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1.お嬢様は想い出を抱きしめる(2)

軍船から降りたルーカスは、意外な出迎えに驚いた顔をした。


「皇女殿下」


そのまま最敬礼をとりそうになるのに、慌てて「お忍びですので!」と注意するティルス。辺りは既に暗いが、両膝を地面に着く礼はやはり目立ってしまう。


姿勢を正してから兄に気付くが、特段な挨拶はしない。


「なぜアナスタシア様が?」


「お前が帰るのを待っていて下さったらしいぞルーカス」


「なんともったいない」


再び最敬礼をとりそうになるのを、ティルスが押しとどめる。そんなルーカスに次にレグルスとアナスタシアから投げられた言葉は、期せずして同じだった。


「「エイレン様は?」」


「無事に聖王国に到着し、王都へ向かわれましたが」


「お前、何をしにわざわざ聖王国までついていったんだ」レグルスが呆れたように首を横に振った。


「薬盛ってでも連れ帰れよ」


「彼女が望めばそうしましたが、望まれなかったので」


「悠長に構えてるとまた父上から説教だぞ」


「彼女を連れ帰っても説教されると思いますが」


「だから、同じ説教されるなら好きな女が傍にいた方が良いだろう?」


お前のために言ってやってるんだ、といわんばかりの視線がレグルスから向けられる。どうにもいたたまれず、ふいっと逸らした目を今度はアナスタシアの真っ直ぐな瞳が迎え撃った。


「それでいいの?」心底から不思議そうな問い。


「もう会えないかもしれないのでしょう?」


「仕方が無いんです」かなり苦みが強めな思いを噛みしめつつ、端的なひと言を放った。


「フられましたので」


アナスタシアが「ご、ごめんなさい」と慌て、レグルスが「お前もうちょい気を遣って話せ」と舌打ちをする。


「それにしてもフラーミニウスの者にしてはしつこさが足りないな」


父上が何回、母上にフられたと思っているんだ、と言われてルーカスは暗い顔をした。


「どれだけしつこくしてもフられる見通ししか立たなかった」


聖王国を出立する朝には彼女の姿はすでに無く、枕元に『また会いましょう』という走り書きだけが残されていたのだ。

そのメモだけで、イロイロと無かったことにされたような気がしてかなり心が傷付いたルーカスである。


「見送ってももらえなかった……」


「わかったよ。仕方が無いね」


どんよりと澱んでいく弟の表情がさすがに哀れになり、攻撃を緩めるレグルス。


「そろそろ行こう。皇女殿下をお送りしなければ」


アナスタシアがルーカスの手を両手ではさむ。


「わたくし、ルーカス様からもっとお話を伺いたいわ!聖王国のこととか」


「それは明日、皇帝陛下にお話する予定ですのでご同席されたらいかがでしょうか」


「……ええ。そうね」


しゅううん、とうなだれるアナスタシアを見てレグルスは再び、「もっと気を遣え」とルーカスに囁き、笑顔を作る。


「それでは、今夜は皇女殿下をフラーミニウス家にご招待しましょう」


「えっいいの?」


「ええ皇女殿下さえよろしければ」にこやかに頷くレグルス。


「こんな顔の宰相と同じ食卓でも構わないのならば、ね」


端正な顔が器用に歪められたのを見て、アナスタシアは声を上げて笑ったのだった。



※※※※※



翌朝、アナスタシアとティルスはフラーミニウス家の庭園にいた。


「ルーカス様お忙しいのでしょう?昨日も眠っておられないし」


侯爵家の次男は、旅から帰ったばかりだというのに急な泊まり客のための警備を買って出たのだ。

そして今朝はこれから皇帝への挨拶と報告のために宮殿に向かう予定だというのに、その前に広い庭園を案内してくれている。


申し訳なさそうなアナスタシアに「いいえ」と首を横に振ってみせるルーカス。


「慣れてますから」


「急に泊まってごめんなさいね」


「いえ」


「それから、ありがとう」アナスタシアが嬉しそうに、薄紅色の花弁をつつくと、それは朝日をキラキラと()ね返して揺れた。


「ここで海の女神(ネリネ)に会えるだなんて。しかもこんなに」


ノートースでも高地にしかなかった花が、庭園のそこかしこに咲いている。


「これもお母様の趣味?」


「そうですね」


秋の庭は海の女神(ネリネ)のほかに優しい色合いの『運命の女神の花(フロス・パルキース)』で彩られ、さながら花野のようだ。


フラーミニウス家の庭園に花が咲くようになったのは母が嫁いできてからだという。

しかし亡くなった後もそれは当然のように続けられた。そのせいか、今でも庭園にいると、視界の片隅でふっと母の影がよぎるような気がする時がある。


「あ」ティルスが声をあげた。


(はね)に白斑のある、黒い蝶がやってきて、海の女神(ネリネ)の周りを飛んでいる。


「まだいたのね」アナスタシアが瞳を輝かせた。


「何という名かしら」


「『イーリスの侍女(ニンファ・イリシス)』です」


ルーカスは、その優雅な名を呼びつつそっと指をのばす。


しばらく待つが、蝶は指にとまることなく飛び去ってしまった。


(はね)に陽光があたると、虹の色にひかります」


想い出は、甘く、懐かしく、針で突いたように痛い。



※※※※※



そんな想い出など簡単に足で踏み付け蹴り飛ばすのは、フラーミニウス家が絶対の忠義を誓う皇帝陛下である。


「なんだそなた、連れ帰らなかったのか」


執務室で、挨拶も最敬礼もそこそこに「この役立たずめ」と言わんばかりの視線を投げられ、ルーカスは姿勢を90度近くまで折り曲げる。


「はっ、誠に申し訳なく存じます!」


「全く。あれだけぼーっと見ていたのがムダだったとはな。アテが外れたわ」


「はっ」


ぼーっと見ていたつもりはないが、土下座でもした方が良いんだろうか、と考えつつ奥歯を噛みしめるルーカス。


見かねて、アナスタシアが口を挟んだ。


「皇帝陛下」


「何だ可愛い妹よ」


これほど感情を伴わない『可愛い』は滅多にないな、と周囲が思う中で、皇女は言葉を濁した。


「いえ……あの、それより、早く聖王国のことを聞きとうございますわ」


「そうだな」皇帝陛下は鷹揚(おうよう)に頷く。


「そなたが嫁ぐ国だ。しっかり聞いておけ。どうだった」


「まず今回、予定よりも時間がかかった原因ですが」


ルーカスは姿勢を正し、言葉を選びつつ口を開いた。


できれば皇女殿下を不安にさせたくない。が、どう言えば良いのかが分からず、結局は真っ直ぐに突き付けてしまう。


「あの国では今、何かが起こりつつあるようです」

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