19.お嬢様は帰途に就く(2)
『踊れ踊れよ南風、
太鼓のリズムに乗り山々を駆け巡れ
踊れ踊れよ南風、
我らの歌声に合わせ山々を駆け巡れ
踊れ踊れよ南風、
我らの歌が尽きるまで、太鼓のリズム果てるまで踊れ』
リュートの弦を抑え気味にボロボロと搔き鳴らしながら、オルトスで覚えた歌をキルケがうたえば、ハルサとアナスタシアが踊る。
皇女殿下の昼餐は、庶民も入れる噴水広場に多種類の軽食を並べ、吟遊詩人が気前よく振る舞う歌、それに乗せられる南方のダンスも賑やかに行われているのだ。
ハルサが手足を複雑にくねらせリズムを刻んでいるのに対し、アナスタシアはめちゃくちゃにピョンピョンと跳ねているだけに見えるのに、2人の動きが妙に調和しているのが面白い。
「またオルトスに戻ったようですね」とルーカスは感想を述べた。
オルトスとは全く違う光景に、ノートースの民の歌と踊りが魔法をかける。薔薇の垣根にローゼルの花が重なって見え、巨大な噴水の水飛沫までが、彼らの背後で歌に合わせて踊っているかのように思えてしまう。
「なんだか以前お会いした時より、パワーアップしている気がするわ」
跳ねるアナスタシアを眺めつつエイレンが呟くと「その通りです」とティルスが頷いた。
ティルスもまたアナスタシアから「一緒に踊りましょう?」とお誘いを受けていたのだが、曲の速さについていけずに早々にリタイアしたのだ。
「お妃教育でコテコテに絞られておられるのかと思ったのに」
「そのおかげで、教育係の目の無いところではますます」
なるほど、とエイレンは頷いた。先ほど出会い頭にいきなり飛びつかれた時にもそれは感じたのだ。以前は振る舞いを少しは意識してセーブしているようだったのに、今回はまるで、はじけた綿花のように自由である。
ティルスが重ためな溜め息をついた。
「教育係は皆、口を揃えて『帝国の恥さらしになってはいけません!』と言われるんです」
「別に野育ちでも聖王国の国王は気にしないと思うけれど」
国王は良くも悪くも、まだ幼い皇女に興味など持たぬであろう。最後に出会った時には姉と大変に睦まじい様子だった。順調であれば、姉が出産して間もなくの『春の大祭』でアナスタシアが王妃として嫁いでくることになる。
しかし、このタイミングで、国王が新しい王妃に心を移すとは考えにくいのだ。
だからといってアナスタシアに同情などはしないが。政略のみの婚姻も、支配階級の娘であれば当然のことだ。おそらくはアナスタシア自身も、国王に側室やその子供が何人いても気にしないよう教え込まれているだろう。
常に王妃らしく優美にかつ毅然としているように。
そうして仕立て上げられた帝国からの『王妃』は、聖王国の誰からも歓迎されるだろう。国王も表向きは丁重に遇するだろうし、やがては彼女に心動かすこともあるかもしれぬ。もっとも最後までただの『友好の証』で終わる可能性もあるが、それは運とアナスタシアの腕次第といったところか。
つまり、同情などする余地も無いのだ。皇女であれば当然の道を、彼女もまた歩むだけである。
ただそれが、目の前でピョンピョンと踊る少女に非常にそぐわないだけで。
『踊れ踊れよ南風……』
同じ旋律がどんどんと速いリズムで繰り返され、踊り手たちの表情はますます楽しそうである。振り上げられたアナスタシアの手首に色とりどりのガラス玉の腕輪が輝き、ティルスはそれを眩しげに眺めた。
「聖王国の国王はどのような方なんですか」
不安げな問いに、思わず「バカ」と答えかけ顔をしかめるエイレン。正確には彼はバカなわけではない。ただ、己の欲に正直すぎるだけである。
「容姿は良い方で、そこそこマジメでそこそこ優しい、と思うわ」
そして、興味のない者と嫌いな者には徹底的に冷たくなれる。ただし利用できる者除外―――この辺りは己と同じであり、そういう意味では同志のような気安さがあった。が、それは言わないでおく。
少なくとも支配階級の共通事項だと信じていたその傾向は、ティルスはもちろん、アナスタシアをも脅えさせそうだ。
しかし玉虫色の回答にも関わらず、ティルスの表情は不安げだった。
「アナスタシア様はお幸せになれるでしょうか」
愚かな問いだ、と内心で苦笑するエイレン。幸せなどは本人の心の問題であり、それを誰かに委託すること自体が間違いなのだ。特に国王のような男に任せるとしたら、アテが外れることはほぼ100%保証できる。
幸せになりたいのなら、他人に望むのではなく、己が手にしているものの価値に気付かねば。
しかし、それを言うのもまた残酷なことだった。夫となる男を全くアテにできないとなると、そこからしてが一種の不幸には違いない。
そこで代わりに、エイレンは「わからないわ」と首を傾げてみせる。
「ただ、わたくしの少し親しい知り合いなのだけれど……」
もと浮気性のバツイチ老人に恋をして、そのような相手でも何だか幸せそうではある。
そう告げると、ティルスは「そういうものなんですかね」と複雑な顔をしたのだった。
曲が一層速くなり、ついにハルサが「降参だ」と地面に寝転がる。その腹の上にケタケタと笑いながら皇女殿下が跳び乗り、ハルサは「ぐぇっ」とかなり本気の呻き声を上げた。
「キツいですよターシャ様」
「えーわたくしそんなに重くないわよ?」
ピョンピョンとハルサの腹の上で跳ぶ。本人は何年か前と同じようにじゃれているだけだが、オジイチャンはその度に死にそうな呻き声を上げる。
「いや……綿毛の(うっ)ように軽い(うっ)とはいきません(うっ)から」
「そんなぁ」
ぷうっと頬を膨らますアナスタシアに、ティルスが声を掛ける。
「やりすぎです、アナスタシア様」
「……はぁい」
しぶしぶ、といった風情でハルサの上から退いたアナスタシアに、せっせと水を手渡し食事をとってやるティルス。かいがいしい。
「保母みたいだな」とキルケが笑うと、アナスタシアが「お母様よ!」と返した。
「それに、お父様とお兄様と弟!」
「なんだそりゃ」全部じゃないか、と呆れるキルケ。
「だって、本当にそう思える時があるんだもの」
少し恥ずかしそうにティルスを見て皇女殿下はそう言ったのだった。




