18.お嬢様は南から旅立つ(3)
翌朝、ルーカスは不機嫌だった。久々にぐっすりと眠り、頭の中は早朝の川風が吹き抜けるようにすっきり爽やかである。が、なぜエイレンの部屋の前で番をしていたはずの自分が、自室の寝台に寝ているのか分からない。
そして隣には、いかつい顔に似合わず軟派な役人―――クルソルが、ぐーぐーと眠っている。両手両足をゆるく縛られているのに、なぜか幸せそうな顔。睨み付けているとその口からは「アッもうヤメテ」というキモチワルイ寝言が漏れた。
なんなんだこれは。
「そろそろ朝食にでもしようぜ」
サトウキビの廃材を押し固めて作ったという、鍵のついていない扉を軽くノックしてキルケが顔を覗かせ、寝台の上を見て一瞬動きを止める。
ルーカスとクルソルを交互に眺め、何ともいえない表情でコメントした。
「そっか。あんたんとこは男の妖精が出たんだな」
「襲っても襲われてもいませんから」
「分かってるさ」キルケが重々しく頷く。
「合意の上だろ。私はあんたが男に走っても差別はしない」
「そういえばここは冥界に近い地でしたね吟遊詩人殿」
『妖精の川』は街を出てしばらくすれば、『冥府の川』と呼ばれる大河に合流する。そのためオルトスは『冥界に最も近い地』などと呼ばれることもあるのだ。もっとも本気で冥界が近くなるのは、『冥府の川』が氾濫した時だけであるが。
「ちょっと立ち寄っておきますか」
言いながらサーベルを抜き、「あっ冗談だぜもちろん」と言うのを無視して振りかぶるルーカス。片刃の刀身がキラリと白く光り、ざっと軽い音を立てて眠っている男の手足を縛る縄を断つ。
「あっダメッもっと」
にへにへとキモチワルイ寝言を漏らすクルソル氏を眺め「こいつどうすんの?」とキルケが問う。
「放っておきましょう」
「てことはあれだな。私らが発った後でコレがまだ寝ていた場合、宿の連中はきっと『ウソあのマジメそうな男がヤリ逃げ』とか思うんだろうな?」
「……!」ギリギリと歯ぎしりをしつつ、しばらく考えてルーカスは結論づけた。
「それでもやはり、放っておきましょう」
オルトスから駅馬車が出るのは昼過ぎだ。放っておいても、それまでには起きるだろう。キモチワルイ寝言ばかり言う男には極力触りたくない。
サーベルを鞘にしまって腰に吊るし、ルーカスはキルケに尋ねた。
「エイレンは?起こしたのか?」
「ああ朝食は要らないそうだ」
「昨日の夕食も食べていないのに」
「保母かあんたは」
心配顔のルーカスにとりあえずつっこみ、キルケはとんでもないことを言った。
「いやなんでも昨夜抜け出して夜遊びしたらな、今朝は少々身体がダルくて喉が痛いんだそうだ。もうしばらく寝てるんだと」
「……………………風邪だろうな」
随分長い沈黙の後ポツリと結論づけるルーカス。ああ今色々な思惑やら苛立ちやらを無かったことにしたんだな、と思いつつ、キルケもまた友のために頷いた。
「まぁ風邪だろうな」
「夜遊びの相手は成敗しても良いでしょうかね」
「そりゃあんたの勝手だが、私まで巻き込むなよな」
キルケが肩をすくめ、ルーカスは歯ぎしりをしつつサーベルをガチャガチャと揺らしたのだった。
「やぁ昨晩はどうも」
荷造りを終え早めの昼食を摂っていたルーカスたちの前に現れたクルソルは、爽やかに挨拶をした。それに応えて、よぉ、と気軽に手を上げるキルケと無言でジロリとそちらを睨むルーカス。
やはり先ほど起きてきたばかりだったエイレンは、普段よりやや鼻にかかったような声で、しかし軽やかに応える。
「あら良く眠れて?」
「ええ。お陰様でイイ夢見させていただきました」
デレデレと相好を崩すクルソルに、ルーカスが「あくまで夢だからな」と念を押す。痛ましい、とコッソリ思いつつバナナとコメの包み蒸しをニコヤカに差し出すキルケ。
「良かったら食ってくか?」
「いえいえいえ!イイ思いさせていただいた上に食事まで!」
首を横に振りつつも、しっかり受け取ってバナナの葉を解くクルソルである。だからそのイイ思い夢だから、とルーカスは歯ぎしりしつつ内心でツッコむ。
「あれ?エイレンは食べないんですか?」
クルソルが不思議そうにエイレンを見た。貴様が気安く呼び捨てするな、と思うルーカスだが、呼び捨てされた本人は全く気にしていないらしい。
「馬車対策」
短く答えて遠い目をしている。そう、これから10日ほどはまたひたすら馬車に揺られる旅が待っているのだ。
「ああ、それはダメですよ!」クルソルが人差し指をにょきっと突き出し、ちっちっちっ、と横に振る。
「馬車酔いは、吐くものが何もない方が辛いんです!いつでも気軽に吐けるよう、何か胃に入れておいた方が良いですよ」
「絶対却下」とエイレンに主張を全否定され、少しばかりションボリしたクルソルであったが、すぐに立ち直った。
「そうか。今日でお別れなんですね」
「ええ。世話になったわね」
「いいえ、もっと手取り足取りお世話して差し上げたかったですよ!」
次の時にはぜひヨロシク、と自分を売り込むクルソルにルーカスは白い目を向け、エイレンは「考えておくわ」と笑った。
そんなやりとりを面白そうに見ていたキルケが、上機嫌で立ち上がる。
「さて、出発までにもう1度弾いておくか」
「最後にハルサさんに踊ってもらうの?」
「そう」キルケはニヤリとした。
「あいつのことだから、弾いてりゃそのうちどっかから出てくるだろ」
「そう願いたいわね」
しかし、その見込みは外れた。破邪樹の下でいつまで待っても北部特有の繊細なアルペジオの曲がリズミカルな8拍子に変わることはなく、出発の時間となる。
「あいつどうしたのかな」とキルケが心配そうに呟き「やはり明日に変更しない?」とエイレンが提案する。約束した火山灰コンクリートのメモを気にしているのだ。
「もしかしたら見送ってくれる気なのかもしれません」
ルーカスの意見でとりあえず馬車乗り場に行った3人、そして見送ってくれる気満々らしいクルソルに途中で合流した太鼓打ちは、揃って目を丸くした。
「やぁ」
照れ臭そうな顔で手を上げたハルサは、ヤシの葉で編んだ小さな行李を持っている。どう見ても旅装であった。
「それが、約束したメモが書き切れなくてね」
10枚ほどの紙の束を差し出しつつなされた言い訳に「そのようなこと分かりきっているでしょう?!」とエイレンは柳眉を逆立て一喝する。
「来るなら来るでもっと早くおっしゃい!」
「すまないね、ギリギリまで迷っていたもので」
今さら新しい土地に行くトシでもない。持てる技術と知識を役立てたい、などとも全く思わない。この街での性に合ったノンキな生活は実に捨てがたい―――行かない理由は、ゴマンとあった。
「だが行けば、あと10日ほどは君たちと食事できるだろう?」
「そんなことで決めてしまっていいんですか」
一生帰れないかもしれないんですよ、とのルーカスの困惑気味な問いに「大丈夫、まだ若いから!」とニコヤカに応じる平均寿命超えのオッサン。
「それに、オルトスの人間は親切で気前が良いんだ」
「その通りです!」嬉しそうにクルソルが相鎚を打ち、キルケがニヤッとした。
「それなら礼は馬車の中で、かな」
やがて4人が乗り込んだ馬車は、手を大きく振るクルソルと楽士の打ち鳴らす太鼓の音を背にゆっくりと動き出す。
『太陽が天に輝くとき
小川の上には妖精が踊り
破邪樹の下には故郷の歌が響く……』
その馬車からは、リズミカルな8拍子で奏でられる故郷賛歌がいつまでも響いていた。
読んでいただき有難うございます(^^)
別連載(略称・極悪最凶変態令嬢)の活動報告でもチラッと愚痴ったのですが、今回更新遅れ気味だったのはひとえにハルサさんが、こちらの予定と違う行動をとりたがったせい……裏話はまた後ほど活動報告でします。




