10.お嬢様は少々オカシイ(3)
帝国と聖王国神殿との協議第1回目は、大した問題も無く終わった。何しろ帝国側の使者代表が堂々と神殿の回し者であるのだから、使者団の中に密かに不満を抱く者はあってもそれが表に出ることはない。
言うなれば、協議とは名ばかりの単なる条件確認なのである。帝国が金千枚の支援と資材供与、技師の派遣を提案してきたのに対して、聖王国側は技師の派遣を必須とした上で、金千七百枚の支援を条件とした。その対価としてミスリル鉱石を帝国に原価で譲ることは変わりない。
余談だが資材より現金がほしいのはミスリル以外の資源が決して豊かではない聖王国側の事情である。なにしろ聖王国通貨自体が発行量も流通量も少ないのだから。聖王国のスタンダードな通貨は実は帝国のものだったりするのだ。金貨がなければ銀貨と銅貨混ぜてくれて全然いいよー、それはそれで使えるし、というノリなのである。
それはさておき、使者はそんなある意味かなり身勝手な聖王国側の条件と若干の土産をいったん持ち帰り、閣議にかけ、皇帝の決裁を仰がねばならない。
(結局は皇帝陛下が条件丸飲みするんだろうけどな!)
という予想を各自の胸に抱きつつも、使者団の面々は王都を後にした。ゴートへは騎馬で4日。今回もキチガイ馬上レースになるのではないかとヒヤヒヤしていたルーカスだが、エイレンは存外に大人しく彼らに同行しており、無茶を言い出す気配は全く見られなかった。
代わりに休憩の間にせっせと行っているのが。
「暑いでしょう?良かったらこれをお使いになって」
水で濡らして絞った手巾の配布である。手に取ると柔らかながらひんやりとした肌触りが心地良い。皆それぞれに額や首筋に当て涼感を楽しんでいるのを見て、満足げに解説した。
「聖王国で最高級の麻ですの。柔らかく独特の光沢と張りがあり、絹にも劣らぬ風合いがあります。特に今のような暑い時期におすすめですわ」
つまりは今後のことを見据えた宣伝を始めているのだ。神殿は今後、麻製品を帝国との交易のもう1つの柱にする予定なのである。そうした目的があるからこそ、この度は「マジメな話しかできないなんて退屈」などとはおくびにも出さず、使者団に混ざり馬をテクテクやっているのだ。
「しかしこうして使者殿に何日も同行させていただくのはゴート以来ですね」
使者団の1人がやや皮肉げに言った。いくら先の準備のため、などと言い訳をしても、聖王国内での案内をほぼ神官に任せ、また同行している間もルーカス以外とは必要なことしか話さないエイレンを、快く思っていない者は1人ではない。
「アルフェリウス様、その件に関しては至らず本当に失礼いたしましたわ」
ソツなく謝るエイレン。しかし彼女のことだから、今後穏やかでない流れに持っていくなどお手のものだろう。場合によっては止めなければ、とそちらを伺ったルーカスは、信じがたいものを見た。
なんと彼女は、ほんのりと顔を赤らめ両手で頬を挟むという乙女な仕草を披露してみせたのである。
「で、ですけれどわたくし、よく存じ上げない殿方とプライベートでどのようなお話をすれば良いのかが分からなくて……」
やや俯き加減から潤んだ眼差しでの上目遣い。
「本当にごめんなさい、ね。反省しております、のよ?」
小首を傾げてわざとらしくたどたどしい謝罪。
引っ掛かるなバカ正体は化け物の異次元女だぞ、と声に出さずに目線と口の動きだけで伝えようとするルーカス。だが時は既に遅く、名指しで呼ばれたアルフェリウス氏は顔を赤らめて「いえこちらこそ、深窓のご令嬢に無茶を」などとモゴモゴしている。
深窓のご令嬢は騎馬でデッドヒートなんかしない。ムキになって日が落ちるまで打ち合いもしないし、高原で1人せっせと井戸を掘ったり駆け足一周したりもしない。そもそもが家出してフラフラ帝国に行ったりもしない。用法を誤るな、と言ってやりたいところである。
当の女は今この瞬間、内心で「赤子の手を捻るより百倍簡単ね!」などと高笑いしているに違いないのだ。
イライラと麻布を指で叩くルーカスを、ふとエイレンが振り返り、聖女スマイルで「本当よ?」と念押しする。つまりはせっかく穏便かつ簡単に騙くらかしているんだから余計なことを言うな、ということだ。こちらは、また被害が拡がるのでは、とヒヤヒヤしているのに本人は気楽なものである。
全く、いい加減にしろ、と胸ぐら掴んで揺すぶってやりたい。しかし、それをしてしまうとその先どうなるかが全く自信がない……いや、少し前に「もうどんな誘惑も大丈夫」と思ったはずだが。しかしその出来事を思い出すと、思い出しただけますますヤバい。
おかしいな、と密かに首を捻るルーカスをよそに、エイレンと使者団の面々はそこそこ良い関係を保ちつつ騎馬の旅を続け、ゴートに到着したのであった。
※※※※※
使者団は大きなトラブルもなくゴートに到着した。ゴート神殿で1泊し、翌日に船で帝国に向かう。使者団の見送りはゴート神殿の関係者、それに現在ここで仕事をしている精霊魔術師とその弟子の少女である。
アリーファはエイレンの手を両手で握ってぶんぶん振り、最大限に別れを惜しんでいた。なんだか最近、よく顔を合わせているし、エイレンは以前よりはお喋りをしてくれるようになった。その結果ハンスさんとの仲をからかい倒されたりもしているワケだが、それでもこの友達っぽい感じはなかなか良いと思うのだ。
マイナス印象から入って言いたいことは言いまくっている分、気が置けない間柄のような雰囲気もポイント高い。
「エイレン、また帰りには寄ってね!」
「もしあなた方がまだこちらにいらっしゃればね」
「手紙もちょうだいね!」
「できればそうさせていただくわ」
「師匠にはもう少し長く書いてあげてね!」
アリーファが気掛かりを口にすると、それまでにこやかかつ冷静そのものだったエイレンが急に固まった。そのままぎこちなく身をかがめて、アリーファの耳にひと言、囁く。
「無理」
んん?何なんだこれは?
例え相手が齢千年超えのバツイチマッチョであろうとも、恋する乙女なアリーファさんのセンサーは何かを捕らえた。一瞬後には平静を装っているエイレンの耳がわずかに赤いのを発見し、なるほどぉ、と内心にんまりする。
「ではまたね」
これで最後、とばかりに聖女スマイルを叩き売って船に乗ろうとしたエイレンのマントの裾をしっかりつかみ「またぜひ話聞かせてね!」と念を押せば、返ってくるのは「何の」というつっこみと眉をわずかに寄せた冷たい表情である。
「うーんー、別に!」
「気持ち悪いわね」
「いいのいいの!」
銅鑼の音に合わせて出航していく船を見送りつつ、アリーファはもう一度ニマニマした。エイレンと恋バナができる日も、近いかもしれない。
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