22.お嬢様は救助される(3)
十六夜の月が昇る頃、赤地に金糸で双頭の鷲を縫い取った派手な帝国旗を掲げた黒い船がゴート港に入ってきた。
旗は立派だがメインマストが無惨にも斬られ、どこか落ち着かない風体の軍船である。
銅鑼の音に合わせ、徐々に向きを変えて接岸を試みていた船から碇が降ろされ、陸に飛び移った水夫が船から投げられたロープを受け取り、杭に舫う。
船が完全に止まると、船底の漕ぎ手席からは歓声が上がった。「良くやったなぁ俺たち」という充足感と、今朝方早くに船長自身が約束したボーナスへの期待から、重労働の後にもかかわらずその声は明るい。
期待に早速応えようと、監督官のブテノーが銀貨の詰まった袋を持って漕ぎ手席を廻る。
1人当たり銀2枚。なかなかの額である。「どこにそんな金があるんだ」と引く船長に昨晩、淡々と監督官は告げた。
「新米仕官からの心付けを断らずベッド下に溜め込む、というご英断は、このような時のためのものと日頃から感心いたしております」
更にダメ押しした。
「栄養不足と過労で苛立つ漕ぎ手や水夫たちがこの事実を知ったら、どうなるでしょうね?」
こうしてめでたく臨時ボーナスは賄え、ブテノーは「気前の良い船長に感謝を」と念押ししつつ漕ぎ手たちに銀を手渡す。
「船長バンザイ」「長官愛してるッ」
景気の良い掛け声にほんのわずかに口許を緩めつつ自分のことを『長官』と呼び出した変わり者たちのことを思った。
海に落ちた2人の無事を信じ、願う気持ちは変わらない。だが一方で、友人たちを捜索に行かせたのは間違いだった、という思いが、何度も何度も強く心臓を叩く。
だがどうしても、彼らにはきっとまた会える、と思ってしまうのだ。
それが呑気な希望的観測なのか、それとも正しい直感なのかはまだわからない。
迷いつつ決め、決めた後も迷う。
そんなことはもう、何回も経験済みである。死ぬほど後悔したこともあれば、決めて良かったと思ったこともたまにはあった。
次はどっちだろう。
考えつつ、袋の底から多めの銀貨を掴み出し海神へと供える。
「ちょっとぉ、海に撒く分があるなら俺らに下さいよ長官!」
冗談混じりのツッコミに「おう、潜って好きなだけ取ってこい」と、やはり冗談で返す。
「ただし、死ぬなよ」
「はーい!」「了解!」「もちろんッス!」
口々に返事をしながら、漕ぎ手たちは船を降りていった。
メインマストが修理されるまでの数日間は、ゴートに滞在する。4人に増えた失踪者の捜索は、船長と相談し神殿に依頼することになった。
修理完了までに見つからなければ、一旦諦めて帝国に帰らなければならない。
だが、とブテノーは何度も繰り返した計算を再度、頭に浮かべる。
―――この夜が明ける頃には、日に焼けた小さな帆が沖合に見えるのではないだろうか―――
しかし、そんな計算よりも、ゴート神殿の対応はもっと素早かった。失踪者の中に、帝国が『使者』でありかつ『皇帝の友人』として遇してきた、神殿の巫女が居たからである。
「流れ着くとしたら十中八九、この島です」
捜索を担当する神官は、海図を指し簡単な説明をすると、神殿所有の中型船に乗り込んだ。
「もし小舟で先に発っていた場合はうまく会えるとは限りませんが、とりあえず行ってみますね」
キビキビとした物言いが頼りになる。
「もし心配ならご一緒しますか?」
問われて、また迷う。しかし返事は口をついて出ていた。
「いえ、ここで待っています」
たとえ停泊中とはいえ、気軽に軍船から離れるわけにはいかないのだ。
それに、なぜかここで待っていた方が、彼らが無事である気がする。
「そうですか、では行ってきます」
神官はあっさりと頷き、顔を沖へと向けた。慣れた様子で水夫たちに指示を出す。
夜目に浮かび上がる、漂白していない麻に神殿の紋章が描かれた旗は、みるみるうちに遠ざかっていった。
※※※※※
中天より少し西に傾いた月の光を背に、一艘の小舟がゴートを目指して走る。その舟から響くのは、ノートースのリズムで唄われるフザけた歌だ。
『セイレーン、セイレーン
麗しき海の乙女たち
あんたらの歌はキレイだが
それだけじゃあ、ちと、物足りぬ
もっとこっちへ来てくれよ、
熱いダンスを教えるよ
知ってしまえばもう虜
踊り続けて夜が明ける』
キルケの即興の歌に合わせて座ったまま手足と首を踊らせていたハルサだが、8拍子で船縁を叩く音が途切れたタイミングでルーカスに「代わろう」と漕ぎ手を申し出た。
ルーカスが櫂を動かしつつ首を横に振る。
「エイレンが寝てる間はいい」
熱はすでに下がりかけているが、口うるさく「無理をするな」と言われ続けていたのだ。逆らえば、鞭が容赦なく手足に絡み付く。
「自分は極限まで動こうとするクセに矛盾してるよな」
船底で静かに寝息を立てるエイレンの頬をツンツンつつくキルケに、ハルサが確認する。
「起きないのか」
「ああ、よほど疲れてるんだろうな」
「では私も」悪ノリしてもう片方の頬をツンツンするハルサ。
「おお、ホントだ起きない。珍しいなぁ」
ほらルーカス君、交代するよ、と譲ったのを、歯軋り付きで断られて、ああそうか、と笑う。
「君たちもっとイイことしてるもんね」
さらりと言ってのけて、絶句しているルーカスから櫂を奪い取った。
「嫁さんでなくて悪いが、本当に無理は禁物だよ。何しろ君1人の身体じゃないんだろう?」
「なんだかイロイロと悲しくなることを言わないで下さい」
ボソボソとした抗議を、いやぁ若いっていいねぇ、と笑い飛ばすハルサである。
「まぁ、悲しい時には踊るのが1番さ!」
ぞんざいな慰め方にルーカスは黙って軽く歯軋りし、キルケがにやりとして「じゃあもういっちょ」とまた唄い始める。
他愛もないやり取りと歌が何度も繰り返されるうち、水平線の上の空が、しだいにほの白く染まってきた。
もうじき、夜明けである。
※※※※※
西の海すれすれに傾いた月が、徐々に光を失って、白い空の雫に変わる。
その様を、ブテノーは港の杭に座ってじっと眺めていた。待っているのは月の雫と比べるとかなり黄ばんで、薄汚れているであろう小さな帆だ。
しかし、背後から太陽が海に光を投げかけるようになっても、その帆は現れなかった。
やはり、という後悔と、まだ、という希望が交互に立ち上っては消えていく。
「長官!」漕ぎ手の1人がやってきた。ルーカス、エイレンと並んで漕いでいたアクイーラだ。
「おう、銀貨を拾えたか」
「その前に海神の元へ行きそうになりましたよ」
どうぞ、と魚の燻製が挟まれたパンが差し出される。
「ありがとう」
朝食を有難く受け取ると、アクイーラも並んで立ったままパンをかじりつつ、海の彼方を眺めた。
「きっと帰ってきますよ」
「そうだな」
「あんな変わった連中、海神も冥界神も願い下げですから」
「全くだ」
海は今日も穏やかである。彼らが生きている証拠だと船長に詰め寄ったりもしたが、それを最も信じたいのは、ブテノー自身だった。
日が更に高くなって波を燦めかせ、ポツポツと交わされる会話も途切れがちになった頃。
ちらり、と沖合で何かが動いた気がした。
「あっ」アクイーラも気付いて声を上げる。
波に踊る日の光よりも、更に明るくはためく神殿の旗。ずいぶん早い戻りだが、首尾良く会えたのだろうか。
波を白く割りながら、神殿の船はゆっくりとこちらに近付いてくる。
その後ろに、待ち望んだ日焼けした小さな帆が曳かれているのを見つけた時、ブテノーの喉は勝ち鬨のように呼びかけの声を発していた。
「おおおーい!」
隣では、アクイーラもまた大声で叫び、手を大きく振っている。
近付いてくる船の上で、彼らの友人たちが同じように手を振っているのが見えた。
読んでいただきありがとうございます(^^)
今回、急に名前がついた監督官ブテノー様(合わせて前回、前々回あたりも少し変更しました)。のちほど活動報告でちょい詳しく触れますので、気になる方はそちらもご覧いただければ嬉しいです。
そして前回は(きっと評判悪いわ)と戦々恐々としていたにも関わらず、お休み中にボチボチと読んで下さる方もいて……本当に感謝です!
では、微妙なお天気続きますが、皆様の外出中には降りませんことをお祈りしつつ。




