15.お嬢様は南へ旅立つ(1)
使者団が皇都に戻って3日後、ミスリルと引き換えに与える聖王国への支援についての国政会議は、満場一致とはいかないが何とかまとまった。あまりの支援額に紛糾しかけた議論も、レグルスが軍備にミスリルを使った場合の費用対効果の予測を報告しはじめると、一気に静かになったのだ。
たった1日強でまとめたはずの予測はレグルス本人と同じようにソツがなく、単純にはったりと斬ってしまうことができない程度には裏付けのある数字が使われていた。
どこから引っぱり出したのか、聖王国の軍装にミスリルが使われていた時代の各国の軍備内容のデータ比較により「聖王国の軍備が他国の約1/3程度で済んだのはミスリルの使用によるところが大きいと考えられ……」と皇帝陛下から注文のあった『3倍』も『約~程度』と『大きいと考えられ』の適宜使用であっさりクリアしてみせ、それを元に論証展開していく。
皆が(本当に?)と疑いつつもそれ以上に確たるデータを提出できる者はおらず、何とはなしに納得する方向の流れになる。そんななかでフラーミニウス宰相だけはただ1人、最後まで渋面を崩さなかった。が、その場では特に何も言わなかったのも事実である。
(やはり息子は可愛いのだな)
はったり含めた計算をレグルスに命じておいて良かった、と内心でほくそ笑むユリウス2世陛下、近しい者は最近密かに『腹黒い』と命名している少年皇帝である。
鉱山開発や工場建設を急ぐため、一時に与えられる支援はまず金900枚と技師の派遣、残りの金は以後3年間に渡り定期的に提供することとなった。技師の派遣などに関わる事務官は聖王国へ渡った使者団の面々、というまず順当な決定である。
が、その中で浮くのがエイレンの今後の地位だ。皇帝陛下は使者として続任を希望している(その間に口説くつもりだな、とレグルスは思った)が、そもそもが他国人であることから他の者はそれに反対。何よりエイレン自身がこの滞在を終え聖王国へ戻った時点で使者としての任を解くよう申し出て、こちらは皇帝陛下除く満場一致で賛成されている。
「余はそなたを信頼していたのだが」
裏切られたような思いをなるべく隠しつつもがっかりした表情を見せるユリウスに、エイレンは珍しく謝った。
「こちらの事情で、遊んでもいられなくなりそうなの」
遊び、という言葉が若干引っ掛かる皇帝陛下であったが、黙って寝所の壁際に立つ彼女を眺める。
今宵の装いは、まだダナエが『狙いましょうね!』などと言っているのだろうか、複雑に紗を重ねて全体的に透け感を強調したネグリジェである。少しばかり刺激的すぎるきらいはあるが、今にも見えそうでいて肝心な部分はきちんと守られているあたりが、好みだ。
きっと彼女のことだから、その事情とやらを、こちらが納得せざるを得ないように理路整然と説明するのだろうと思っていたが、一向に話し出す気配を見せない。もしかしてエイレン自身も、納得していないのだろうか。
しびれをきらしてユリウスは提案する。
「他国人だ、ということがネックになっているならば、帝国籍を取ってしまえば良いのだ」
「あなたの嫁になって?」
いつものように軽口が返されるが、燭台の灯にほのかに照らされたその白い顔に表情は見えなかった。
「誰の嫁でも良いから、とりあえずなってしまえ」
憮然として告げる。悔しいが、若すぎる皇帝が急ぎ婚姻を結ぶのは得策ではない。そして他国人が帝国籍を得るには、婚姻か5年以上の居住が必要なのだ。
「本性がバレて離縁されたところで余がもらってやるわ」
「頼もしいわね」
クスクスと忍び笑いを漏らすエイレンに、以前に『帰る場所は決まっている』と嘯いていた時のような勢いは感じられなかった。
近くまで寄ってその顔を見上げる。
「どうしたのだ?余には言えぬことか?」
彼女より背が高ければ、壁に手をつきその顎をクイッと持ち上げたりして迫り気味なアクションがとれるのに、と思うといささか以上に残念だ。
「説明して差し上げたいのだけれど」嘘をつく時によく出る丸い声と微笑みを刷いた瞳。
「その説明であなたがどう出るかを考えているわ」
「大体わかった」溜め息をついて離れ、ムダに広い寝台にドサンと腰掛けるユリウスである。
「聖王国内でのトラブルで、解決にはそなたが関わらざるを得ないということだな」
「ダテに皇帝業なさってないわね」
賞賛されても面白くない。黙って寝台に寝転び唇を尖らせる。
例えば自分が普通の男ならば、少なくともダテで皇帝やっているだけならば、ここで気軽に「国など棄ててしまえ」と言ってやれるのに。棄てたくても棄てられないものの重みを誰より知っているからこそ、その台詞は、胸の中で渦巻くだけで表には出ない。
「なら、技師の人選が遅れるよう取り計らってやろう」
溜め息を1つついて言えば、ユリウスを見下ろす蜜色の瞳がはじめて少しばかり生き生きと動き出す。
「あら嫌がらせ?」
「そうだ。しかも」
片手をついて半身を起こし、その瞳を見詰めて嫌みたらしく付け加えてやる。
「うんと頑固と評判の者を優先して選ぶよう言っておこう。なかなか諾とは言わぬ者は、そなた自身がゆるゆると説得にあたるが良い」
「わたくしが?」
不思議そうな顔に、当然だろう、と頷いてみせる。
「聖王国に戻るまではそなたはまだ、余の使者だ」
「構わないけれど、わたくしより適任がいるのでは?ファリウスさんとか」
さり気なく強調した『余の』という言葉はあっさりと無視された。つまり「『余の』ですって?何様のおつもり?」などとつつく元気はまだない、ということだ。
「ファリウスは事務官の取りまとめ役になった。技師の説得までさせたらオーバーワークだ」
「わかったわ」
「そなたとてまぁ適任だろう」ニヤリと笑う皇帝陛下。
「美女に跪かれて『あなたこそは我が国に必要なお方』などと掻き口説かれてみろ。悪い気がする男などおるまい」
「そうね」
おとなしすぎる反応の連続にとまどい、ユリウスはまじまじとエイレンを見た。
「そなたまさか……レグルスにフラれたのがそんなにショックだったのか」
「まぁ、そうかもしれないわね」軽く肩をすくめるその表情は、また水のような静かさに戻っている。
「あの人に嫉妬しているのだと思うわ」
え。まさかそっち。
ショックに思わずよろめく皇帝陛下である。
「そなた……ダナエのことをそのような目で……妙にホイホイ従うなとは思っていたが」
しかしエイレンは「ないわね」と疑惑をあっさり否定した。
ダナエに従っているのは『殴って良いのは目上と男だけ』というエイレン自身の信念のためと、価値基準がキッパリハッキリとした籠絡しにくいダナエの性格のためである。つまりは、これまで自覚などしたことがなかったが、『苦手』と言っても良いかもしれない。そんなことを思いつつ言葉を継ぐ。
「例えばあなたが婚姻を結ぶなら、主要な自治区の娘から選ぶ。わたくしに時折コナかけて下さっているのも、聖王国神殿なら損はないか、程度の打算はあるわよね」
「まあな」
確かにその通りだった。ダテでなく皇帝業をやっている身としては、好き嫌いは政治的に有用、という前提があってこそ定まるものである。そうした思いを誤魔化さないのは、彼女もまた同類だという確信があるからだ。
エイレンの眼差しがはっきりとユリウスを捕らえた。
「わたくし、レグルスさんもそういう人だと信じていたのよ。そう思うでしょう?」
えーとこれはつまり、と考える皇帝陛下。つまり、仲間が減って寂しいのか?しかし先程の『嫉妬』とはつまり。
「アナタダケズルイワ、とでも言いたいのか?」
「それもあるかもしれないわね」
エイレンは困ったように眉根を寄せる。これまで、くだらないものとして切り捨ててきた己の感情に目を向けた途端に、扱いかねているのだ。
認めがたい感情など切り捨て無かったことにし、その上に人が望む正しいものを盛るのは容易だった。怒ってみせるにしろ、嘆いてみせるにしろ、笑ってみせるにしろ。他人のための感情は扱いやすい。
しかし己のためだけの感情というものは、一旦その存在を認めてみれば、理不尽で厄介で煩わしいのだ。例えば、この度の会議でレグルスのソツのない仕事ぶりを目の当たりにした時ふいに湧き上がってきた嫉妬。
(同類のくせに、利害を無視した婚約などなぜできるのよ!)
切り捨てれば容易に保てるプライドも、自覚すればズタボロである。
「なぜこのわたくしが、そのようなくだらないことを思わねばならないのかしら」
いつものように憮然として『みせる』のではなく、心底から憮然とすれば、「思ってしまうものは仕方ないだろう。人のためにのみ生きられる者など、そうはおらぬわ」と皇帝陛下は宣う。
あくびまじりに続けられた言葉は、確かに『腹黒い』と呼ばれるに相応しいものだった。
「振り回されなければ、それで良い。腹で何を思っていようと、人間は行動が全てだ」




