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20.お嬢様は時化に遭う(3)

耳を澄ませば、船室の中までも海のうねりがかすかに響いてくる。


船の揺れや、甲板と階下から聞こえる怒号から、今が、かなり危ない状態だということが分かる。


「えー世話係としては、技師の皆さんの安否を確認し、ウソでも大丈夫ですよと言い切って励まし力付け、船室から出ないよう指示しに回るべきかと思うんだが、どうだい?」


キルケはリュートを抱えて揺れから守りつつ、同室のアルフェリウスに提案した。対するアルフェリウスは青ざめた顔をして首を横に振る。


「技師たちは希望者ばかりだ、それなりに覚悟もあれば旅慣れてもいるでしょう。心配要りませんよ」


とかもっともらしく言っているが、どうやら腰を抜かして立てないらしい。まぁ、別にいいか、とキルケはバランスを取りつつ立ち上がる。


「そうか。じゃあ念のために、私がちょっと行ってくるよ」


そもそも文官に任せたいのは聖王国でのややこしい手続きだの、技師や向こうの官僚にする、詩的でないアレコレの説明の数々である。船揺れの中ヘタに働かせて、そのよく回る舌が動かなくなったら後が面倒だ。


船室の扉を開けると、背後から「イガシーム様の様子もついでに見てきてください」と声が掛けられた。


「誰だって?」


「使者様ですよ。元が深窓のご令嬢ゆえ、怖がっておられるかもしれません」


絶対無いな、それ。甲板か漕ぎ手席かは分からないが、むしろ喜んでせっせと対処にあたっていることだろう。非常事態であればあるほどイキイキとしてしまうのがアイツの性だ。


笑いを噛み殺して、返事代わりに手を上げて見せる。落ち着いたら甲板と漕ぎ手席を回って、アルフェリウスの言葉を伝えてやるとしよう。きっと「まぁまだそんなこと思っておられるのね」などと可笑しそうに、蜜色の瞳を丸くするに違いない。




声掛けを兼ねた見廻りはスムーズだった。技師は6人いるが、今後の仕事上で関わりが深い者同士、2人1組で同室であるために部屋は3室しかない。


1室目は工場技師2人組。聖王国が希望していた、製紙と織物の技術者である。建設技師と協力して工場建設にあたり、技術指導も行う、という名目で募集された。

年若く冒険心にあふれた2人は、この揺れをも楽しんでいるらしい。


2室目で船酔いしている鉱山技師に「歌えば治る」と荒っぽい励まし方をし、帝国人なら誰でも知っている歌を弾いてやっているうちに時が少々経ち、船の揺れがややおさまった。


3室目は建設技師が2人揃って、それぞれのベッドに寝転がっていた。最年長のハルサと、40を越えたベテラン技師リヴェリスの組合せは、落ち着いたものである。


「ああ、なかなか良い歌だったな」


ハルサが起き上がって、隣から聞こえてきていた歌を誉めれば、キルケはニヤリとしてみせる。


「あんたにもついに北部の歌の良さが分かったか」


「子供が歌うものには罪が無いからな」


それに少しばかり懐かしい、とハルサは笑った。


「私たちにも何か弾いてくれよ」


リヴェリスのリクエストに、さて、と首を傾げるキルケ。


「なら海にちなみセイレーンの歌にでもするか?」


「おいおい」とリヴェリスは呆れた顔をしたが「いいね」と口笛を吹くハルサの楽しそうな顔に、肩をすくめる。


「まぁいいか」


「そうそう。どうせ身を滅ぼすなら美女に誘惑されての方が楽しいからね」


ハルサの言にキルケが声を上げて笑う。


「違いない」


その声を聴けば船乗りたちはたちどころに恋に堕ち、水に身を投げて死んでしまう―――そんな伝説を、今にも難破しそうだったこの状況で歌うとは冗談がキツい。そして、こういう冗談が通じるのがキルケとハルサが気の合うところなのである。


ハルサが足をトントン、と踏み鳴らした。


「ノートースのリズムで頼む」


「踊りもイケる美女にするか」


キルケが再びニヤリとしてリュートを構えた時、何かが水に落ちるような音がかすかに聞こえた。次いで「誰か水に落ちたぞ!」「2人だ!」という叫び。


3人は、慌てて船室を出て甲板に向かう。漕ぎ手席から1人の男が同じく慌てて階段を駆け上ってきた。


「あんた、見たのか?」


誰が落ちたのか、とキルケが尋ねれば「絶対、俺と一緒に漕いでたヤツらだった!」と悲鳴のような声が返ってくる。その手には、汐で濡れた見覚えのあるマント。


「あのヘンな女と『ルークさん』だ!」


女が落ちた直後にルーカスが飛び込み、しばらく泳いで探していたが見つからなかったようだ、と漕ぎ手の男は説明した。


「櫂につかまらせようとしたがうまく行かなかったんだ!そのうちルークのヤツも見えなくなって……」


キルケは一瞬足を止め「あのバカが!」と舌打ちをした。


恋に身を滅ぼすのは確かに海難事故よりオツだとは思うが、その当事者が友となると、事情はまた、違うのだ。



※※※※※



海で遭難した時に最もしてはいけないのは、まず慌てることだ。次に、絶望すること、その次に、希望を持つこと。


生き残れるのは、冷静に事実を認識した上で最善の行動をとる者だけである。


夏の軍事サバイバル訓練では、意識を失う寸前まで泳がされるのが常だった。まだ幼かった頃にその意味をオニ教官に尋ねると「勝負はここからだ」と言われた。


何の助けも得られない海に1人落ちたなら、無駄に泳いではならない。もがくなどもってのほかだ。訓練で死ぬほど泳いで得たのは、泳がないことだった。


力を抜いて波に身を任せ、浮く。体力を使わずに海を単身渡るにはこれしかない(もっとも渡りきるにはかなりの運が必要だが)。


それに、今では、必ず助けてくれる存在がある。精霊たちはどこにでもいるのだ。ほんの少し彼らの言葉を知っているだけで、彼らは惜しまず力を貸してくれる。


エイレンは落ちながら精霊魔術(まじない)の文言を呟き、空気の層をその身に纏わせた。


ルーカスを核にした結界のお陰で波は穏やかだ。水平線のすぐ上の空はほんのり白く染まってきている。夜が明ければおそらく軍船から救助が出るだろうし、運悪くこのまま流されたとしても、近くの島には着くだろう。


そんな予測は、己のすぐ後に追いかけてきた水音に破られた。


(そういえば、いたわね)


思わず憮然としてしまう。


そうだった。職務熱心で直情的な行動に出やすい彼が、全くもって冷静に振る舞わないのは、有り得る話なのだ。


(ああもう!どうしてあの人ってこんなにバカなのかしら!)


少々襲われかけるくらいなら可愛いものだが、こういう局面でまでブレずにバカなのはいただけない。


内心で盛大に舌打ちをし、エイレンはルーカスの姿を探すべく水の底へと潜っていった。



※※※※※



(落ちてすぐ、この辺りで波に呑まれたはずだ)


ルーカスは必死で泳ぎ、エイレンを探す。彼の周囲は波が常に凪いでいて、体力を温存しやすい、と感じた。これが結界の効果というものだろうか。


自分を核に結界が張られているのだ、とは、術が終わった後でもいまいちピンとこない話ではあったが、確かに多少、死ににくはなっていると思う。


もし意識を失い流されるにしても、まだ遠くへは行っていないはずだ、と軍船の周りを巡ってみるが見つからない。


目の前に櫂が差し出され、何事かを叫ばれたが無視して再び底へ潜る。もしここで櫂に掴まって助けられてしまったら、エイレンは2度と見つからないかもしれない。


バカなことをしているという認識はあった。すぐに飛び込んだりせず、船長に掛け合い小舟を出させて準備を万端にした上で捜索は行うべきだ。しかし、それだけの時間を経て彼女が生きているという保証はあるのだろうか?


皇帝陛下に任じられた護衛の役目を果たさず、自分だけがおめおめと生き残ってどうせよというのだろう。


(生きていてくれ)


もう1度、少し場所を変えて、潜る。身体が少し冷えてきた。貼り付く衣服が気持ち悪い。


再び目の前に櫂が差し出される。ロープを投げて寄こされる。軍船で親しくなった漕ぎ手たちは皆、上からの指示を待たずに彼を助けようとしてくれているのだ。


しかし、ルーカスには自分1人だけ助かることなど全く想像できなかった。


(生きていてくれるだけで良い)


聖王国に着いてしまえば、この先もう会うことはないかもしれない。それでも、彼女がこの世にいるかどうかで、世界の持つ意味合いは全く異なる。


幾度も幾度も泳いでは潜るうち、身体ははっきりと重たく、動きにくくなっていった。目の前が暗い。頭がクラクラして、何も、見えない。


息が、できない。


もしかすると自分は沈んでいっているのかもしれないな、と気付いたが、伴う感情は意外にも平静だった。


この命で、彼女が助かるならいい、と思う。せっかく結界の核とやらになっているのだ。願いの1つくらいは、叶わないものだろうか。


意識が昏くなっていく。完全に何も分からなくなる寸前、何かに抱きしめられた、と思った。


助けるなら自分ではなく彼女を。


意識が無くなるまで、ルーカスは繰り返し、そう願ったのだった。

読んでいただきありがとうございます(^^)


今回の更新も押し気味で……本当はあと2、3回冷静に見直してからにしたいのですが、そうするといつ投稿できるか分からないからとりあえずupします。後でまたチョコチョコ手直し入れるかもしれません(^^;)


そして、前回ポコポコポコと新しいブクマをいただきどうも有難うございます!嬉しくて3度くらい見直しました。


これもこれまで呆れずブクマ残して下さってる皆様、読んで下さっている皆様のお陰です!本当に感謝×10でございますm(_ _)m

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