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2.お嬢様は迷っている(1)

草原のような優しい緑の絨毯。

窓には淡い緑のカーテンが、どこか寂しい晩秋の陽射しに揺れている。


窓際に、まだ主のいない揺りかご。


その周りには、柔らかな木綿で作られた人形や、小さな椅子、木馬などが所狭しと並べられている。


「国王様がどんどんと運び込ませてしまって」


大きくなった腹をさすりながら、(ファーレン)は微笑んだ。


貴人の子供は乳母に預けられるのが常であるが、ファーレンはそれを嫌がった。

そして王宮内の側室の部屋は今や、気の早い国王(ディード)の手によって子供部屋へと化しているのである。


「寵愛深い側室様への貢ぎ物もあるのではないの?」


エイレンがからかい気味に問えば、ファーレンは真面目な顔で、少し困っているの、と答える。


「最近は国王様への贈り物を赤子用の品にするとご機嫌が良くなると噂が立ってしまっているのよ」


「まぁ素晴らしいではないの」


「晴れ着は毎日着せても余るほどあるし、宝石のついたガラガラだなんて教育に悪いわ」


変なところに神殿のドケチ精神が生きているファーレンである。


あら今動いたわ、と嬉しそうに腹を撫で、エイレンの手をとった。


「触ってみて?ほら、お腹を蹴っているでしょう?」


「いいわ」そっと引き抜かれた手をまた取る。


「恐くないのよ?」そのまま腹に当ててやろうとすると、今度は少しだけ強めに振り払われた。


「違うわ。わたくしの悪影響を受けないように、よ。赤子に罪はないもの」


ファーレンは了解して微笑む。


「怒っているのね、わたくしに」


「……ごめんなさい。姉上は姉上なりのお考えがあるのは、分かっているのよ」


「そのようにこぶしを握りしめては、爪が手のひらを破いてしまうわ」


ファーレンはもう1度(エイレン)の手を取り、折り曲げた指を1本1本開かせると、自分の腹に当てた。


「大丈夫よ。あなたがいくら怒っていても、もう誰も傷つけたりしないわ」


妹の手が触れた部分が分かるかのように、腹の皮を赤子が力強く蹴る。


「そのために、ここを出たのでしょう?」


「分からないわ」


緊張していたエイレンの口許が緩み、その手が(ファーレン)の腹を優しく撫でた。


「あの時は己自身から逃れたかったのだけれど、結局帰ってきてしまうのね」


「でも、同じではないでしょう?」


エイレンは頷く。


「己が空っぽの器であると認めることはできたわ……側室は、ほかの娘よりわたくしが適任ね」


やりたいことはできる限りしてみた。感情を取り戻した。

それでも、思えなかったのだ。

何の役にも立たない己に価値があるとは、どうしても。


「ごめんなさい」ファーレンがうなだれた。


「側室として勤めを果たさなければならないのはわかっていたのだけれど、どうしてもできなかったの」


「仕方ないわね。それが姉上が『一の巫女』から外された一番の理由だもの」


本来ならば、器に神魔法の才など要らないのだ。ただ、優れた使い手を側室に立てれば神殿としてハクをつく。しかし最も重要な素質は、いかに淡々と義務をこなせるかである。


候補となった2人の娘のうち、ファーレンの方は惚れやすくまた一途でもあった。それよりは、人を人とも思わないところのあるエイレンの方が適任だったのだ。


そう言うと、ファーレンは更にうなだれた。


「本当にごめんなさい」


「いいのよ」なるべく優しく姉の肩に手を置く。


「姉上のお気持ちも今なら少しは分かるし」


「そう?」ファーレンは嬉しそうな顔になる。


「良かったわね」


「良かったかどうか、分からないわ」


「良かったのよ」


姉には似合わないキッパリとした口調に、エイレンは無言で眉を上げた。


「知らないよりは知っている方が、ずっと」


「たとえ捨て去ることになっても?」


「ええ……わたくしが言えた義理ではないけれど」


再び申し訳なさそうな顔をするファーレンに、今度はエイレンがきっぱりと告げる。

姉には姉で正しかったのだ、と。


「これからの神殿の娘たちのために、良い前例ができたと思っているわ」


「ありがとう……でもね、わたくしはまだ諦めていないのよ」


(ファーレン)の手首で繊細なミスリルとサファイアの鎖が揺れて、小さなきらめきを放つ。


「この子も、あなたも、国王様も、民も、わたくしも。皆が幸せになれる未来が欲しいの」


どうすれば良いのかは分からないけれど、と腹を撫でつつ首を傾げる(ファーレン)に、エイレンは微笑んだ。


相変わらず何の計画性も無く夢見がちなだけだが、そんな闘い方もあるのだと、今では思う。




※※※※※




「完成までは割と早い見通しだよ」


建築中の工員たちの宿舎の(かたわ)らで、ハルサはエイレンに説明した。

(ファーレン)の見舞いの後で川沿いの工場予定地を訪れるのが、ここしばらくのエイレンの日課になっている。


「火山灰コンクリートの成型はもう始めているから」


「宿舎は木造なのね」


「早く完成してやらないと、作業員たちの住む場所がね」


作業員たちは隣接している貧民街から通ってきているのだが、そこの居住環境は良いとは言えなかった。


「やはり衣食住は早めに満たしてやった方が、士気も上がるし現場でのトラブルも減る」


「トラブルが起こっているの?」


「今はまだ、些細なことだよ」ハルサは肩をすくめた。


「どっちが先にぶつかった、だとか……やはり人間どうしだし気の荒い奴も多いから」


「そのようなこと、どちらでも良いではないの」


バカではないの、と憮然として呟くエイレンを、ハルサは面白そうに眺めた。


「君は現場監督には向かないね」


「そうね、するなら監督より作業員の方が良いわ」


「じゃあ時間がある時には手伝いにくるかい?」


他愛ない会話を遮ったのは複数の叫び声だった。


「ああっ!」「舟が!」「資材がっ!」


川上から運ばれ、木材を載せて待機していた小舟。

そこに、巨大な白蛇が絡み付いている。


小さな瞳とチョロチョロと吐かれる舌は、血のような紅。

額の角が、陽を反射して鋭く光っている。


その姿は、かつて目にした時は手のひらに乗るほど小さかったが、確か。


「水鬼」


エイレンはそう、呟いた。


黒く蠢くヌルッとした不気味な塊だった幼体とは似ても似つかぬ姿は、美しいとすら言えそうだ。


しかし、やっていることは同じく凶悪だった。


ザラザラと細かな鱗に覆われた胴体がくねる度、舟は傾ぎ、バキバキと音を立てて壊れる。

積まれた木材が折れ、川面に散らばり、半ば浮き半ば沈みながら流されていく。


とっさに神魔法を詠唱し、腕を振るエイレン。

天からの雷が、巨大な白蛇を打つ。


キシューッ、と微かな悲鳴をあげて水鬼は舟を離し、岸に半ば身を乗り上げてのたうった。


どぉぉんっ。


更に強い雷が水鬼目掛けて落とされる。

巨大な白蛇はばったりと岸辺に身を投げだして動きを止めた。


()ったのかな」ハルサの確認にエイレンは「さぁ?」と答える。


邪鬼の類は死んだのであれば身体が消えてしまうはずだが、いつまで経ってもその気配はない。


「トドメを刺した方が良さそうね」


エイレンがレイピアを抜きつつ横たわる蛇の身体に近付き、突き刺そうと構えた時。


白蛇の禍々しい瞳が、開いた。

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