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14.お嬢様はデートをする(2)

「結局こっちか」


南都は貧民街でコソコソと物陰に隠れつつ、ルーカスは半ば呆れて呟いた。残りの9割を案内すると豪語してた割に、真っ先に向かったのは、常と変わらぬ彼らにとっての定番である。


目の前には仲良さげに腕を組んで微笑みあい何やら話しているカップル。しかし実は恋人同士などではなく、婚約前の男と少し前にその男をにべもなくフった女というどうにも怪しげな間柄の2人なのだ。


「お姫様が小首かしげて『付き合っていただけるかしら?』とでも言ったんだろうよ」


ルーカスの呟きに、やはり物陰にコソコソと隠れつつ小声を返すのは、たまにスパイ業も請け負う吟遊詩人。エイレンの物真似が妙に板に付いており、気持ち悪い、とルーカスは顔をしかめた。


こうしてエイレンとレグルスの後をコソコソとつけているルーカスとキルケであるが、出歯亀ではない、たぶん。なんとなればこれは、皇帝陛下の命によるものだからだ。しばしば純粋さを装いつつも時折なかなか腹黒い少年皇帝は、非常に心配そうにこう宣ったのだ。


「2人とも帝国にとっては重要な人物だ。何事も無いよう、陰から守って差し上げよ」


そして、ひと息ついてわざわざ付け加えられた。「『有事』か否かの判断はそなたらに一任するぞ」と。


そんなワケで、ある意味怪しげなカップルの様子を窺いつつキルケはポリポリと頭を掻く。


「例えばダナエちゃんがショックを受けるような事態になっちゃったら、それは『有事』かねぇ?」


宮殿でちらと見た限りでは、より惹かれているのはレグルスの方であるようだったのだが。そうである限り、たとえじゅうぶんに怪しげな2人が日の光の下でデートしたところで『有事』など起こらないと信じたいのだが。


わからん。なにしろ片や割かし鬼畜になれる要素満載の恋愛経験に乏しいハイスペ様、片や倫理観が崩壊している上にイマイチその真意の底が知れないS女であるからして。


「もちろんそうでしょう」


ルーカスは重々しく頷き、不思議そうに尋ねた。


「しかしどうしてダナエなんです?」


「あんた気付いてなかったのか」


「何がです」


キルケから信じがたいものを見るような目を向けられ、若干むっとするルーカス。


「……いや、いい」


思い直してキルケは首を横に振る。そういえばコイツはダナエとレグルスの方など全く見ていなかったんだった。


後でお兄さんに聞きな、と言いかけるが、それもやめておく。結局のところ、歌にもなっていない他人の恋愛沙汰をあれこれ言う趣味はキルケにはないのだ。


そう、たとえ目の前で盟友がボロボロ崩れていても、知らぬ顔をしてやるのが彼にとっての礼儀である。友の目に入っているのが、大体常にただ1人の女だけだという痛々しさをつついてはならない、と思う。


叶う確率の低い恋にハマるのは阿片中毒みたいなものだ。ハタ目にはただ痛々しいだけだが、その苦痛は本人にとってはけっこう甘美なものなのだ。それでなければ幾多の恋の歌も生まれはしない。


(まぁ、やめといた方が良いだろうがな!)


今この時も、自分と受け答えしながらも視線があからさまに横に逸れている男の顔を眺めつつ、キルケはそう結論づけるのであった。



貧民街の中ほどに来ると、エイレンとレグルスを取り囲む子供の数が急に増えた。通っているうちに顔見知りになった子供たちばかりで、ルーカスはいっそう物陰に身を縮める。断じて出歯亀ではない。しかし、見つかるとやはり気まずい。


痩せた女の子が、大きな目でライトグレーのワンピースを見詰め、何か言った。おそらく触ってもいいか、とでも聞いたのだろう。エイレンが頷くと、嬉しそうにスカートの裾を少しつまみ、指先でそっと撫でている。


以前、ドレスを着てここ貧民街を訪れた時も似たようなことがあった、とルーカスは思い出した。エイレンは「子供なんて」と陰でぼやきつつ、いざとなると汚れた手で服を触られても優しい顔を向けるのだ。


一方ではちゃっかりとした男の子が拾った果物を差し出し、代金をせびろうとしている。これも買ってやるのだろう、と見ていると、意外にも困った顔をした。サイフを持ってきていないのだ、と気付きイラッとするルーカスである。


その顔にほんの少し甘えを載せてレグルスを見れば、銀貨があっさりと子供の手に渡る。銀貨など(そんなもの)貧民街ではトラブルのタネになるだけだ、とルーカスはハラハラしながら見守る中、子供は嬉しそうに拾った果物をカゴ丸ごと差し出した。


断ろうとしたレグルスだか、エイレンに何事かを言われてカゴを受け取った。中をチラッと見て一瞬情けなさそうな顔をする。ざまをみろ。兄は運河を挟んで貧民街に隣接する工場を管理しており、ここのマフィアとも付かず離れずといった関係なのだが、こうして街を訪問すること自体はほぼ無かったのだ。


当然のことながら子供たちはエイレンにばかり纏わり付き、レグルスはところどころ傷んだ果物のカゴを持って立ち尽くしている。その連れは今度は、数人の子供に乞われて木の枝に地面で何やら書き始めた。文字を教えているのだろう、スカートに泥が付くのも構わず膝をついて子供の書くものを見てやっている。


傍で所在なげに立つレグルスに、ざまをみろ、ともう1度声には出さずに悪態をつこうとして、ルーカスは自分の目を疑った。地べたで子供たちに読み書きを教える女に向けられる兄の眼差しがまだ、優しさとも情熱とも形容しがたい含みを持っていることに気付いて。


キルケの言が正しければ、レグルスは今ダナエと付き合いがあるそうだ。だからこそ気軽に内心で悪態もつけるというものだったのだが、やはりキルケは勘違いしていたのではないだろうか。


ルーカスがそう思った時、背後からすごい勢いで2連のつむじ風が走ってきた。スリか、と一瞬身構えたが、それとは種類の違うものだ。ぶつかりそうになるのをギリギリでかわして走り去って行くのはスリではない。そして何より「すみません」と一応頭を下げるその少年の声音は聞き覚えのあるものだった。


「あれティルスだよな」


キルケが貧民街でエイレンに拾われた少年の名を呟く。彼が皇帝陛下の采配により皇女殿下付きになったことは知っていたが、まさかこのようなところで会うとは思っていなかったのだ。


一般的な認識では、公式な訪問ならともかくお忍びで皇女が貧民街に現れることなどない。


「ということはあれが皇女殿下ですかね」


全速力で走っていたような、とルーカスが信じがたい思いで確認すれば、キルケは「私が知っているワケないだろ」と肩をすくめる。


「とりあえず言えるのは……似てるよな、かな」


「確かにそうですね」


2人が見遣るその先では、金の髪の貴婦人が恭しく胸に手を当て、黒い髪の少女に挨拶していた。

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