17.お嬢様は技師を口説く(2)
クルソルの家は西区役所のすぐ傍だった。オルトスの街ができる前からここに暮らす民の家は床が高く、ハシゴを登って上がる。そこそこの広さの空間に仕切りはなく、ヤシの葉で編んだらしいチェストがいくつか置かれている。四方に壁はなく、チェストと同じくヤシの葉を編んだ簾で囲まれているが、クルソルは家に着くなりそれを全部巻き上げた。
「こうすると涼しいし、外がよく見えて気持ち良いでしょう」
言いながらせっせと樽を運び込み、チェストを開けて木をくりぬいた小さめの杯を3つ用意すると、手際よく透き通った黄金色の酒を注ぐ。
「サトウキビの煮汁で作った酒ですよ。ノートースでは蜜酒といえばこれなんです」
機嫌よくエイレンとルーカスに杯を勧め、自分もグイッと飲んで「うぅ、しみるぅ」などと呟いている。口説くとか怪しげな誘い方をした割に、普通に客人をもてなす気であるらしい。とはいえ、後でどう変わるとも知れないが。
「飲まない方がいい」とルーカスは小声でエイレンに注意した。
「かなり強い酒です」
エイレンはちらっとルーカスを見て、杯に口をつける。今のは完全に不良娘の目だった、と思うルーカスに「あら大丈夫よ」と主張した。
「甘くて飲みやすいわよ?」
「そうして飲み過ぎて立てなくなったバカ娘をスケベな男が美味しくいただくんですよ」
キツい言い方だが、これくらいは言っておかないと効果がない。と考える端からクイッと杯を空け、声を上げて笑うエイレン。
「このわたくしが、おとなしく美味しくいただかれるわけないでしょう?」
確かにその通りだ。別に媚薬入りというわけでもなければ本人も平気そうである。もういいか、という気になってルーカスもまた、杯に口をつけた。甘くまろやかな香と口当たりにカッと焼けるような喉越し。ほろっと苦い後味が心地良い。
「つまり先程の話を総合すると、ハルサはノートースの女と帝国北部の貴族とのミックスで、10歳で母親が亡くなり以後は貴族の方に引き取られたのね」
酔いなど全く感じられない冷静な口調で、エイレンが確認した。クルソルは古い出生記録からそれらしい『ハルサ』を割り出し、その足跡を調べるという根気の要る作業をしてくれていたのである。
役所ではその根気が分かる古い資料を山と積み上げ「ほらここに……」といちいち指して説明するものだから、いまいち話が分かり辛かった。「つまり簡単にまとめると」と言い掛けると、また「いいえ」と首を横に振る。
「続きは我が家で蜜酒を飲みながら、ですよ」
指を唇に当てて片目をつぶる男に、エイレンは口の中だけで小さく舌打ちし、ルーカスはそっと歯ぎしりをしたのだった。
が、ともかくもこうして『ハルサ』に関する情報確認の続きは、蜜酒を飲みつつ行われているのである。
杯を口に運びつつクルソルが頷く。
「母親はダンサーですが、相当、抜け目のないちゃっかりした女だったんでしょうね。55年前の出生記録なんて、届け出ているのはほぼ移民だけですから」
「ああ分かるわ」「そうでしょうね」
ハルサの一筋縄でいかなさそうな根性は母親譲りか、と納得するエイレンとルーカスである。クルソル氏は蜜酒をもう1口呑み込むと、推測ですが、と前置きした。
「母親が亡くなった時点ですぐに父親が現れたのは、母親が生前小まめに連絡をとっていたからでしょう。つまり彼女は帝国語の手紙が書け、字を息子にも教えられたと思われます。当時のノートースの民としてはトップレベルの教養ですね」
客人2人の杯に再び蜜酒を注いで手渡すと言葉を継いだ。
「まぁつまり、立場としては駐在官に当てがわれた現地妻」
「ああそれで、詳しい記録が残っているのね」
先ほど役所で何やら資料を指しつつ「ですから5歳までは両親と共に過ごしたと考えられます」などと説明された時には、詳しく調べすぎではないかと捏造を疑ったのだが、改めて聞いてみると筋は通っている。
「モンターヌス子爵家、というのは今はありませんがね」ルーカスが記憶を辿りつつ言った。
「おそらくはクラウディウスの乱で取り潰されたんでしょう」
「ちょうど25年前ね」
エイレンは少し眉をひそめる。つまりハルサは、単に技師として必要とされなくなっただけではなく、おそらくは帝国に身内を処刑され、累が及ぶ前にオルトスに逃れたのだろう。
「帝国への協力を要請したりできないわけだわ」
南都の移住記録には『建設技師・ハルサ』とのみ残されており家名が無かった。つまり実家とは距離を置いていたと見られるのだが、それでも身内は身内である。その処刑を手放しで喜んだとは、とても、考えられぬ。
帝国への協力を言い出した途端に、ここ10日ほどで築いた浅い信頼関係など崩れ去ってしまう確率は高い。ハルサの背景も知らずにその気配だけを嗅ぎ付けたキルケは、さすが、といったところか。
クルソルがまた樽を抱え、それぞれの杯に蜜酒を満たして回る。
「お役に立ちましたか?」
「そうね、ありがとう」エイレンは言葉少なに微笑んだ。
「おかげで取りあえず、今後の方針は確認できたわ」
そう、待つしかない。そして時間切れなら、奥の手を使うか、または。
ルーカスが心配そうに口を挟む。
「薬物を盛って拉致するのは、極力控えて下さいよ」
「分かっているわよ」
用事は終わった、とばかりにしっかりした足取りで立ち上がり、戸口へと向かうエイレンの手を、クルソルが強く引っ張る。
「あれぇ、もう行くんですか?」
つられてクルソルの隣に座るその腰に、すかさず手が回された。
「口説きを聞いてくれるんでしょ、女神様」
「あら今は勤務中でしょう。早めに戻った方が良いのでないの」
笑みを含んだ声を返されて「ズルい」とふてくされるノートースの男にエイレンはニコヤカに告げる。
「また夜に壁画から抜け出してきたら?」
「なら最近戸口で牙を光らせてる番犬を何とかして下さいよ。妖精は犬が苦手なんです」
『犬』呼ばわりに苦い顔で歯ぎしりをするルーカス。一方で、エイレンは鈴を振るような笑い声を上げ、考えておくわ、と軽く請け合ったのだった。
クルソルの家を辞したエイレンとルーカスはそのまま、まばらな住宅の間を通り、萎んだローゼルの花を横目に見ながらナイディス川に渡された橋へと向かう。西日と路面の照り返しが酒の入った身体を火照らせ、ふわふわと宙を浮くような心地だ。ではあるが、足取りはまだしっかりしている、とルーカスは思っていた。
しかし、不意にエイレンがぐらりと傾き、橋の欄干に手を掛ける。そのままそこに身体を預けて両肘をつき、頭を抱えるような姿勢になった。急に酔いが回ったのだろうか。
「大丈夫か?」
ルーカスもまた欄干に手をつき、彼女の顔を覗き込む。そして、しまった、と思った。
油断した、と気付いた時は既に遅かった。
彼女の片手がガッシリとルーカスの片手を押さえ、もう片手が頭の後ろに回り、彼の顔を引き寄せる。
至近距離に近付いた女の蜜色の瞳は、どこか幼く悪戯っ気な笑みを湛えていた―――




