14.お嬢様はデートをする(3)
エイレンとレグルスの元に駆け寄ってきた少年と少女は、周りを取り囲む子供たちより少し大きかった。通常では子供は、12、3になれば上の学校に行くか働き出すかするため、昼間の貧民街にいるのはそれより下の、学校に通わせられない家庭の子なのだ。
子供たちが地面に書く字を見ていたエイレンが、新しい気配に顔を上げ、目を丸くする。
「あら、お久しぶりね」
ティルスはなかなか優秀で侍従長の教えをよく飲み込み、めでたく皇女殿下付きになったとは聞いていたが、まさかその皇女様ともどもに貧民街で会えるとは。
「はい!姫様におかれましては、ご健勝そうで何よりでございます」
ハキハキと元気良く場に似合わない挨拶をする少年の手は、ほんの少し色の浅黒い少女の手にしっかりと繋がれている。
この方が近い将来に聖王国国王の正妃となるのか、とエイレンはさり気なく少女の真っ直ぐな眼差しを観察した。
「皇女殿下様、お初にお目に掛かります。聖王国から参りましたエイレン・デ・イガシームと申します」
丸い声を意識しつつ両手を胸にあてる帝国風の礼で挨拶をすると、皇女は「どうかお気遣いなさらないで!」と慌てて止めに入った。そのような制止全く必要ないというのに。
これがまだ人心掌握のための芝居だというなら許容できるが、この少女の場合は明らかに違う。
「わたくし、アナスタシア・ラールスでございます。以後よしなに」
軽く頷いてみせる仕草がまだぎこちない。宮殿から遠く離れて暮らしていた、とは聞いていたが皇女としての振る舞いはまだ身に付いていないらしい。
そうしたことに必要以上に苛立つのは、彼女が己と同じく人の上に立つ身分に生まれながら、己とは全く違う育ち方をしてきたのが、如実に分かってしまうからだ。
真っ直ぐな眼差しには敵意も相手を探る意図も全く含まれていない。国王の正妃となっても、政治系貴族の間で実権を握るのは難しいだろう。敬意を払い、壇上に飾り立てるだけの王妃。
何も求められずただ愛されて育った愚鈍な少女には、敵意を持つ必要さえない。そのこと自体が、今のエイレンには嫉妬を感じさせる。
己はこんな風には育ててもらえなかったと叫ぶ小さな子供が、心の奥底にいるからだ。
こんな風に、何もなさず何の役に立たずとも己に価値があると疑いもなく信じられる者に、わたくしもなりたかったのだと。
昔からお前のことが嫌いだったわ、とエイレンは声には出さず呟く。お前は、わたくしを貶め、惨めにさせる。なのにお前は時に、どんなわたくしよりもわたくしそのものなのだ。
隠すのは容易だが消えることのない災禍の炎。
「仲良く、させて下さいませね」
とっておきの笑みを瞳と口元に刷いて皇女に話し掛けると、やや上気した微笑みが返ってきた。
「ぜひ!よろしくお願いします!」
「皇女殿下は姫様に似ておられますよ」
ティルスが口を挟む。帝国では従者がこのような振る舞いに出ることはないはずだが、皇女はそのようなことは気にしないらしい。
「そんなっ、ティルス?エイレン様に対して失礼よ!」
「すごくオテンバなんです」
慌てる少女の澄んだ声に、ティルスのからかうような声が重なり、それがかつての記憶を引き出した。
―――君、実はすごくオテンバだよね?―――
まだ、お互いに用心しつつ相手を網にかけようと仕合っていた頃のことだった。こちらの仮面を剥ごうとするカロスの言葉に己がなんと答えたかなど、覚えてはいない。
ただ、その時確かに、心の奥底でいつも苛立ちと怒りをぶつけるだけの子供は一瞬、歓喜したのだ。
その後に己が何を思ってしまうのかが怖くて、慌てて無かったことにした感情は、今振り返ってみると随分と優しいものだった気がする。
ああ、そうか、とエイレンは思った。ああそうだったのか。お前は、わたくしが嫌い、亡き者にしようとするから、こんなにも荒れ狂うのか。
ならば、これからは、そこに居ることを許してやろう。お前の支配は許さぬが、その言葉には耳を傾けてやろう。
「ではお友達になれるかもしれないわね、わたくしたち」
嫉妬を、羨望を、怒りを。抱きしめるようにして絞り出した微笑みは先程よりもぎこちない気がした。皇女殿下の慣れない振る舞いと同じように。
しかし、アナスタシアはぱっと顔を輝かせて「はい!もちろんですわ!」と頷いたのだった。
「これからどうされますか」
ティルスから向けられた問いは、明らかに皇女殿下を貧民街から引き離したがっていると分かるものだった。
「悪いがご一緒されては困るんだ」
爽やかな笑みでレグルスが先回りをすると、少年の顔にがっかりした色が浮かぶ。
「私たちは今デート中なんでね」
「ここで?」
「ここでも、もちろんこれから先もさ」
生温い眼差しともに繰り出されたツッコミにも全くめげず、レグルスはエイレンの手を取った。爽やかな笑みのまま親切に申し出る。
「そうそう、護衛のお兄さんを置いていってあげるから、安心しなさい」
言うなりツカツカと物陰に歩いて行き、他人のフリして逃げようとするルーカスに果物のカゴを押し付けた。
「お腹が空いたら食べてくれ。なにしろ皇帝陛下の大事な妹君だからな、しっかりお護りして差し上げろよ?」
言いたいことだけ言い放つと、レグルスはまたツカツカとエイレンの方に戻って行き、後にはひたすら歯ぎしりをする青年と、その彼に憐れみの眼差しを送る吟遊詩人が残されたのだった。
※※※※※
「ここは3代目『戦神』帝時代までは牢獄として利用されていました」
南都中心部の噴水広場外れにある塔の薄暗く狭い階段を登りつつ、レグルスが説明した。どこまで続くとも知れぬ螺旋の途中に思い出したように現れる小部屋にはことごとく鉄格子がはめられ、中には当時の拷問具が展示されている。
「確かクラウディウスの乱で、皇弟以下多数貴族が処刑されたのだったわね。処刑の日まで彼らを閉じ込めていたのがここなのでしょう?」
急な階段を息も切らさず登りつつエイレンが確認すれば、レグルスの目が驚きに少しばかり開かれる。
「詳しいですね」
「帝国史はある程度学習したわ。皇帝陛下から伺ったこともあるし」
それにしてもずいぶんなデートコースね、とエイレンは笑った。
「あなたのことだからきっと、宝石店の後は高級レストラン、などにでもするかと思ったのに」
「それはあなたの趣味じゃないでしょう」
ダナエならそれにドレス店と小間物屋も加えますけれど、と肩をすくめるレグルス。
「あなたならこういう場所の方がお好きなのでは」
「まぁわたくしどれだけ恐い女なの」
しゃあしゃあと言ってのけながらも、エイレンの顔はややうっとりと拷問具を眺めている。その横顔をやはりうっとりと眺めるレグルス。
「もしあなたが僕のものになるなら、どんな宝石よりも大切にするのに」
ふっと漏れた呟きに、エイレンは忍び笑いで応える。
「真綿でくるんで小箱に入れるの?」
「そう、それでいつも持ち歩いて自慢する」
口では冗談めかしつつ、真剣な眼差しでそっとその白い頬に手を添えようとするが、さり気なく向きを変えられてしまう。
「ダナエとのことを伺っても?」
スカウトは失敗したよ、と内心でダナエに告げつつ、レグルスは苦笑した。
「使者団の壮行会準備で連絡を取るうちに、お互いに気が合うことが分かったんだ」
単純に言うとそうなる。
お互いに1番ほしいものも1番大切なものも結婚相手ではない。などということはやや説明しづらいが、とにかくその点においては言葉など必要ないほど完璧に一致しているのだ。
1番ではないが、生き生きと趣味に勤しむ彼女を見るのも、それに協力するのもとても楽しい。1番ではないが、そうした点に全く興味がないから、彼女の傍では安心して息ができる。
1番になりたがる女は星の数ほど見てきたが、そこを気にせず笑い飛ばしてくれる女は貴重なのだ。
「もしかしたら、1番にしたい女よりももっと大切かもしれない」
「良い点に気付いたではないの」
「そう思うよ」
照れながら答える唇を、ふわりと花のような香りが掠めた。驚いて目を見張るレグルスに、悪戯っ気に満ちた蜜色の瞳が微笑む。
「祝福よ」
「済まないがもう1度お願いしても」
「ダメ」
可愛らしく小首をかしげられると、祝福というより試練ではないのかという気がしてくるのだが。
「あとはダナエにお願いしなさいな」
正論であった。
塔を登り切ると、眼下には南都の街がぐるりと見渡せる。
「いい景色ね」
「気に入りましたか」
「ええ」
以前のエイレンは、こうした眺めが嫌いだった。己1人が塔の上に閉じ込められ、利用されているのだと思い込んでいたから。しかし、上からはただ冷たく見えた街に暮らしていたのは、日々を精一杯に生き、傍にいる者に持てる物を差し出すことのできる人々だったのだ。
「あまり際に立つと危ない」
レグルスが差し出す手をとって、エイレンは窓辺に腰を下ろした。つられてレグルスも座る。真下を見れば吸い込まれるような感覚を覚え、目眩を感じる。
「落ちたらきっと、誰かが助けようとしてくれるわね」
そうしたら、落ちてもそれで良かったのだと思うのかも知れない。
読んでいただき有難うございます(^^)
レグルスさんのノロケ話を傍聴しつつ、やっぱこの人上から目線の鬼畜だわ、と確信した筆者です(笑)
週2~3回の更新目指すといいつつ大変申し訳ないのですが、今週の更新はこれだけとさせていただきますm(_ _)m GW明け何かとキツいですがお互い頑張って良い週末を迎えましょう(^^)




