんのことだからどっかで生きてるだろ」


ヘタに心配などしたら後で強烈なイヤミを繰り出されそうな気がする。「このわたくしを心配なさるなど、エラくなったものね」とか。


息を吐き出して気分を切り替え、キルケは、じゃん、とリュートを鳴らした。


「まぁ、まずは、せっかくだから踊っておくか?」


8拍子のリズムに、ノートースの音楽にしては暗い旋律を乗せて、キルケは歌い出した。


『あなたの手を取り

寝台に横たえれば

流れる髪が私の想い出に絡み付く


私をとらえた、あの輝く瞳が

今うつろなのは、誰のせいだ?


もういちど、太陽を宿せ

もういちど、私を見て笑え、


もういちど、私の心臓を焼き尽くせ


もういちど(ブーディー)もういちど(ブーディー)もういちど(ブーディー)もういちど(ブーディー)……』


ノートース語の同じ言葉が何回も繰り返され、踊りは終盤に向かうほど熱を帯びて、しかし不意に、糸が切れたかのように終わる。


「その歌も教わっていたのか」ハルサが息も切らさずに笑った。


「あまりウケが良いとも思えないがね」


「こういうのが聞きたくなる時もあるだろう?」


ニヤリとしたキルケは、人垣の上に、にょっきりと生えた頭がこちらを見ているのに気付く。


清潔感があり穏やかだが、これといって特徴の無い風貌。


(……誰だったかな?)


こういう人間は、顔では覚えられない。

長身以外はこれといって特徴が無い『覚えられない』男、と頭の中の膨大なメモを繰り、やっと「もしかして」と気付く。


とりあえず聴衆たちを散らすと、残ったその男はやはり穏やかな微笑みを浮かべてキルケに軽く頭を下げた。


「知り合いなのかな」


ハルサが興味深そうに尋ねるのに頷いてみせ、話し掛ける。


「あんた、エイレンがデレてた『師匠』だな」


デレてた、という言葉に一瞬複雑そうな顔をしながら、男は「はい」と返事した。


「アイツはそっちにいるのか?」


今の今まで忘れていたが、神殿にいないとすればおそらくは『師匠』のもとに違いない。


そう予測して繰り出した質問の答えは、実に曖昧なものだった。


「居ると言えばいますし、居ないと言えばそれもそう、なんですが」


「―――どういうことだ?」


キルケの表情が、普段からは考えられぬ程に険しくなった。


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