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2.お嬢様は迷っている(2)

きしゃぁぁぁっ、と掠れるような水鬼の威嚇があたりに響き渡る。


「エイレン!」「エイレン様!」「巫女様!」


ハルサや作業員たちが口々に叫びながら駆け寄ろうとするのを、エイレンは微笑みだけで制した。


その身体を締め上げているのは、白い鱗に覆われた巨大な蛇の胴体である。


「大丈夫。危ないから寄らないでね?」


まるで彼女にしか懐かぬペットと戯れているかのような気軽さであるが、現状はどう見ても、それどころではない。


その顔は赤黒みを増しており、なぜ、まだうめき声すら立てず普通に喋っているのかが不思議な程だ。


それでも彼女は「来てはダメよ?」と軽やかな調子で言い続けていた。


やはり巫女様ともなれば特別なのだろう、と誰もが半ば安心する。

この状況下でさえ、そう思わせるように仕向けているのだ。


おそらくはクセのようなものだろう、とハルサは考える。


つまり現実には、ちっとも大丈夫ではない。


狙いを定めて投げた石は血の色の瞳に命中するが、大蛇の方はゴミが入った程度にしか感じていないようだった。

一瞬イヤそうに頭を振るが、こちらに注意を引きつけるまではいかない。


どうしようか、と考えるハルサとエイレンの目が合う。

いつ意識を無くしてもおかしくない苦しみの中で、その蜜色の瞳は至って冷静だった。


信頼されているのだ、と理解する。


ここで、まずしなければならないことは何か。


きしゃぁぁぁっ、と再び威嚇音が響く中で、「リヴェリス」と同じく帝国から渡ってきた同僚を呼ぶ。


「今のうちに作業員たちを安全なところに避難させよう」


「イガシーム様を置いていくのか」


「彼女は言わば、すでに部外者だ」自分の口から発せられる言葉の冷たさが胸を刺す。でも今は、それでも構わない。


「我々に被害が及ばないようにするのが先だ。何かあれば、今後に差し障るだろう?」


「そうだったな」とリヴェリスが痛ましそうな顔をしつつも、頷く。


彼らが作業員たちをまとめて避難させてすぐ、ひときわ強い閃光と轟音が、川原を覆った。



※※※※※



「おにいさまも、神様にえこひいきされたの?」


それまで腹を立てていたように口を閉ざしていた少女の問いに、ハンスさんは目を丸くする。


蔦で覆われた石の壁に取り囲まれた、小さなスペース。神殿の中でもそこは、彼ら2人の秘密の場所だった。


「どういうことかな?」


「髪と瞳の色」少女は、キュッと音がしそうなほどに唇を噛む。


「えこひいきされているから『一の巫女』選出でもトクよね、と言われたわ」


心底から忌々しげな口調。もっと幼い頃にはこの場所でよく泣いていた子供は、いつの間にかその代わりに怒るようになっていた。


「そう思うのであれば選出の場で、わたくし以上の力を示すが良い、と言ったら、泣き出して、わたくしが叱られたわ」


あんなバカでワケの分からぬ役立たずなど、さっさと追放でもすれば良いのに、なぜあんなに大きな顔で居座っているのかしら。


憤懣やる方ない、といった表情でボヤく少女だが、それは仕方の無いことだった。


人を殴り付ける時は、できうる限り、そうとは分からない方法をとらねばならない。


好む好まざるに関わらず、神殿系貴族の長ともなる家に生まれた者は、そうした教育を徹底されるのだ。


真っ直ぐな気性が美徳ではなく『バカ』と言われる家風である。


おそらくは数年のうちに、少女も神殿のトップとして適切な振る舞いを身に着けていくのだろう。

そう思うと、苦いものが胸に込み上げる。


その魂に問いたかった。

なぜ、こんな処を選んだのだ、と。


この国は、彼女が治めていた頃とは違うものに変わってしまっている。


一部の者に無自覚に犠牲を強要する国。薄い絶望が、民の心の底に横たわる国。


彼女は、変えるつもりで再びここを選んだのだろうか。

だが、神様(ハンスさん)は彼女に、どのような苦労もさせたくなかった。


えこひいき?

もちろん、しているに決まっている。


しかしそう言う代わりに、彼はこう問いかける。


「その色は、嫌いか?」


「いいえ」それまで怒っていた顔が、ぱっと甘えを乗せて輝く。


「おにいさまと同じ色だもの。嫌いなはず、ないでしょう?」




※※※※※




水鬼を滅ぼした神様(ハンスさん)が跳んだのは、この世であってこの世でない、次元の狭間、とでもいうべき場所である。


彼は意識を失った巫女の身体を抱きしめながら、過去を思い出していた。


しっかりとした筋肉がついているはずなのに、驚くほど軽い。

また食べていないのだな、と思う。


神力を鍛える、回復させる、サバイバル鍛錬……さまざまな理由でエイレンはしばしば、食を拒否する。


考えたくはないが、まるで緩慢に自殺しようとしているかのようだ。


今度こそは誰よりも大切にして、髪の毛ひと筋ほどの傷も付かないよう、護ってやりたい。

そう、彼女が生まれる前から考えていたのに、現実には空回りし続けている。


「ハンスさん?」エイレンが目を醒まして彼を見る。


「助けてくださったの」


「当然だろ」


「それは有難うと申し上げるべきですけど」わざわざ言葉を切って、深く息を吐くエイレン。


「王都に水鬼を発生させるなんて、色ボケかしら」


「いや違」


「違うとおっしゃるなら、その頰のキスマークはナニ」


「ええっどこどこ♡」


慌てて頬を押さえる神様を面白そうに眺めて巫女は、つい、と頬の1点を指した。


「ここ……なんてね?」


えっ、と出来た隙を利用し、巫女の手が神様の頰を挟む。そのまま唇が貪られ、舌が口の中を素早く舐め回すのをハンスさんは唖然としつつ受け入れた。


「どう?その気になった?」


顔を離すと、蜜色の瞳がじっと見つめて微笑む。

人形のように、美しいが感情の籠もらない微笑。


「んーん?もうちょい欲しがってくれないと無理……ぐはぁっ」


巫女の肘は、神様の鳩尾(みぞおち)にキレイに決まっていた。


「痛いっ……主に心がっ……」


涙目の神様の腕から離れ、その脚の間をガッと膝で割る。


「贅沢おっしゃってないで、とっとと済ませましょうか……もう限界、なんでしょう?」


「いやまだまだ」


「それ以上、強がるなら無理やり奪うわよ」


「なんと言われてもまだだッ」


エイレンの攻撃を避けようと、逃げの姿勢に入るハンスさんであった。


巫女の顔に困惑が浮かぶ。


「どうして?とりあえずやってしまえば、邪鬼どもに苦労することなくアリーファとデートもできるようになるのに」


「お前はそれでいいのか?」


「だっていずれはすることだもの。それならば早くしてしまって、少しでも被害を抑えるべきでしょう」


「そう思っているならなぜ、さっき俺を呼ばなかった」ハンスさんは大きく息を吐き、両手で顔を覆う。


「本当に危なかったんだぞ」


真剣な声に、エイレンの表情はさらに戸惑ったものになった。


「……わからないわ」


「じゃあ、宿題だな」


幼い頃によくしていたように、ポン、と彼女の頭に手をのせる。


「分かるまではお前の役目など考えなくても良い」


結界ならまだ何とかなる、と請け合われ、エイレンは戸惑い半分、苛立ち半分、といった表情で頷いたのだった。


だが、と幼い頃から彼女を見てきた神様は思う。


ほんの少しだけ安心しているな、と。

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