13.お嬢様は皇帝陛下と再会する(2)
バルコニーにはまだ朝の日が差さず、ひんやりとした空気に夏薔薇の香がどこかから漂ってくるのが心地良い。彫刻などの施されていない、一見簡素な丸テーブルの上に並ぶのは、新鮮な野菜、オムレツ、スープ、パン、チーズ、果物。いかにも朝食、といったメニューが必要じゅうぶんなだけ揃えられている。
「皇帝陛下の食卓にしては相変わらず質素だこと」
身も蓋もないエイレンの感想にレグルスは「健康的で無駄が無く素晴らしいですね」とさり気なく補足を入れた。
朝食をいったんは固辞したレグルスであったが「もう用意した」と言われて遠慮気味に同席しているのである。宰相の長男とはいえ、臣下でもないのに、と思えば。
「だから友人であろう?」と真っ直ぐな瞳で見詰められた。この皇帝陛下は『少年』『最年少』であることを嫌がりつつも、それを武器にする術を知っているのだ。
さすがは父が手塩にかけて育てた方、というところだろうか。見せかけほどは純粋でも寛大でもないことに気付かぬ者は、大体これだけで陛下に忠誠を誓いたくなってしまうのかもしれない。
今もレグルスの補足に「そのように気を遣うな」と茶目っ気に溢れる瞳で笑っておみせになる皇帝陛下である。
「これが褒め言葉だということは、余にも分かるからな」
身分の低い者にほど、礼儀正しく丁寧に接しなければならない。警戒しなければならない相手ほど、親しげに接し敵意を見せてはならない。
そうした教育の結果が、会えばとりあえずケンカをせずにはいられない兄弟を育てたわけである。そしてその教えは、この皇帝陛下にももちろん叩き込まれているのであろう。
弟から聞いてきたところによると、最初からエイレンは皇帝陛下に対してケンカ腰であったらしい。それもおそらくは相手の弱みを見越しての戦略、小賢しい女だと思っていた。実際に簡単に陛下の信頼を得てしまったところからも、そう思わざるを得なかった。
しかし実際に会ってアレコレと話すうち、印象が変わった。戦略などではない、本能なのである。どう振る舞えば相手の懐に入れるかを瞬時に計算し、見境なく仕掛けてくるのだ。
前回の滞在では、彼女は皇帝陛下以外にはさほど興味も持たず、貧民街にばかり出掛けていたために被害は拡がらなかったが、間違いなく危険物なのである。例えばレグルス以上に『陛下命』であった弟でさえ、今やハタで見ても分かるほどにグズグズに突き崩されているではないか。
彼女を正しく取扱い有効活用できるのは、帝国においても皇家かフラーミニウス家程度のものだろう。弟よお前名門の出で良かったなぁガンバレ、と内心でルーカスにエールを送るレグルスであった。
そんな彼の前で、生まれついての化け物2人はちょくちょくお互いに悪口雑言交えながらもマジメに今後の方針確認している。オムレツが手付かずのままどんどん冷めていく。「美味しいものは美味しいうちにいただくのがマナーです」などと、急に亡くなって久しい母の教えを思い出したがそんなことは言えるワケもなく。
「確かに我が家所有の銀山には精錬施設もありますが、南都に新たなミスリル加工施設を作ったほうが良いですね」
レグルスは話が途切れるタイミングを見計らって口を挟んだ。
「さほど大規模なものは必要なさそうだ。工場群の空き地でじゅうぶん間に合うでしょう。技師は余っている者を呼び寄せます」
皇帝陛下は鷹揚に頷き、さらに注意を加えた。
「ミスリルの名は徹底して隠せ。技師は気付くだろうが、口外しないようにさせろ。管理は厳重に行え」
「承知しております。詳細は後ほど改めて詰めましょう」
レグルスは水を1口含んだ。
「まずは皆に示せる道筋と利益を決めてしまわなければ」
オムレツの皿を押しやり、ポケットから紙と先端を尖らせた木炭を取り出すとメモを始める。
「現物のやりとりとすると、物が物だけにかえって見えにくい話になってしまう。あくまで国が手間賃を支払い加工を私共に依頼する、という形にするのがよろしいですね。加工したミスリルを全て軍備に回すつもりであるならば、新たに兵を増やし訓練し食わせるよりもこちらの方がよほど節約になる、ということを示すべきです」
まぁハッタリありきで、と計算してみせたメモをちらりと見る皇帝陛下とエイレン。
「少なすぎるわ」「ハッタリというなら機動力、防御力ともに3倍は行っておけ」
口々にダメ出しを喰らわせてきた。全く気の合うコンビである。
「では取りあえず3倍で行って、詳しい計算は後ほど、ネルヴァかカティリーナにでもさせればよろしいでしょう」
もちろんハッタリ込みでそうなるように数字を『有り得る範囲で』操作するのだ。すると皇帝陛下は珍しくはっきりとダメだ、と言った。
「そなた腹心どもが余の意のままになるとでも思っておるのか」
どちらかといえばハッタリ込みで出した結果のアラをつつき出して『ご再考を』などと言ってくる者達ばかりである。厄介なことに彼らはそれが、皇帝の治世のためだと信じ込んでいるのだ。
レグルスは肩をすくめた。
「なりませんかやはり」
「ならないな」
土下座とはワケが違うのだ。皇帝陛下はさらに、レグルスにとって予測済みの命令を下された。
「国からの仕事が欲しいそなたが、詳しい計算も示してくれ」
「畏まりました」
ここで自分は臣下ではない、などとグダグダ言うことには何の利益もない。恭しく胸に両手を当てる帝国風の礼を取った後、レグルスは涼しく付け足した。
「しかし本日午後は作業が無理ですので、明後日まででご容赦を」
「ほう。何か重要な用事が?」
「ええ使者団の報告会の後はデートですから」
悪びれない発言に、皇帝陛下がちっと舌打ちしてみせる。
「ダナエとか」
「いいえ、こちらの姫君と」
「それは人としてどうなんだ、そなた」
「いえダナエは理解してくれてますからね」
ああそうだな、と溜め息をつく皇帝陛下。
「ニンマリしつつ『どうぞ!行ってらっしゃいませー』などと言いそうだ」
「そうです。その上『腕にヨリをかけて姫様堕としてきて下さいね!』とも言われましたよ」
とてもノロケに見えない台詞を口にするレグルスの美貌が楽しそうに緩んでいるのを見て、悪食だなコイツ、と思うユリウスである。
「そなた……本当にそんな女でいいのか」
「分かっておられませんね陛下。そんな女だからこそ良いんじゃないですか」
ダナエ、の名をユリウスが出して以来、珍しく黙々とパンを口に運んでいたエイレンが、スープを1口飲んで顔を上げた。
「つまりレグルスさんのお相手がダナエ、ということよね」
表情の見られない瞳は、彼女がそれなりに驚いている証拠だ。何サプライズを狙っていたんだろう、と訝しむユリウス。
「そなたまだ教えていなかったのか」
問えば、レグルスは爽やかな笑顔と共にこう言ってのけたのだった。
「ええ。バラさなければ、少しくらい嫉妬してくれるかな、なんて期待したもので」




