3.お嬢様はお嬢様に話し掛ける(2)
「アリーファっ!また一緒に暮らせる日が来るなんて……お父さんは、生きていて良かったよぉぉ!」
ダラダラと泣き崩れる父ダィガに反し、母のアイラは穏やかに微笑む。
「お帰りなさい、アリーファ」
「ただいま戻りました」他人行儀なまでに礼儀正しく頭を下げるアリーファ。
「しばらくの間お世話になります」
「しばらく?ずっと、じゃないのか!」
ダィガがまだぐずぐずと鼻をすすりながら詰め寄るのを「あなた」とひと言で押さえるアイラ。
(なんか、お母さん……変わりすぎ!)
明るくなったし、強くなった。
それに、父に向ける眼差しが……優しい。以前、その目を支配していた不満は陰も見られないのだ。
「好きなだけ、居ていいのよ」
にっこりとアリーファを見るその顔を思わず探っても、その奥に何かが隠れていたりは、しなさそうだ。
「できるだけ長い方が私たちは嬉しいけれど、あなたにはあなたの都合があるものね?」
「ありがとうございます」
胸が熱くなって、下げた頭がなかなか上げられない。
このひとに、1人の意思を持った人間として対してもらえる日が来るなどと、思ったことも無かったのだ。
「あー久しぶり……落ち着く……」
アリーファは自室のベッドにダイビングして、ミントの香りのするシーツに顔を埋めた。
部屋はきれいだが、物の配置は全く元のまま。気を遣って掃除するよう、メイドに指図してくれたのだろう。
「昔は当然だって思ってたけど」
今では小さなことでも、愛を感じる。
両親はともに、色々と間違える人たちだけど、それだけは間違えようがなかった。
そして、それだけで、いいのだ。
その事実さえあるのなら、間違いは、いつか許されなければならない。
この心を育てるのは、親ではなくて自分自身なのだから。
「エイレンもゆっくりしてね」
友の魂が移っているはずの人形に話し掛ける。
厳密には、人形に移った時点でその魂は『エイレン』とは呼べず、さらに厳密に言うなら『魂』でなく『精霊』と呼ぶべきだ、と師匠に教わった。
―――師匠は常に淡々としている人だが、こんな時まで、ってどうかと思う―――
それに、それだけが全てじゃないのではないだろうか。もし、魂に記憶が刻まれているなら、アリーファがそうあってほしい名前を呼び続けることで、いつか帰ってきてくれたり、しないだろうか。
現に、人形の口許に浮かぶ微笑みは、エイレンが人をオモチャにして遊んでいる時を彷彿とさせるし、髪もいくらか金色がかっているように見える。
その髪に、幼い頃よくしたようにクシを当てつつ、アリーファは再び、話し掛ける。
「ねえ、エイレンはもう、みんなに会えなくても寂しくないの?」
私は、寂しいのに。
「エイレンはまた、一緒にご飯作ったり、バイトしたりしたくないの?」
あの時はエイレンも楽しそうだった。きっと、気のせいじゃないと思う。
「今ね、ハンスさんが、エイレンだけが無理しなくて良いように、方法を探してくれてるんだよ」
昨日、ハンスさんと師匠がボソボソと話していた内容には、そんなことも含まれていた。
聞いていてついつい、強烈にイラッときてしまった。
(私に対して貞操を守りたいとか、そんなことは一切言ってなかったっ!)というあたりで。
好きな人だから、いちばん大事にされたいのに。
ハンスさんの1番は相変わらず、であるらしい。
「ハンスさんも、エイレンのことだけを考えてるんだよ?」
きっとこんな事態が続けば、もっともっと、そうなってしまうに違いない―――そう思うと耐えられなくなって、実家に戻ってしまったのだ。
アリーファだって、友人は大事だ。でも、エイレンのことしか考えていないハンスさんは見たくない。
「なんなのかなぁ、もう……」視界がぼやけて、目をゴシゴシと乱暴に拭う。
ずっとキレイな気持ちのままで、今いちばん大変な目に遭っている人のことだけ心配していられたら、いいのに。
どうしても、ハンスさんのことを考えると、みにくい気持ちが膨れ上がってしまう。
(じゃあ、私は?私は何なの?)
逃げたくても逃げられない感情に、つかまって振り回されてしまう。
「イヤだなぁ……」
彼のせいで起こる気持ちは、いちばん彼に気付かれたくない。
「エイレン、はやく戻ってよ」
こんな言葉も、半分以上は自分のためだから、彼女に響かないのだろうか。
はやく元に戻って、彼を私に返してよ―――つい、そんな風に思ってしまうから。
梳られて艶を増した人形の髪にリボンを絡めながら編み上げる。
帝国でファッションショーをした折、白いドレスに合わせて作られた清楚で可愛らしい髪型だ。
「そっか。ドレスも変えなきゃ」
人形用の小さなクローゼットから、なるべくその時の雰囲気のドレスを探して着せ替える。
「わたくしには似合わないわよ」
憮然とした声が聞こえた気がして、アリーファは思わずクスッと笑った。
「似合うよ。ダナエさんも言ってたじゃない」
そのブスッとしたお顔をニコヤカにされるだけで、ウルトラ狙えますよ!―――って。
着飾らせた人形は思った以上の出来で、良かった、とアリーファは胸を押さえた。
大丈夫。汚い気持ちと同じくらい、ちゃんとキレイな気持ちも残ってる。
「ねえ、やっぱり、私はエイレンの顔でエイレンの声で、エイレンの心を持った子に、いちばん会いたいよ」
まだまだ一緒にやりたいことは、いっぱいある。
だから、ほんの少し、汚い気持ちを持つのも許してほしい。
「帰っておいでよ」
アリーファに頭を撫でられた人形の口許には、変わらず楽しそうな微笑みが浮かんだままだった。
※※※※※
「うーん」
骸のようにも見える女の身体を前に、精霊魔術師は困ったように首を傾げた。
魂が離れているのに、なおも生きている身体……当然、世話がいるのだが。
「アリーファ、帰ってきてくれませんかねぇ」
一応、精霊魔術である程度の清潔は保ち褥瘡ができないようにはしている。
しかしやはり、きちんと清拭したり着換えさせたりできた方がいい。
「いや別にアンタがやってもエイレンはかまわないんじゃないか?アリーファ1人じゃ重労働だろ」
神様が隣から覗き込む。
このような状態になってすでに5日が過ぎている。その間ハンスさんは、忙しい合間を縫っては、しばしば、この館に顔を出しているのだ。
「そもそも、そんなことで羞じらったりする娘じゃない」
「それは知ってますが」
しかしやはり抵抗がある。
「アリーファ、まだ帰ってくる気なさそうですか?」
何気なく尋ねた問いに返されたのは、沈黙だった。
「まさか……ずっと会ってないんですか?」
「だって、実家から一歩も出ないんだものあの娘~」
よよよ、と情けなく泣き崩れるハンスさんに、リクウは冷たい視線を投げる。
「普通に会いに行きましょうよ」
「そんなことよく平気で言えるな!?実家だぞ!?」
「やましいことがなければ、行けますよ」
うっ、と胸を押さえるハンスさん。やましいことだらけの身分と経歴の持ち主である。
「大体、いきなり行って『今お嬢さんとお付き合いさせていただいています。職業は神です』とか……確実に引かれるわ」
「普通に神魔法士とでも言っておけば、どうですか」
「なるほど」
リクウの提案にぽん、と手を打つ神様であったが、結局、その思案は無駄になった。
わざわざ神魔法士の服装を調達して会いに行ったハンスさんを、アリーファはあっけらかんと両親に紹介したのである―――
「神様のハンスさんです!今、結婚を前提にお付き合いしています!」




