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15.お嬢様は南へ旅立つ(2)

国政会議により聖王国への支援内容がほぼ固まった翌々日。エイレンとルーカスは、帝国南部の南都へ向かう馬車の中にいた。


「また馬車……」げんなりと呟くエイレンに、「帝国には騎馬の乗継所はありませんからね」と釘を指すルーカス。


南都までは皇帝陛下も使う貴人用の馬車という好待遇だが、南都からは普通に駅馬車を乗り換える。騎馬や専用の馬車で休憩を取りつつ行くより、そちらの方が早いのだから致し方ない。


というのも、これから向かうのは皇都や南都からはかなりの遠方、帝国は南部の交易都市オルトスだからである。


急にそのような運びになったのは昨日のこと。国政会議の翌日に、ファリウスからオルトス行きを打診されたのだ。交易局の片隅に新しく設けられた『聖王国部』の簡素な仕切りの奥のデスクにどこか所在なげに座りつつも、仕事が早い。


「工場技術者などはフラーミニウス家のツテで募集できますが、問題は火山灰コンクリートの専門家です」


ツテで募集、というところにまず引っ掛かるエイレンである。


「皇帝陛下はなかなかウンと言わぬ頑固者を選べとおっしゃらなかった?」


「あんな冗談聞いていられませんよ」


ファリウス氏は真顔で肩をすくめた。


「他国への派遣ですから、まずは希望者を当たらなければ不満がどれだけ出ることか。どうしても希望者が集まらない場合も考えますが、これはという人材を選ぶのは募集しながらでもできますから」


で火山灰コンクリートの専門家の何が問題かというと、と話を戻す。


「彼らは既に絶滅寸前でして」


聖王国ではほとんど利用されてこなかった火山灰だが、帝国での利用は早かった。宮殿を含め、皇都や南都の主立った建築にはほぼ火山灰が用いられている。しかし一時は盛んに利用された火山灰はやがて掘り尽くされ、程なくしてその知識を持つ建築技師も姿を消したのだ。


「今はごく若い頃に技師をしていた者がオルトスに居るとか居ないとか」


「居ないとか?」


「南都の記録では30歳でオルトスに移住しています。生きていれば55歳なのでまぁ……生きているか微妙、生きていても長旅に耐えられるかも微妙、といったところですね」


帝国の平均寿命は50歳前後というのが大体の認識だ。年老いてなお頑健な者ももちろんいるが、当の技師がそうである保証は全く無い。


「まぁもし見つかったらラッキー、程度の気持ちで観光でもしていって下さいよ」


期待感の薄さを表す柔らかい口調にエイレンは首を傾げる。


「オルトスまでは確か、南都から馬車で10日ほど、でしたわね」


「ええ」


「それで観光しかできなければ、無意味ではないの?」


「いいえ、それは違います」ファリウス氏は今度はキッパリと首を横に振った。


「これから交易上のパートナーとなる国の方に、帝国のことを知っていただく機会ですから。どのようなことでも決して無駄ではありません」


「次に帝国から出る時には、わたくしはもう使者ではないのに?」


「それでも、我々はこれから聖王国に向かう者たちには、もし何かあればあなたを頼るように教えるでしょうから」


穏やかながら決然とした口調である。


「イガシーム様、あなたは色々と問題も多い方だが、それでも帝国が聖王国との取引に応じたのはあなたゆえです。あなたの立場が今後どう変わろうが、それは変わらないのですよ」


「あら随分と信頼して下さること」


以前のエイレンにとっては、そうした信頼は悪意と同じように、軽く捌き利用するものでしかなかった。利用できればそれなりの報酬を与え、利用できなければ踏み付ける。判断さえ誤らなければ、感情などどうでも良いものだったのだ。


しかし、いくらないがしろにしても、感情は消えはしない。埋もれながらくすぶり、やがて抑えきれない何かとなって自身を呑み込んでしまう。以前に誰を傷付けても構わないと思っていた夜のように。


そんなことは、もう2度とゴメンなのだ。


だからこそ、己の裡に生まれる1つ1つの感情には、それがどのようなものであれ居場所を与えねばならない。そう考えて継ぐ台詞は、以前のようには滑らかでない気がした。


「責任重大ね」


取って付けたように微笑めば、意外にも返ってきたのは「大丈夫ですよ」という言葉である。


「我々も、あなたと同じ荷を負いますから」


エイレンはまた少し戸惑い、結局「では頼りにしているわね」と、先程よりは幾分か自然に微笑んだのだった。



そういうワケで『ダメもとで観光兼ねて』という旅行を始めたばかりではあるが、やはり『ダメもと』という非効率さが気に食わないエイレンは、揺れる馬車の中でゆっくりとメモ書きをしている。


「火山灰対水の比率が文献通りか、必要な器具、運搬上の注意、形成上の注意……」


オルトスで専門家を見つけた暁には、派遣は無理でも確認しておきたいことが山ほどあるのだ。


そんなエイレンにルーカスはぼそぼそと確認する。


「生きているかも分からないんでしょう」


「もし亡くなっているなら、墓掘り返しても成果を持ち帰るわよ」


「それはやめた方が」


「このわたくしが何1つ得ず終わるなんて有り得ないことよ」


胸を張ってふふん、と鼻息も荒く息巻いたエイレンだったが、不意にピタッと動きが止まった。どうしたのか、と慌てて様子を窺えば、顔色が悪く額にはうっすらと汗を載せ、目は宙を彷徨っている。


「……ごめんなさい、馬車止めて、下さるかしら」


完璧な馬車酔いであった。


やがて馬車が道の端の停車場を見つけて止まると、エイレンは勢い良く飛び降り、何度も大きく深呼吸をした。続いて降りたルーカスがエイレンに水を渡す。


「もともと苦手なのに馬車の中でメモ書きなんかするからですよ」


「大丈夫だと思ったのだもの」


皇都南都間の道は整備されている上に皇帝陛下の馬車である。一般と比べれば揺れはかなり少ないのだ。


「今しなくていつするというの」


「あほか。そんなセリフは馬車酔いしなくなってから言いなさい」


「それもそうね」


エイレンは水を1口飲み、見る者がはっとするような笑みをその白い顔に浮かべた。


「基本、馬車が苦手な者は遠くの景色を見るか寝てしまうかしてやり過ごします」


その顔からやや目を逸らし気味にアドバイスしていたルーカスが、一瞬遅れる。気が付いた時には既にもう、彼女は御者台から御者を追い払いにかかっているところだった。



―――風が、開かれた窓から狂暴なまでに飛び込んでくる。


「どうして、あんなにっ、あっさりとっ」


躍動感あふれる……どうやったらこんなにも揺らせるんだ、というほどの震動に合わせるようにしてルーカスは口を開く。


「あの、女とっ!交代っ、してっしまったん、ですかっ」


「だってっ、こわかった、んだもんッ!」


馬車の中に向かい合って座りつつ、同じく言葉を切りながらシャウトするのは年端もいかない女の子……などではなく、頭がうっすらとしだしたベテランの御者である。


そう、エイレンはなんと、こんな時にトンデモなさぶりを発揮し、馬車を自らが御すと宣言したのだった。今は首尾良く御者台の上、である。馬のひずめと車輪の音に交じり、機嫌の良い掛け声が切れ切れに聞こえる。


御者の言い訳によると、こうだ。


エイレンはえげつなく御者を脅した。「わたくしと交代しなければキスするわよ?」と。


「そんなことされてっ、皇帝陛下にっ、バレたらっ!」


恐怖に満ちた台詞に、ルーカスは歯ぎしり……できなかった。馬車が揺れすぎて。


「キスなんてっ、あの女にっ、とっては、ただの挨拶だっ」


「何なんですかっ、その、経験済み、みたいなっ台詞はっ」


「ぐっ……」


いつぞやの己が暴走劇が脳裏を横切り、呻くルーカスである。


こうして、金の髪を風になびかせた女が駆る馬車は、南都を目指し疾走し続けたのだった。

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