11.お嬢様は再び帝国に着く(1)
いつも読んで下さりありがとうございます!
しょっぱなから毎度カユい、エイレン×ルークさんのお話ですが、今回は掻きむしり度マシだと思います。多分。筆者が2度読みできるレベル(いつもはカユすぎて読めません。笑)ですm(_ _)m
海原を渡る風を帆に受け、帰国する使者団を乗せた船は帝国へと向かう。甲板から周囲を見渡せば、陽光を反射して白銀や黄金色に煌めく波が四方どこまでも広がっている。
今の時期は季節風が逆風となるので、影響を受けぬよう海岸沿いを避けて航行しているのだ。島影1つ見えない沖の風景は海と空以外何も無いところが、かえって珍しい。
吹き続ける強い風は、鼻腔を突く潮の香を運び、エイレンの髪を結んでいた手巾を攫う。それでも微動だにせずマストの横木に腰掛けて遠くを見つめている彼女の金の髪を風が思うままになぶり散らす。
「フラーミニウス殿」
文官の服装をした使者団の1人に声を掛けられ、ルーカスは内心で軽く歯ぎしりをした。半身を軽くもたれかけさせていた船縁から身を起こし、組んでいた腕をほどいて振り返る。
「どうしましたか、アルフェリウス殿」
「使者殿はどちらに?」
「さぁ存じませんが」
自分で探せばいいだろう、と思いつつ返事をするルーカス。自分で探し、深窓のご令嬢がマストに登ったりするものかもう1度よく考えてみれば良いのだ。
アルフェリウスが不満げに少し顔をしかめる。
「君は護衛でしょう」
「もちろん危険がある時にはそうですが。ここ我が帝国軍の船上で何かあるとでも?」
たとえ聖王国神殿との取引に反対する重臣がいるとしても、帝国軍の総帥が皇帝陛下である以上、彼らが軍船の上で何か仕掛けてくるとは考えにくい。それは陛下の顔に泥を塗り叛意ありとされるに足る行いだからだ。
苛立ちに帝国軍の権威を着せてジロリと睨んでやると、自分と同じ帝国北部民特有の薄青の瞳がキョロキョロと落ち着かなく動いた。それを見て、ルーカスはやや語気を和らげる。
「使者殿に何か御用でしょうか」
アルフェリウスの善良そうな顔がほっとしたように緩んだ。
「いえ、何かご不便は無いかと思いまして」
だから、この程度の船旅でご不便があるような女がマストに登るわけないだろう!と、ルーカスは内心で1人ごちた。不便など高笑いして蹴飛ばすか手近な物と人を酷使して何とかするのがエイレンである。
「ではお見掛けしたらそうお伝えしておきましょう」
内心では毒づきつつも、表面は大人な対応を続けるルーカス。何しろ相手が鍛えていない文官では、こちらの方が圧倒的に不利だ。少しの言い間違いでも「脅している」などととられかねない。
「あ、では、よろしくお願いします」
一礼して去って行くアルフェリウスを見送りもせず、ルーカスは再びマストの上に視線を戻した。エイレンは今度はのびのびと寝転び、空を眺めているようだ。
こうした時の彼女がどこに目を奪われているか知っている、とルーカスは思う。空の最も高い所、人の触れることのできぬ場所にしかない天上の青だ。地上にあるあらゆる青と似ていて非なる美しい存在。
自分がしばしば手を休め足を止めてそれに見入るのと同じように、彼女もまたそうするのだ。そう考えると、彼女の心は存外に自分と近い所に在るのだと誤解してしまいそうになる。
だから声を掛けず傍にも行かず、離れた場所から同じ天上の青を眺めているのだ。この甘美な誤解が続くのは、沈黙の中でだけなのだから。
「あ!そんな所に登っていては危ないですよー使者殿!」
アルフェリウスの呑気な声が沈黙を打ち破り、ルーカスは今度はハッキリと歯ぎしりをしたのだった。
「ここ最近の海は少し荒れがちだそうですよ!揺れると危ないですから!降りてきて下さーい!」
明るく呑気な声で叫ばれ、エイレンは舌打ちを1つした。茶色の髪に薄青の瞳の帝国北部民には、良くも悪くも遠慮が無い者が多いのだ。聞こえないフリをしたいところだが、帝国との取引が正式に決まるまでは使者団メンバーの心証を悪くしない方が良いだろう。
大丈夫、と言う代わりに起き上がって手を振っておくと、アルフェリウスはやおらマストに取り付いて登ろうとし始めた。が、どうやら文官の衣裳の長い裾がジャマで登れないようだ。
しばらく試して諦めたらしく姿を消す。やっと行ったわ、と声には出さずに快哉を叫ぶも束の間。再び現れた彼は、ルーカスを伴っていた。
何やら言葉を交わしつつこちらを見上げるルーカスとアルフェリウス。ルーカスが首を横に振り、アルフェリウスがまた何やら言う。上から見てもルーカスは不機嫌そうだが、アルフェリウスの方は気にしていないようだ。
しばらくしてファリウスが通りかかり、話に加わった。事情を聞いたらしいファリウスもまたルーカスに何やら二言三言掛けているようだ。文官2人から攻められているらしい武官は額に手を当てて俯き、ヤレヤレ、というように首を振っている。
そして急にマストを登り始めるルーカス。大体何を言われたか、想像もつこうというものだ。彼が来るのを待って、エイレンは尋ねた。
「樹登りをして降りられなくなった仔ギツネの救助にいらしたの?」
「彼らは仔ネコだと思っていたようですが」
ルーカスは気に入らない、というように顔をしかめる。
「どちらにしてもそんな可愛いモノはここにはいない」
「全くね」
その言い様がおかしくてエイレンが思わず笑うと、ますます仏頂面になるルーカス。
「で、どうします?救助されて下さいますか?」
「あらなぜ。かえって危険よ?」
人ひとり抱えてマストを降りるのだ。エイレンが本当に降りられないのならともかく、そうでないならすべきではないのは明白である。
「私が口の立つ文官2人からアレコレ言われなくて済みます」
「その程度ガマンなさいな」
「そう言われると思いましたよ」
ルーカスが仕方なさそうに溜め息をつく。
「いつまでここにいる気ですか?」
「明日の明け方まで」
エイレンはにんまりとした。
「海に落ちる夕陽を見て、1番星が輝くのを見て、月が昇るのを見て、東の空が徐々に白んで星が1つずつ姿を消していくのを見るの」
「良いですね」
「付き合う?」
ルーカスがしばらく考え「1番星まで」と答えれば、「その後は?」とやや不満げな問い。
「付き合いませんが毛布とクェルガを差し入れます」
「まぁ気が利くわね。帝国軍やめて聖王国神殿に雇われない?」
「あほか」
「でもそういう道もあるわよね?」
尋ねてくるその表情が意外にも真剣で、ルーカスは小さく息をのむ。
「どうして?いつ『陛下命』と決めたの?迷ったことはないの?」
ああまだ迷っていたのか、と彼は思った。それならば。
もしかしたら、答えようによっては、彼女は彼の望むように将来を変えるのかもしれない。
一縷の希望を小さく丸めて彼方へポイしつつ、ルーカスは彼女が望む答えを探る。
「……皇帝を支えてきた先祖も父も、幼い頃から誇りだった。それを嗣ぐことに何の疑いも無かった。迷うまでもなく、元からそう形作られているのだ。壊す理由などない」
嘘ではないが、真実の全てでもない台詞にエイレンは安心したように「そうね」と頷き、隠されたままの切片は永久にルーカスの胸にしまい込まれたのだった。
―――だが、もし今あなたが本気で私を望むならば、迷いなどせずすぐにも剣を捧げよう―――




