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11.お嬢様は再び帝国に着く(2)

海は少々荒れ模様だったが航行は順調で、軍船は予定通りに4日目の早朝、帝国西の玄関口、ゼフィリュス港に着いた。このままティビス運河を遡れば3~4日で南都だが、補給や乗組員の入れ替えなどのためゼフィリュスで1泊することになっている。


久々に揺れていない地面を味わおうと使者団メンバーと船を降り、ルーカスはそこで珍しい人物を見つけた。


これといって特徴の無い、帝国北部の民の髪と瞳。だがその瞳は快活で、人懐こい笑みを湛えている。背にはリュート。


「よう、そう久しぶりでもないな」


やや大きめの口からは歌うような声が流れる。腐れ縁と言うほど長い付き合いでもないが、会えばそこそこ懐かしい、とルーカスは少し目を細めた。


「いや割と久しぶりだろうキルケ殿」


前に南都で別れて以来、約1ヶ月半ぶりの再会である。少しやつれたんじゃないか、とキルケは実にイヤな笑い方をした。


「お姫様のお()りでクタクタだと顔に描いてあるな」


「全くその通りですよ」


「で、当のお姫様は?」


「寝てます」


ぶっきらぼうに答えれば、キルケは信じられない、というような表情でマジマジとルーカスを見る。


「もしやあんた、一晩中喰われてたのか?」


「んなワケあるか!」


「今一瞬だったら嬉しいとか思っただろ」


「……冥神(ハデス)への土産は何にしましょうかね吟遊詩人殿」


ルーカスが腰に差したサーベルに手を掛けると、キルケはニヤリとして、冗談だ、と肩をすくめた。


「じゃあ私はお姫様を起こしてくるよ」


「貴様が?」


キルケはまたニヤリとして左手の小指に嵌まる透輝石の指輪にキスをしてみせる。


「一応婚約者だしな?」


「突っ返されたんだろうが」


「一時預かりなだけだぞ?帝国内では身に着けてくれることになってる」


嬉しそうに利用されやがって。


身軽にタラップを駆け上がる男を見送りながらルーカスは軽く歯ぎしりをしたのだった。



階段を降りるとすぐにいくつかの船室が並ぶ。貴人輸送用に使われるだけあって、廊下には暗い臙脂色の絨毯が敷きつめられている。


階段を挟み、船尾側に向かえば調理場と食堂。反対側が個室だ。使用していない部屋は扉が開け放たれているため、エイレンの居場所は探しやすかった。


船長室に近い個室の閉ざされた扉の前でキルケは立ち止まり、ポケットから針金を取り出して鍵穴に差し込んでは抜く。何度も繰り返していると、やがてカチリと音を立てて鍵が開いた。


中は決して広くはなく、造りも他の船室と大きくは変わらないようだが、敷かれた絨毯や上品な調度が、いかにも貴人用の部屋らしい。チェスト、棚、小ぶりの書き物机と椅子が1つずつ。いずれも家具としては珍しく、貝殻や人魚など海のモチーフが彫り込まれている。脚に波の紋様を刻んだナイトテーブルの上には、みずみずしい芳香を放つ珍しい南国の果物。奥に造り付けの寝台があり、そこにエイレンは横たわって眠っていた。


これまで何事もなく夜ごと同衾してきた気安さでひょい、と寝台を覗き込み、声を掛けようとしてキルケは言葉を失う。


失敗(しま)った……!)


同衾など、慣れれば本当にどうということもないものであるが、だがしかし。眠っている姿を見たことはついぞ無かったのだ。夜はそのお喋りに適当に付き合いつつ眠りに就き、朝目覚めると既に彼女は起きている、というのが習慣であったがために。


安らかな眠りなのか、規則正しく上下する胸。枕元に散らされた金の髪が僅かな光を撥ね返して輝き、彼の瞳を射貫く。思わず手を伸ばして指先に絡めようとすれば、それはするりと逃げていく。繰り返すうち、手は次第に毛先から奥へと移って行き、存外に柔らかい頬に触れて止まった。


指を伝わる肌の冷たさに、ごく自然に、温めなければ、と思う。両手で頬を包み込むと、顔がまた自然に近付いてしまう。


「起きろ」声はかすれて、囁くような音しか出ない。


「起きろよ」そして止めてくれ。


長い睫毛に彩られた目蓋にそっと唇を寄せる。もしも古の歌のように口づけで魔法がかけられるなら、これはどちらだろう。姫の目を醒ますものなのか、それとも、この手の中でずっと眠り続けるようにする魔法だろうか。


ふと首筋に寒気を感じて、キルケは顔を上げた。開かれた蜜色の瞳と目が合い、なるべくこれが「ちょっとした悪戯」ととられるように祈りながら笑みを浮かべてみせる。


「やぁ起きたな。それからそのオソロシイ物を退けてくれ」


キルケの首筋にはいつの間にか、エイレンの右手に握られた短刀がいかにも優雅に当てられていたのだ。


「忍び込んだ上に寝込みを襲うとは良い度胸ですこと」


「いやぁ寝顔が普段に似合わず可愛いらしいもんだから、ついフラフラと、な」


冗談にしてしまわなければ、とキルケは笑った。


「止めてくれて助かったぜ。まじ危なかったぞ」


「それは良かったわ」


短刀をナイトテーブルの上に置き、半身を起こしてさっと髪を纏めようとするのを手で止められ、エイレンは怪訝な顔をした。


「なに?」


「ちゃんと梳かないと絡まるだろ」


「そのようなこと3日に1度でいいのよ」


どうしても解けなくなれば根元から断てば問題なし、と言い切られてキルケは絶句する。


前々から思っていたが、やはりコイツの中身はオッサンだ。いやオッサンだって貴族ならばもう少しは身だしなみに気を遣うはずだが。ということはもう既にジイサンだろうか。


「梳くのに苦労するのはたまにしかしないからだ。毎日すればすぐ終わる……どれ、かしてみろ」


鏡台に載せられていた櫛を取り、そっと髪に当てる。梳る度に艶やかさを増す毛先を丁寧に整えていく。


「慣れてるのね」


「それはもう」


彼女が安心するように、口元をだらしなく緩めてみせる。


「スティラちゃんの部屋に泊まると、毎回おねだりされるしな?小器用な指使いがタマラナイワ、とか言って」


「そんなことだろうと思ったわ」


クスクスと漏らされる忍び笑いに、キルケもまた安心する。


「しかしあんたが寝坊とは珍しいな」


「明け方まで星を観ていたから」


「詳しいのか?」


「姉がね。私は全然」言い掛けて、エイレンは悪戯っぽく付け足した。


「でも前よりは、少し好きかもしれないわね」


そういうことあるよな、とキルケが頷くと、彼女の声は若干、怪訝そうなものに変化する。


「で、あなたはどうしてここにいるのかしら?たまたまドサ回り中?」


「のところを、皇帝陛下からの使いが来て迎えに行ってやれと」


「それでノコノコと?」


なんだかんだ言いつつ、すっかりフトコロに入れられてるわね。あの人諦め悪いものね。でも旅の吟遊詩人の居場所まで分かるなんてストーカーなのかしら。


ツラツラと感想を述べられて、キルケは傷付いた顔をした。


「迎えに来いって言ったんだろあんたが」


「まぁそれでわざわざ?」


「悪いか」


髪を梳き終わり、ポケットから組紐を取り出して髪を結わえてやる。組紐はある街でたまたま買ったものだった。濃茶、青、銀の絹糸が交互に編まれたその模様に惹かれた時に、金の髪に似合いそうだと思ったのだ。


「ありがとう」


紐を触って確かめるその雰囲気が以前よりも柔らかくなったな、と少し眩しいような心持ちで「どういたしまして」と返事をすると、エイレンはふわりと微笑んだ。


好きな男でもできたか?


無粋な問いを呑み込んでキルケは寝台から降り、手を差し出す。


「ほれ、今日はゼフィリュスを案内してやるぞ。起きて着替えるんだな」


素直に手を委ね、寝台から出てきたエイレンは着の身着のままらしい軍服。すぐに済むわ、と手をあててなにやらブツブツ呟けば、シワが取れてたちまち新品のようになる。


便利なもんだな、とキルケが目を丸くし、エイレンは「本当は洗濯する方が好きなのだけれど」と答えた。


船の上では水はとにかく、貴重なのだ。

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