13.お嬢様は皇帝陛下と再会する(1)
帝国はラールス朝5代目ユリウス2世、通称年若き皇帝の朝は通常、早くも遅くもない。適当な時刻に起きて着替え、朝食を摂りながら本日のスケジュールを確認する。その日の国政会議で重要な議題があれば、担当大臣がその説明に訪れるのも大体が朝食中である。
そういうわけで、使者がもし事前説明にやってくるにしても朝食中だろう、と思っていたその朝。ユリウス2世陛下は己がくしゃみで目を醒ました。ぼんやりと開いた瞳にまず映ったのは、色鮮やかなクジャクの羽である。
そして、魔を退けるとして寝室の壁に飾られていたその羽を手に持ち優雅に微笑む女。その金の髪の輝きと悪戯っ気に満ちた蜜色の瞳に、一気に夢の中から引き戻されて起き上がる。
「早いな。まさか寝起きを襲われるとは思わなかったぞ」
それほど余に会いたかったのか?と冗談めかして問えば、やはり微笑んだまま「もちろんよ」と返される。罪だ。
しばらく見ないうちに、どことなく雰囲気が柔らかくなった、と思う。さんざんっぱらアレコレとからかわれからかい返し、気の置けない戦友のような間柄になったところでいきなりこれ。けしからぬ。
しかし彼女が続けて口にした台詞は、以前と同じように色気の欠片も無いものだった。
「朝イチで会議を入れて下さったでしょう。その前に根回しをと存じまして」
「それなら各大臣やら貿易局長やらの寝起きを襲うのがスジだろう」
根回し、意味違う。いくら最年少でもこちらは皇帝なのに。
唇を尖らせると、エイレンがおかしそうに笑った。
「いえね、こちらとしてはあなたに話を通しておくのが1番早いと判断しているのよ。わたくしごときが各方面にヨロシク言うより、よほどね」
「余が腹心どもの小言に耐えれば、な」
憮然としてみせても、相手はどこ吹く風といった顔である。
「ある程度の見込みについては、もう話してあるんでしょう?あなた割と有能だから」
「割と、が余計だ」
「では満場一致で案が通れば、とっても、に訂正して差し上げるわ」
そのようなこと難しいに決まっている。どうしても重臣たちの賛成が得られなければ、ポケットマネーで何とかしようとまで考えているのに。
「あなたのためにもそちらの方が良いでしょう?頑張ってね」
正論である。そして後は悪びれもせずに丸投げ。足元を見られているのだ。ユリウスは軽く溜め息をついて寝台から降りる。
「詳しくは着替えてから聞こう」
侍従長を呼ぶと、普段よりかなり早い時刻であるにも関わらず、着替えを持ってやってきた。
「準備がいいな」
「そちらの姫君から頼まれておりましたので」
と、にこやかな侍従長。前回の滞在で、いつの間にやらエイレンと仲良くなっていたのである。その手によって拡げられたシャツに、皇帝陛下は少しばかり訝しげな顔をした。
「いつもと違う」
ゆったりとした襟元と袖口はよくある夏用のものだが、独特の光沢があるざっくりと柔らかな風合いは絹ではない。
「これは聖王国の最上級の麻で、姫君が手ずから仕立てられたのだそうですよ」
侍従長の生温い笑みを含んだ声の返事に、驚いて良いのか喜んで良いのか迷い、ただ目を丸くするユリウス。
「なんだ、ついに嫁に来る決意ができたのか」
「そうね、通商上では良いパートナーになりたいと願っておりますけれど」
「やはりそういうことだよな」
ガックリと大げさに肩を落として見せたりするが、そもそも返事は予想できていたのだ。ただ、心のほんの片隅で一瞬、期待しただけで。
「ミスリルをエサになんだかんだと資金を出させた挙げ句に、産物を買えとは相変わらず図々しい」
文句を付けつつもユリウスは自らの手でシャツを身に着ける。清涼感のある肌触りが心地良い。
「あらきっと気に入って下さるはずよ」
見透かしたようにエイレンがふわりと微笑んだ。
「吸湿性と速乾性に優れている上に丈夫で、暑い季節にはオススメの生地ですの。お土産の中にも麻織物がありますから、存分に活用して下さると嬉しいわ」
「ではそちらはネルヴァに下賜することにしよう。軍服に仕立ててもらえ、とな」
再会直後から手の平の上だ。気に食わない。気に食わないが、ここはイイ男としての度量を見せよう、と年若きユリウス2世陛下はにこやかに宣ったのだった。
それにしても気になることが1つ。
「ところでそなた、いつまで着替えをガン見する気だ」
「どうぞご遠慮なさらず?まさか見られて恥ずかしいってトシでもないでしょう?」
「思い切りそのトシなのだが」
キレイなお姉さんにガン見されつつ着替えられるのは上までだ。下は無理ぜったい。
「すまぬが後ろを向いていてくれ」
頼むと物凄く不思議そうな顔をされる。「何このヘンな子」とでも言いたげだ。だが、何も言わずに素直に向きを変えるエイレンに、あれ、と思うユリウス。
以前なら絶対にもうひと声はあったはずだ。「誰に対して恥ずかしいですって?自意識過剰ではないの坊や」とか。なのに何も無いとか、一体どういうわけなのだろうか。
何となくモヤモヤしつつふと見れば、単純に束ねただけの髪を縛っている紐が目に入る。派手ではないが、金によく似合う色合いの美しい組紐だ。
こんな安っぽい紐などでなくても、自分ならもっと豪華な装飾品をプレゼントできるのに。
そんなことをつい考えるから、気になったことが気軽に聞けなくなってしまう。
(一体、誰から贈られたのだそれは!)
ふざけたふりをして紐を奪って髪をほどき、目隠しなどしてじゃれてみたい、とふと思った。そのようなことをすれば即座に刺されそうな空気を身に纏っているのが以前の彼女であったが、今は何となく違うのだ。
そう、あわよくば筆降しを手伝ってもらえたりするかも、などとうっかり妄想してしまいそうになるほどに違う。それがどうしてなのかはユリウスには分からないが、その柔らかい空気が彼女をより美しく見せているのが悔しかった。
ぴったりとしたズボンをのろのろと穿いていると、彼女から焦れたように声が飛んだ。
「それから、ミスリルの加工のためにそちらにも施設の準備が必要よ。古い文献を持ってきているから確認なさって」
「大体は分かっているが、話は着替えてからだと言っただろう」
やはり基本はそう変わるものではないな。ガッカリしたような安心したような気分で苦笑し、侍従長に朝食をバルコニーに運ぶよう頼む。
「2人前だ。後は食べながら話そう」
もう少しゆっくりとキレイなお姉さんを眺めていたい。そう思ったユリウスだったが、エイレンにはそのようなサービス精神はないらしい。
「あら3人前ではいけない?レグルスさんも朝食を抜いてこちらに来ているのだけれど」
侍従長の方を確認すると、無言のまま頷きが返ってきた。どうやら寝所の外で待っているようだ。なら3人前だ、と少しばかり残念ながら依頼を訂正する。
「レグルスが?ルーカスは」
「彼はフラーミニウス宰相と一緒ではないかしら。昨晩から呼ばれて、随分と絞られたようだから」
「ああ、宰相から見ると、兄の方は安心だが弟の方はいつまでも手のかかる不良息子のようだからな」
年上の臣下に対する少年皇帝の言い様にエイレンがクスクスと忍び笑いを漏らした。
「で、あなたがちっとも言うことを聞かない反抗期で悪戯盛りの主なのね」
フラーミニウス宰相もなかなか大変ね、と言われて「まだまだ」とニヤリとしてみせる。
「もっと困らせて、あの毛髪の寿命を縮めてやろうと思っているのだ」
宰相のオソロシイ苦虫渋面も、頭頂の輝きがあれば少しは違うように見えるだろう、と思っている年若きユリウス2世陛下であった。




