16.お嬢様は人を探す(1)
訪問下さりありがとうございます。
今回は南の地で浮かれているせいか、ちょいイヤらしい表現がしばしば飛び出します。苦手な方はご注意下さいませm(_ _)m
馬車の旅最後の3日間は、片側に綿畑、反対側にサトウキビ畑の広がる景色となった。綿畑ではクリーム色の花の間で、何人ものつばの広い帽子を被った農民が、早めに開いた綿の白い実を摘んでいる。
「肌の色と髪が濃い褐色なのはノートースの民、白いのは北部からきた民でしょう。もしかしたら売られてきた奴隷もいるかもしれません。綿花ははじけたらすぐに実を摘まなければならないので、これからしばらくは忙しい時期です」
馬車に揺られながらルーカスが説明するのを、エイレンは普段では決して有り得ない、虚ろな目で聞いた。この10日間というもの、精霊魔術で様々に酔い止めを工夫してきたが大した効果は得られず、また馬車の揺れに慣れて酔わなくなるということも無かったのだ。
唯一、効き目がある方法といえば御者台を乗っ取り思い切り飛ばすことだったが、皇家の馬車ではできても一般庶民も乗る駅馬車ではそんなことはできない。そもそもこの広大な土地で馬を中途半端に疲れさせるわけにもいかない。立ち往生してしまえば、馬車酔いよりもう少し困ったことになるからだ。
「詳しいな」とキルケが感心すると、ルーカスはどこか昔を懐かしむように応えた。
「2回ほど来たことがありますから」
「仕事で?」
「……1度は仕事です」
返事の前に少々空いた間に、ちょっとニヤリとするキルケ。非常に堅物に見えるルーカスだが、時々自分と同じものを感じることがある。平たく言ってしまえば放浪癖だ。
きっと十代は不良息子であちらこちらとフラフラし、あの渋面宰相の手を焼かせたに違いない、などと想像していると、当の本人が白い目を向けてきた。
「何をニヤニヤしてるんですか」
「いやぁ別に?」
先程の駅で買い求めたサトウキビの茎をほい、とエイレンに差し出すが、見えていないのだろう、キレイに無視されてしまう。仕方なさげにルーカスに手渡す。
「要りません」
「じゃなくて、お姫様に噛ませてやれよ。馬車酔いには噛むのがいいんだ」
「それなら位置的に貴様の方だろうが」
大型の馬車内に設けられた向かい併せの4人席で、キルケはエイレンの前、ルーカスは隣という位置関係である。キルケがおかしそうに眉を上げた。薄青の瞳は茶目っ気に溢れてイキイキとしている。
「あれ?私がしていいのか?長いモノをお口にアーンとか?」
「……!」ギリギリと歯ぎしりをするルーカス。
バシッとサトウキビを奪い取り、エイレンの手に持たせて「噛むといいそうです」と告げる。多分、思考が半分以上働いていないのだろう、エイレンは素直にサトウキビを口に運び、ルーカスが慌てて目を逸らす。
面白いなぁ、と再びニヤニヤするキルケである。
馬車はオルトスの街の入口で止まった。オルトスはノートース自治区内で唯一平地にある街であり、ノートースの民も帝国の他地域の民も暮らしている。整備された街並は帝国の都市を思わせるが、無数の細い木が絡まったような幹から枝を広げる破邪樹が川沿いに並ぶ光景は、この地独特のものだ。
丈高く育った濃い緑の木陰の下には、きび砂糖の塊や綿織物などの特産品を売る店や、バナナの葉で包んだ蒸し物が名物の惣菜店、茶店などの屋台が連なり、独特な打楽器のリズムに載せたノートース語の歌が響く。
「あら黒くないと思ったら、苦くもなかったわ」
茶店でカカオの実のジュースを1口飲み、エイレンは少し意外そうな顔をした。白く濁ったジュースはフレッシュな果実の香りと甘酸っぱい爽やかな味で、まだ馬車酔いの残っていた胸を落ち着ける。
「黒くて苦いのは種子の方でしょう。薬なので、一般には出回っていません。飲んだことが?」
ルーカスに聞かれ、ええ、と頷く。
「『媚薬』に入っていたわ」
「そんなものを何処で」
「飲んだことないの?以前レグルスさんから貰ったのだけれど」
「あいつ」
ギリギリと歯ぎしりをするルーカスである。キルケが興味深そうに「へえー」と声を上げた。
「それ効き目あんの?」
「あるのではない?だってあなたとダナエに猛烈キスをした夜だもの」
ああじゃああるかな、とキルケが頷く。
「あの時のこと覚えてたのか。てっきり酔って記憶が無くなっているのかと」
「ねぇ?どうせなら無くなっていれば良いのに。己の失態に後で青ざめるという珍しい経験をさせていただいたわ」
「あんた、もしかしてお兄さんにも」
「……いい香がして割と細身で、少し攻めただけですぐに力が抜けたのが可愛かったわ?うっかり襲わなくて、良かった」
クスクスと漏らされた思い出し笑いに、ルーカスは何とも言えない顔をする。自分はして貰っていない、でなくて。
「確かあなた、あの後に兄には何もしていないとか言ってましたよね」
「思い当たりが無い、と言っただけよ」
「あほかぁっ思い切りあるだろうが!」
ルーカス青春のシャウト。こんな変態女だとあの頃分かっていたら……ああ違う、あの頃は既に分かっていたか。そして分かっていたら何だというのだ。
ギリギリと歯ぎしりをするルーカスを面白そうに眺めつつ、キルケは話題を変える。
「それはそうと、例の技師はどうやって見つける気だ?」
「基本は役所で住所を調べるでしょう」
振り返ってアレよね、と屋台の間から見える立派な白褐色のレンガの建物を指すが、違います、とルーカスに訂正される。
「あれは議事堂です。もう1つ隣のやや小ぶりの建物が中央区役所」
「中央?」
「この『妖精の川』を挟んで街の中心部を管理しています。住人自体は少ないので屋台からの徴税が主な仕事です」
「ということは」
イヤな予感に言葉を切るエイレンに、ルーカスは1つ頷く。
「住民の住所は西区と東区でそれぞれ管理しているので、正直なところ探しにくいです。それに路上生活者は放置状態ですから」
帝国北部では貧民街にも住めない路上生活者は悲惨だが、オルトスでは事情が違う。まず貧民街というものが存在せず、家を買わない者が路上で生活するだけの話である。
なにしろ寝具どころか衣類がなくても凍えようのない常夏の地、食べ物はその辺に生えているし川魚も取り放題。ノートースというと北部の人間は未開の地と思いがちだが、食糧も独自の文化も存外に豊かなのだ。
エイレンは考え込みつつカカオのジュースをまた1口飲む。
「25年も路上生活をすることってあるかしら?」
例の技師―――ハルサという名だった―――がこちらに渡ってきたのは25年前だった。どこかに定住していると信じたいところだが、もし路上生活を続けていたとしたら死亡記録すらも、もちろん残らない。
ルーカスが首を横に振った。
「南都で移住の申請が出ているということは、最初は何らかのツテを頼って定住するつもりだったんでしょう」
「ま、25年のうちにはどうなっているか分からないけどな!」
キルケが言わずもがなの注釈をつけ、至極当然の結論に至る。
「役所より移民街で聞き込みした方が早いんじゃないか?」
でもその前に、とワクワクした目を連れの2人に向けた。
「せっかくだから、もうちょい観光してからにしようぜ!」




