12.お嬢様は観光を楽しむ(1)
いつもありがとうございます。
今回は閑話的に、ゼフィリュス港から皇都までのお話です。(2)部分から久々にレグルス兄さん登場。少々エイレン×レグルスさんのお話になります。しかし……キレイに纏めようとしても最終的に黒ずむこの人たち(爆)まぁ……2人とも思考回路が特殊だから、ということでお許しいただければm(_ _)m
案内されたのは、漁港の一角だった。
大小の船が頻繁に出入りする交易港から少し離れ、やや寂しい印象のその場所を、「ここがゼフィリュス港発祥の地です」と、ギロ氏は得意気に説明する。
「こちらの木がその聖樹ですよ。ゼフィリュス港はこの1本の木から始まったのです」
場所の意味合いとしては確かに感動的だが、現実には地味な光景だな、と思うキルケ。
黒い地肌を剥き出しにした、程良い高さの海崖の上にただ1本立っているのは、人の背よりも少し大きい程度の低木。塩分の濃い土壌と潮風のせいか、葉も緑豊かとは言い難く、どことなく黒ずんで元気が無い。
しかしその半ば腐れたような外見にも関わらず、この木は確かに『聖樹』と呼ぶに相応しいのだ。
「舫い木ですね」
ルーカスが短く確認すると、その通りです、とギロは頷いた。
本来ならば成育に適さぬ場所に根を下ろし、見栄えはせずとも枯れず生き続ける木。それは長きに渡り、船を陸につなぎ、船乗りたちに休息を与えてきた。
多くの船が整備された港を使用するようになった今でも、地元の漁師たちは舟をこの木に舫う。
「命を繋ぐ樹ね」
二百年を超える樹齢にも関わらず未だ、どこかほっそりとした感のある幹をエイレンはそっと撫でた。ざらりとした手触りが港を見守ってきた歳月を伝えているようだ。
「これは『美しい翼』の木でして、今はこんなのですが秋になると紅葉と羽のある紅い実で彩られ、篝火のように目を惹きます」
ギロが説明した光景は、キルケもルーカスも知っているものだった。アラベルスはさほど珍しい樹ではなく、帝国の者なら目にしたことがあって当然なのだ。しかしエイレンは目を輝かせる。
「それならばぜひ、また秋には来なくてはね」
「ええ。実は、その篝火を目印に海で亡くなった船乗りたちの魂が還ってくると言われているのです。小さな祭も開かれますから、今よりもう少し楽しめますよ」
「いえ、今でもじゅうぶんよ」
エイレンは微笑んだ。
「美しいものを見せてくれて有難う」
「喜んでもらえて嬉しいですよ」
ギロもまた、黄ばんだ歯を見せて笑う。もし傍を通ったとしても、気付かずに過ぎてしまうようなこの小さな木に案内するのは、これはと思った客だけだ。全員では無いが、たまにこうして感じ入ってもらえる時がある。
何も得られずに故郷に帰った。故郷でもまた、全てを無くしていた。家も家族も。しかし、この木だけは元のまま、同じ場所に同じように在った。
ゼフィリュスには大きな港があり、賑わう市場があり、人々の信仰を集める神殿があり、美しい街並みがある。まさに玄関口というに相応しい、整った街だ。しかしどこに行っても、幼い頃の思い出は遠い。
モノトーンに感じてしまう街の中でただ1つ、この聖樹だけが色の付いたギロの故郷なのだ。
それを説明せずとも分かってくれる人が、たまにいる。そのことがこれだけ嬉しいとは、華やかな南都でスリ師をしていた時にはついぞ思わなかったことだった。
「さて、これから少し街歩きはいかがでしょう?お昼頃に市に戻れば、食べ歩きも楽しめますよ!」
ギロ氏は先に立つと、客がついてくるのを確認しつつ、ゆっくりと歩き始めた。
※※※※※
翌朝は小雨だった。灰色の景色の中、軍船はゼフィリュス港を発ち運河を遡る。『濁り川』と呼ばれる運河の流れは緩やかだが、遡る場合にはやはり漕ぎ手はフル稼働しなければならない。
そんなワケで、エイレンは船底の漕ぎ手席に居た。銅鑼の音でタイミングを合わせて漕ぐのは、頭を使うという程ではないが注意を払う必要がある。つまりは、無心になれて船が動く。
こういう作業がエイレンは好きなのだが、巻き込まれる方はたまったものではない。休憩中にルーカスはぼそぼそと提案した。
「そろそろ上がりませんか。今日はそれほど暑くないですから、助っ人も必要ないですし」
キルケは「私は力仕事はしないんだ。リュートが弾けなくなったら困るからね!」などとあっさり難を逃れたのだが、ルーカスの方は「当然漕ぐわよね」と認定されてしまっているのだ。
ちなみに提案しつつ微妙に上目遣いなのは、エイレンのご機嫌伺いなどではなく、彼女が性懲りなくワタを詰めてモッコリさせている局所が目に入らないようにするためである。
「あら船内で特に用事もないのに。それにわたくしたちは既に、戦力として期待されていてよ」
漕ぎ手席には往きと同じメンバーも多く、ルーカスとエイレンはすっかり仲間扱いされている。もはや、小遣い稼ぎとして黙認されている密輸品をコッソリ見せ合う仲なのだ。それを利用し、エイレンはぬかりなく聖王国の麻を漕ぎ手たちにも売り込んでいたりするのだが、それははておき。
「使者団の文官たちに見つかるとうるさいですから」
「ならルークさんだけ上がったら?」
「それ1番ヤツらがうるさくなるパターンです」
ルーカスが顔をしかめる。
もともと船の乗員である軍人や水夫は別に良いのだ。彼らは脳筋に対して理解がある。しかし文官たちにとっては、エイレンのトンデモ行動は意味不明、それを放置するルーカスは護衛兼お目付役としてどうなんだ、という話になるのである。
エイレンは樽から汲んだ水を少し飲み、そのままコップをルーカスに回した。
「あの人たちもまさか、わたくしたちがここにいるとは思わないでしょう?」
ルーカスが残りを飲み、わずかに余った水で飲み口を洗って樽に置く。
「あまり姿が見えないと、2人してどこに行っていたのだとうるさい」
特にアルフェリウスあたりが。そして他の面々が「どうだった美味しかった?」などとからかってくる。それがあまりに過ぎると、今度はファリウスが心配そうに「フラーミニウス殿は『お堅い』お家柄ですよね?」と確認してくるのだ。
エイレンが面白そうに唇を歪めた。
「主に被害を受けているのはあなたのようね」
「全くその通りです」
「仕方ないわね、後少しだからガマンなさって?」
「そう言われると思いましたよ」
ルーカスは視線を船外に彷徨わせ、おっ、と声を上げた。
「虹の女神のお出ましですよ」
聞くなり、エイレンが甲板へと上がる階段に駆け出す。ルーカスは口許を少し緩めて後に続いた。
刈り入れを終えた麦畑の上に広がる白みがかった灰色の空に虹はその姿を現していた。
「おや、使者殿。ルーカス殿も」
ちょうど今呼ぼうと思っていた所です、と甲板に先に出ていたアルフェリウスが笑顔を見せ、その隣であぐらを組みリュートの調弦をしていたキルケが口笛を吹いた。
「今日のイーリスは御髪の先までキレイに見えるな」
虹が端まで消えずにその光を映すさまをそう表現するのは古い詩の名残である。
『今宵もっとも美しき女よ、
月明かりに輝く髪を私のためにほどいておくれ
その夢幻の色の絹糸のひとすじごとに
指を通し指を絡め、
ひと房ごとに手にとって、
先の先まで口づけたい
虹の女神よ、
熱き大地に慈しみの雨を降らせよ
その柔らかき翼震わせ、
唄っておくれ、私のために』
月の光を思わせるアルペジオが美しい静かなメロディに合ったしっとりとした歌声が甲板に響くと、そこに出てやはり空を見上げていた使者団の面々や乗組員たちはまちまちな反応をした。無邪気に拍手を送る者もいるが、アルフェリウスなどは顔を真っ赤にしている。
「吟遊詩人殿っ!そ、それは、このような時間に歌うには相応しく無いかと思いますよっ」
「ん?そうかな?」しれっと首を傾げてみせるキルケ。
「考えすぎでらっしゃいますよ」
「いや!絶対ダメです不健全ですよっ」
あまりの騒ぎ立てようにエイレンが虹に目をやったまま眉を少しばかりひそめる。「不粋ね」という呟きが聞こえるようだ。
しかしキルケはニヤリとして「ではリクエストに答えてもう1曲」とリュートを構え直した。
荘重ながらも明るい長調のメロディは、虹がもたらす希望と調和を歌うものだ。
歌声が尽きるのを待って、虹は次第に薄くなり消えていった。




