17.お嬢様は技師を口説く(3)
自分の正体に彼らは気付いているのだろうか、というのがここ最近のハルサの懸念である。気付いているにしては押しが弱く「『ハルサ』違いだ」と告げればあっさり引いていくようなところがある。しかし、気付いていないというだけの証拠もない。
もし気付いていないのならば、そろそろ諦める頃だろうにその気配も見せず、毎日のように疲れを若干にじませて帰ってくるのが不思議だ。気付いているのにこちらの意志をある程度尊重して自己申告を待っている、ということなのだろうか……帝国のやり方にしては、それは随分とのんびりしている気がするのだが。
どちらにしても彼らは付き合うのには気持ちの良い連中だった。吟遊詩人は歌もリュートも文句なく上手いし、なにしろ気が合う。聖王国人だという女も受け答えにソツがなくしかしユーモアが垣間見え、楽しく話ができるし中々の美人だ。その護衛はかなり無口だが、こちらの話にいつも必要以上に真剣に耳を傾けてくれるところがイイ奴だと思う。
何となく彼らと夕食を囲むようになってからハルサが気付いたのは、随分と長いこと1人だった、ということだ。もちろんオルトスは良い街だ。ハルサのように長く暮らしていると、軽口を叩く相手も困った時に助け合う仲間も大勢いる。しかし、同じ顔と毎日食卓を囲む安らぎというものは、ずっと忘れていたものだった。
忘れている間は平気でも、いったん思い出してしまえばそれは手放し難い。毎日のように建築技師の行方を捜しては手ぶらで帰ってくる2人は気の毒だと思うが、もしハルサが自己申告してしまえば、こんな夕食も終わりだろう。
それが、今の彼には惜しかった。
もうしばらく知らないフリをしていても良いだろうか、とコッソリ思いつつ、人数分のバナナの葉に包まれた蒸し物を買う。豪快な笑い皺を目尻に彫り込んだ屋台の女主人から「今日はコメが入っているよ」と言われたので、若干奮発して貴重なブタ肉と刻んだローゼルの葉とコメの包み蒸しである。捕ったばかりの川魚も別に串焼きにしてあり、割と豪勢な食事になりそうだ。
皆、目を丸くしてほめてくれるだろうと思うと、口許がほころぶ。こういう時に賛辞を惜しまない連中はやはり気持ちが良いものだ。
吟遊詩人が陣取っている破邪樹が近付くにつれ、帝国北部特有の繊細なアルペジオに彩られた歌声が次第に大きくなってくる。聞き慣れたせいか、その歌にも10日前ほどにはイライラしないな、とハルサは思った。
『青き花咲く野の乙女よ、そなたは美しき風の精
その優しい口づけを、さあ私の頰におくれ
何処に在りても私の心がそなたと共にいられるように』
キルケが本日最後の歌を終わって立ち上がり、大仰な礼をとった時、拍手を送る聴衆の間からひときわ陽気な女の笑い声が響き渡った。記憶に間違いがなければ、その声はよく聞き知ったものであり、それは普段こんな風にケタケタと笑ったりはしないはずなのだが。
あいつ一体どうしたんだ、と思いつつ頭を上げると、彼女が優雅な足取りで近付いてくるところだった。早めに戻っても、聴衆が散るまでは離れて待っているのが常なのに珍しい。
「おう、どうした。緊急か?」
問いかけて、その異常に楽しそうな顔にハッとした時は既に遅かった。
逃がさぬとばかりにガシッとその腕が首に巻き付き、いつぞやを彷彿とさせる熱烈なキスが贈られる。歯のブロックをくぐり抜けて入り込んできた舌からは甘い蜜酒の香が漂い、キルケの口の中を満たした。
事情を知らない客たちは、行き過ぎたファン行為だとでも思ったのだろうか、口笛を鳴らしたり「いいねぇ」と野次ったりしているが、これはあれだ。そんな、羨ましがるような類のものではない。
単なる酔っ払いのキス魔である。
エイレンがキルケにしか聞こえぬような声で凶悪なひと言を囁き唇を離した時、背後でポトッと軽く何かを落とす音がした。振り返れば、そこには濃褐色の髪と、それより薄めの肌色をした年齢の読めない男がバナナの葉の包みを拾っている。
「あらハルさん、みーっけ」
エイレンはどこか幼さの感じられる声で嬉しそうに叫ぶとそちらに向かって突進していった。本能的に逃げるハルサ。しかし律儀に、ルーカスに夕食の包みをまとめて渡した分、遅れた。
破邪樹の根元で追いつかれてタックルを受け、そのままもつれるようにしてねじれた根の下にと転がり込む。ハルサがねぐらにしているウロより狭めなそこに、2人は折れるようにして重なった。
「つかまえた」まるで歌うような口調で女が言う。
ハルサの目の下でその蜜色の瞳が無邪気に微笑み、次の瞬間、ぐいっと頭を引き寄せられる。その唇に温かく柔らかなものがむさぼるように吸い付き、花と蜜酒の甘い香りが鼻腔をくすぐった。
今がいつでここがどこだか、分からなくなる。懐かしい想い出が胸を満たす。
どれくらいの時間、そうしていたのだろうか。長いのか短いのかも分からない時が経ち。
「大好き」囁くようなひと言と共に唇が離れた。潤む瞳が間近から彼を捕らえる。
「一緒に聖王国にきてね?」
やはり幼さの感じられる誘いに、ハルサは知らず頷いていた。
「ああ」
「よかった」
しまった、と思うが、セレナ・アエスタスの花が開くような笑みを返され「今のナシ!」とは言えなくなる。
「ぜったい、きてね?やくそくよ?」
彼女はそう念を押すと、そのまま瞳を閉じ、すうすうと健やかな寝息を立て始めたのだった。
※※※※※
被害者3名で破邪樹のウロを取り囲む夕食は、普段よりかなり静かだった。ちなみに加害者1名は、寄り集まるようにしてねじれた根の下でお休み中である。
「いつから気付いていたんだ?」
沈黙を破るようにハルサが確認し、キルケが「悪いな」と肩をすくめる。
「最初からだ」
「そうか」ぽつりと言って樹のウロを眺める。
全て嘘だったのか、などと彼らを責めるには、ハルサは年を取り過ぎていた。火山灰を扱える技師を得る、という目的が無ければ、彼らがハルサに近付くこともまた無かっただろう。その目的があったからこそ、ハルサはリュートの奏でる音色で踊り、心安らぐ夕食の楽しみを得られたのだ。
「だが、ノートースの歌もあんたの踊りも最高だったぜ」
短い付き合いだが、そのキルケの言葉に嘘が無いことは、ハルサにはもう分かっていた。
「君の腕前も最高だよ」と微笑んでみせる。
年を取ると良いことも多く、大事なことさえ真実ならそれでじゅうぶんだ、と思えるようになった。だからこそ、謝罪の言葉は滑らかに口をついて出る。
「私の方こそ黙っていて済まなかったね」
それに、嘘をつくのも上手くなった分、正直に話すことも上手くなった。
「君たちと、できるだけ長くこうして食事していたかったものだから」
「もし」キルケが言いにくそうに口を開いた。
「あんたが、もう少し長いこと、私たちと楽しみたいと思ってくれるなら、できないわけじゃないんだぜ」
「そうだな……しかし私はこの街が気に入っているのだが」
「まぁ、無理にとは言わないさ」
「考えてはみるよ。お嬢さんと約束してしまったし」
樹のウロに目をやれば、ルーカスがボソボソと「無効でも良いんですよ」と忠告する。
「あんなこと、全員に言ってるんですから」
意外なことを聞いた、とばかりにキルケが目を見開いた。
「あんた、それわかったのか」
「わからいでか」
「いやテッキリ自分だけが言われたと思って舞い上がっているんだろうと」
先ほどからチラチラと送られていた、憐れむような目線の正体である。いや、正直、最初はうっかり舞い上がってしまった。しかしすぐに、違うと気付いた。気付かざるを得なかった、というべきか。
道々、見知った顔を見つけると男女問わずに抱きつきキスしようとし、あの言葉を投げかけるのを見て。ちなみに無理やり引き離すとその攻撃はこちらに向かう。理性が粉々に砕かれる前に帰り着けて良かった。
「ここまで連れて戻るのがどれだけ大変だったと思ってるんですか」
「んーまぁ……ご苦労さん。しかし前は、キスだけであんなこと言わなかったのになぁ。酔い方もグレードアップするんだな」
しみじみとキルケが感想を述べ、ハルサが「それ本当かい?」と食いついた。
「じゃあ、今度酔わせれば、もしかしたらもっとスゴいことに」
「さあな」
「とりあえず、それ見るために同行しよう、とかは思わなくていいです」
ルーカスがキッパリと言い切った。
「もう2度と飲ませませんから!」
「そんなもったいない」ハルサが心底惜しそうに言えば、キルケが「いや考えてみ?」とたしなめる。
「あれだけ素直で可愛い笑顔で『大好き』とか全方位に向けて振りまかれたら、どれだけ凶悪か」
見境なしと分かっていても、実はかなりの破壊力だったのだ。
「その通りです」ルーカスが珍しく熱心に頷いた。
「あの性格がキツくねじくれ曲がってヒトデナシで本当に良かった。大体が……」
熱弁を振るいかけて、ハルサとキルケの生温い目線に気付き押し黙る。
「ともかく、今日のことは事故みたいなものですから、約束にカウントしなくても良いですよ」
咳払いで誤魔化しつつ念を押すと、ハルサはニヤッとして「まぁもうしばらく、考えさせてくれ」と応えたのだった。
読んでいただきありがとうございます(^^)
前回の更新でまたブクマいただき喜んでおります。新たにブクマ下さった方も、これまでお付き合い下さった方も、重ね重ねめちゃくちゃ感謝ですm(_ _)m
今日の活動報告にエイレンさん酔いどれ暴走の裏設定とノートース西区の民家についての設定あげています。よろしければぜひ♪
では、今日が良い1日でありますように




