16.お嬢様は人を探す(2)
オルトスは良い街だ、とハルサは思った。街の中心を流れるナイディス川には今日もキラキラと妖精が踊り、川原に生えたバナナやパンノキと共に食糧を確約してくれている。
5日間ほど泊まり込みで綿花の収穫を手伝って、久々に帰ってきたのだ。まだ居てくれと引き止められるのを「少し息抜きしたら、また戻ってきてあげるよ……賃金によってはね」と言って。なにしろ、だだっ広い綿畑で同じ作業ばかりしていたら発狂しそうになるのだから。
たまには破邪樹の下でローゼル酒でも飲みつつ、馴染みの楽士の太鼓で踊り狂い、街の娘たちやたまの観光客の賞賛を浴びたい。「いつまでも若いねぇ。なにか妙薬でもあるのかい?」なんていうお嬢さんたちの賛辞も心地良い。今年で55歳になったハルサにとっては、年下は全てお嬢さんで、年上はお姉さんなのである。
ちなみに若さの妙薬は性に合った気ままな生活を送ることだ。働きたい時に働き、寝たい時に寝て踊りたい時に踊り、ナンパしたい時にナンパする。年取ってみると良いことも多く、女性はまだネンネな娘さんからシワの目立つお姉さんまで皆魅力的に見えるようになった。
オルトスは良い街だ。多少帝国文化の影響を受けお嬢さんたちは表向き慎ましやかになったものの、文化では情熱的な南方の血まではごまかせない。声を掛けまくれば必ず誰かに当たるというものだ。おかげで、金が無くてもじゅうぶんに満足できる。
そんなことを考えつつ、いったん荷物を置こうと屋台通りの並木の中でも最も大きな大樹へと向かう。ここのウロ―――正確には絡み合った根の下に出来た空洞だ―――が、ハルサの住処なのである。
途中、馴染みの総菜屋のお嬢さんがハルサに笑いかけてきた。浅黒い顔に彫られる豪快な笑い皺が可愛いといつも思う。
「久しぶりだねぇ」
「綿畑に行っていたからね」
「お昼のタロイモとナマズが余ってるんだ、食べてくかい?」
いいね、と久々の味覚への期待に相好を崩し、多めの銅貨を置くと「余りものだからお金はいいよ」と返される。
「まぁとっときなさいよ。その代わり、今度飢えた時にまた頼む」
片目をつぶってそう言えば「お安い御用だよ」と銅貨は料金用のザルへと収納された。金は天下の回りもの、余っている時は気前よくばらまけばいい。そういう生き方が許されるオルトスは、やはり良い街だ。
ネットリとした芋と淡白な魚の食感を堪能し、ハルサはまた荷物をかついで大樹のねぐらへと向かう。途中、珍しい吟遊詩人がリュートで珍しい北部のメロディを奏でているのに出遭った。ノートースの力強い音楽とは全く違う、繊細で叙情的な節回しは、昔、南都でよく耳にしたものだったが、あまり懐かしいとは思わない。
むしろ、その頃常に心の中にあった寂しさが蘇るようだ。
ハルサの容姿は、生粋の帝国北部の人間では有り得ない、暗褐色の髪とスミレ色の目、やや浅黒い肌。勤勉が基本の南都の民の中で「サボりたい」「面倒くさい」は禁句だった。暇な時につい手足がリズムをとれば、異質な目で見られた。自分にとっての普通が、普通でないことをイヤというほど知っている孤独。
大したことではないと心の衝動を押し潰し、彼らと同じ人間として振る舞っていた当時を思い起こせば、つい眉間が狭くなり口がへの字に曲がってしまう。イカンこんな顔をしては老けるじゃないか。
吟遊詩人のを取り囲む移住者たちが、故郷の音楽に惜しみなく送る拍手の音を背に、彼は足早に破邪樹の根元へと向かって行った。
※※※※※
「ここまで手掛かりが無いとは思わなかったわ」
夕日で銅色に輝くナイディス川のほとりを歩きながらエイレンは愚痴をこぼした。先ほど降ったスコールで熱を帯びた空気は少しばかり冷め、心地良い風が吹いている。
オルトスに着いてから、早や5日目が過ぎようとしていた。その間エイレンとルーカスは件の建築技師について移民街を中心に尋ね歩き、そこを管理する東区役所へも念のために行ってみたものの、これといった成果は上げられなかった。25年前の記録の中にも『ハルサ』という名は見つからなかったのだ。
ツテを頼って定住した、という予測は見事に外れ、と言えよう。
「フラフラとやってきて申請もせずその辺りに住みついたのかもしれませんね。技師としての仕事もしているか怪しいものだ」
ぼそぼそと応えながら、なんだかこのいいかげんな行動パターンが誰かに似ている、と考えるルーカス。
その誰かは本業をタテにあっさりと足を使う調査を断ったのだ。
「私はここで客から聞き込みを続けるからな」
川沿いの屋台通りの、涼しい破邪樹の木陰に首尾良く陣取ったキルケは、リュートを掻き鳴らしつつニヤッとした。この地では丸きり合わないと思っていた音楽が、主に北部からの移民にウケていることが分かってご機嫌なのだ。
確かに多方面からの聞き込みというのは必要なことだろう。しかしズルい。そう言えば「要領が良いと言ってくれ」などと返されるのだろうがそれにしてもズルい。
とつい、そんなことを思ってしまう程度には手掛かりの無さは堪えていた。キルケの方は何か成果があっただろうか、と気にしつつも総菜屋で、ローゼルの葉とカワエビの炒め物とバナナの皮に包まれた蒸し物を買う。
5日の滞在のうちにパン屋も1軒見つけたものの、実際の話が帝国北部から買い取っているはずの小麦で作られるそれよりも、現地のタロイモやバナナの方が美味い。郷に入っては郷に従え、は食べ物の分野でも言えることなのだ。
「オマケしとくよ」と総菜屋の女主人が気前良く、炒め物を追加してくれる。当初は甘酸っぱい風味に違和感を覚えたものだが、慣れると食べられるもので3日前にオマケしてくれた時のようには引き攣らなくて済む。
「ありがとう」エイレンが覚えたてのノートース語を使うと、女主人はその濃褐色の顔に豪快な笑い皺を作り「どういたしまして」と応えた。
夕食を買い込み少し歩くと、リュートが奏でる繊細なアルペジオに乗せた歌声が聞こえてきた。前からいた太鼓の奏者と話し合い、お互いに邪魔をしない距離で営業しているらしい。客層が全く違うためか、この奏者はキルケが同じ通りで営業することを気持ち良く許可してくれたのだ。
今日も太鼓奏者の周りではノートースの民が楽しげに踊っていたが、キルケの周りでは北部からきた民が静かに歌に聴き入っている。
『……風の四神よ雲を呼び雲を運び……』
エイレンとルーカスの姿が近付くのを認めたらしいキルケは、歌い終わるとじゃん、とリュートを鳴らし「では本日最後の歌」と客に朗らかに告げた。
『青い花咲く野の乙女よ……』
聴衆の輪の外で足を止め、エイレンが「アンコール狙っているわね」と呟く。「成果はあったんでしょうかね」とルーカスが呟き返すと、呆れたような流し目が送られた。
「そんなことあの人が本気で考えていると思う?」
「……まぁ確かに」
ついで程度には聞き込みしているだろうが、それに期待するほど短い付き合いでもない。期待すれば腹が立ち、期待していなければたまにそれ以上の成果を出す。キルケはそんな男である。
「アテにはできませんね」
「でしょう」
ぼそぼそと呟き合う2人の後ろを、他のノートースの民と比べれば若干薄めの肌色をした男が、背中を緊張させて足早に過ぎて行った。




