19.お嬢様は帰途に就く(1)
「まさか本当に連れ帰るとはな」
執務室にてユリウス2世こと、最近密かに『腹黒い』などと2つ名がつきそうな少年皇帝はそう宣った。
彼の目の前にいるのは、褐色の肌と黒にも見える濃褐色の髪、スミレ色の瞳を持つ、年齢の読めない雰囲気の男。その隣には珍しく多少疲れが覗える表情をしたエイレン、対照的に嬉しそうなキルケ。
「さっさと直れ。ほかの者は礼1つしておらぬぞ」
未だ最敬礼をとったままのルーカスに声を掛けると、ルーカスは恭しく姿勢を解いた。
「そちらの方が問題だと思われますが」
「構わぬ。そうしたい者だけがすれば良いのだ」
これで口に苦虫を放り込めば、横に居るフラーミニウス宰相にソックリになるであろう顔に向かってそう言えば、その顔が戸惑ったように「御意」と頷く。面白い。顔はソックリだが、性格は真逆と言って良いほどに単純明快なのだ。
視線を褐色の男に戻す。
「ハルサとやら。モンターヌス子爵家の縁者だったそうだな」
「庶子ですから、縁というほどのことは」
「クラウディウスの乱では気の毒なことをした。さぞ恐ろしかったであろう」
「……いえ」
私だけではありませんから、と穏やかにハルサは言う。穏やかだが、容赦は無いな、とユリウスは内心で思いつつ、痛ましい表情を作る。祖父のしでかした粛清に心を痛める少年に見えることだろう。
もっとも己が祖父でも、同じことをしたに違いないが。
民衆の代表たることで権威を得た皇帝にとって、野心を持つ貴族もその貴族に担ぎ上げられた皇弟も害悪でしか有り得ない。
血の繋がりも情も断ち、得られた機会を最大限に利用して徹底的に駆除するのはむしろ当然。それも読めず、小さな正義を振りかざし反乱など起こす者たちが愚かだっただけだ。
「祖父に代わり詫びを申す」椅子から立ち上がってハルサの前に行き、跪けば「陛下っ?!」とフラーミニウス宰相が絶妙に合の手を入れてくれる。
「済まなかった」
「お直り下さい」褐色の男は穏やかな態度を全く崩さない。
「私に謝られる必要はありませんよ。私も同罪ですから」
恐ろしい、悲しい、痛ましい。ハルサにとって、そんな思いは最初だけだった。父や腹違いの弟妹だけでなく、縁遠い親戚も、乱に加担した他の貴族たちやその一族も、捕まり形ばかりの裁判で処刑されていく。
それが繰り返されるうち、身を隠しつつ聞くそうした話の中に、多少見知った顔や名前があっても「ああまたか」と思うようになってしまった。「気の毒に」という想いすら、その他人事のような響きが一層、残酷に感じられて封印したのだ。
何十年経っても、あの時彼らを心底から悼めなかったことが後悔される。その後悔もまた、胸にぽっかりあいた空洞に風の音だけが残っているような虚ろさではあるが。
唯一の慰めは、やがては自分も彼らと同じ場所に行く、ということだけだ。
「もし陛下が生まれる前のことに罪を負われるなら、その時に生きて逃れることにばかり執心していた私の方が、よほど罪深いのです」
「そうか」
ユリウスは息を吐いて立ち上がる。かなわんな平均寿命超え、というのが正直な感想だ。『私の方が罪深い』などと言いながら、その粛清の上に乗っかって続けられた皇帝業を許す気など皆目なさそうである。
これをどうやって籠絡したのかは、後でエイレンにでも聞こう。
「そのようなそなたが、これから民の治安のために力を貸してくれるとは誠に有難い話だ」
「そのような大袈裟な」
「大袈裟ではないぞ。そなたらが聖王国で働いてくれるお陰で、こちらは軍備を増強できるのだ」
言葉を切って、効果的なタイミングを測りつつ本音を出す。
「2度とあのような内乱は起こしてはならないからな」
「はい」
「頼むぞ。聖王国の発展のためにも、よく働いてやってくれ」
「かしこまりました」
穏やかな表情を動かさないまま、ハルサは両手を胸に当てる帝国風の最敬礼をとってみせたのだった。
少年皇帝の下を辞し、薔薇の香る噴水庭園までくるとハルサは「ほぉーっ」と大きく息を吐いた。
目の前では噴水が、皇帝の権威を示すかのように丈高く、陽を反射して虹色の光彩をきらめかせつつ噴き上げている。
「若かった……」
1つ1つの言動が一生懸命で、眩しいというかアテられるというか。普通なら「国のため」などと大層に言われるとオナラの1つもこきたくなるというものだが、あまりにもかわいらしくて、つい乗っかって最敬礼などしてしまった。
「たかだか技師1人、権力でどうとでもできるはずなのにな」
人心など踏み潰して従えさせても多くの場合問題にならぬのが権力というものだ。それを効果的にチラつかせるに留め、わざわざ跪いて謝ってみせたりするところが、好感度大なのである。
「気に入ったか?」キルケがニヤリとした。
「あのまま伸ばしてやりたいものだな。きっと良い皇帝になられるだろう」
「まぁ、そうなると良いなぁ」
キルケが噴水を眺める。いったん噴き上げられた水がどこに落ちるか分からないように、人の行く末も分からない。それでも願い、希望を持ち、あがくことで生きているのだ。
「これから交易局でファリウスさんと今後のスケジュールについて打ち合わせなのだけれど」
ルーカスと共に前を歩いていたエイレンが振り返った。
「その前に、実は皇女殿下から昼餐のお誘いがあって」
「じゃあ昼は別行動か?」
「いえあなた方もよ。ハルサさんお知り合い?」
「オルトスにいたターシャちゃんなら知ってるが」
「多分その方ではないかしら。あなたの名を出したら喜んでいたわ」
「そうか」
思い掛けない再会の期待に、口許をほころばせるハルサ。以前は南風のようにオルトスの街中を駆け回っていた皇女様は、皆から親しまれていた。少し前に「最近見ないねぇ」と心配そうに噂されていたのだが、皇都に行っていると予測した者がビンゴだったわけだ。
「離宮の修理に駆り出された時に、何が面白いのか傍でじっと見ていたんだ」
休憩時間に踊っていると喜んで「おじいちゃん踊りうまいね!」と誉めてくれた。『おじいちゃん』呼ばわりが何気にショックで、ムキになって「ハルサだ」と名乗ったのだ。何年も前なのに覚えていたのか、と思うと感慨深い。
エイレンが「分かるわ」と微笑んだ。
「ああいう作業は見ていても飽きないものね」
「そうか?」
「そうよ」
ふーん、とハルサは曖昧に頷く。特に面白くもないような作業に価値を見出すのは、当事者より周りの人間なのかもしれない。
「ほら、いらしたわ」
エイレンが軽く手を振る方向に目を向けると、懐かしい南風が軽やかに駆けてきた。その後ろからは、大きな荷物を抱えた少年がやや息を切らし気味に続く。
「速いな」「全速力ですね」やや呆れ気味にキルケとルーカスが呟き、ハルサは思わず笑みをこぼす。
「故郷ではもっと速かったよ」
「きっとそうなんでしょうね」
そう応じた次の瞬間、南風は勢いよくエイレンに飛びついてきたのだった。




